16-7 いつか、君へ
静寂を突き刺すようなハーモニーが、コーディルスの体を貫く。ゼフォンの見事な指揮のもと、メンバーの奏でた音律が見せた一音だ。
『よし! 次も!』
君主が打ち出す音のそれぞれは、確かにレイヤーコードらの音律を防いだものの彼らはそれを大きく上回るレベルの演奏を展開する。
「奇跡…… ではなさそうだな」
貫かれた箇所から『音』が漏れる。しかし、周囲の静寂に紛れてすぐに音の種に戻ってしまった。ふわりと舞い散る残り音だけが、タクトたちに次の演奏にいたる目標の残響として示すのみだった。
『……いろ』
(!? 今の声は?)
残響を聞き分けていたタクトには、その音に混ざって不思議な声を耳にした。
だがそんな最中もゼフォンの指揮は止まらない。次々と翻る指揮棒の指す方向に音を乗せ、コーディルスに休む暇なく浴びせ倒す。今まで奏でられることのなかったちぐはぐな異音がタクトたちにも襲いかかるが、巧みな低音技術とリズム配分がそれらを軽快に躱していく。
『さあ、次のフレーズを!』
ゼフォンの指揮棒が楽譜の先を指し示すと、担当楽器の呼吸音が一斉に聞こえ、新たな音圧が場を揺るがし始める。長く伸びるホルンのレールにクラリネットが踊って歌い、相手に向かって伸ばし奏でていく。
「小癪なッ!」
『ふぐっ!』
しかしそのうちの一音が、コーディルスの放つ怪音によって打ち砕かれ、奏者に破片が流れ打たれた。一瞬ブレスの遅れたクラリネットは、しかし見事な持ち上がりで再演奏を果たした。
とはいえ、じわじわとメンバーに疲れが見え始める。
敵の攻撃が一向に弱まらないのもあって、緊張糸が切れ始めている。全体のレベルが高いからこそ、コーディルス自身も全力で潰しに来ているのだ。気を抜けば、タクトたちが負ける。
(ここまで、か……?)
その時、真っ白な空間に赤い光が灯った。
『ピュルルルルウウウゥゥゥーーーー!』
激しい鳴き声を伴った赤い光は、大きな翼を携えて頭上を舞い、パラパラと火の粉を辺りに散らした。
『ありゃ、ニックじゃねぇか!』
『ホントだ、ニックだわ!』
アンクとシェリドの声が響く。唐突に二人の声が聞こえたことにも驚いたが、タクトにはその名前に聞き覚えがあった。
『……レイヤーの楽機!』
「今更、楽機が単体で増えたところで何ができる!」
コーディルスの意識がニックに割かれ、レイヤーコードらへの演奏が緩んだ。もちろんその隙を逃す彼らではなかった。
『音を! 旋律を! 和音を!』
ちらちらと降る火の粉が辺りを照らし、指揮棒以外の景色が眼前に晒されていく。他の奏者がどこにいるのか、自分はどの位置にいるのか、聞かせるべき相手はどこなのか。指揮者だけが見えていた世界が徐々に明らかになっていった。
ただ、タクトだけは別の世界を見ていた。
その世界に足りないものが、ニックを通じてまざまざと見せつけられたのだ。
焦る。正解はもうすぐなのに、手の届くところまで来ているのに、肝心なことが思い出せない。
「中低音! 何をしておる!」
ゼフォンの怒号が飛ぶ。タクトが集中を切らしているのを音を通じて見抜かれたのだ。しかし、彼の声はタクトだけに向けられたわけではない。ユーホやアルトサックスにも呼吸の乱れが聞こえていた。だが、タクトはどことなく感じていた。
彼らも、自分と同じ動揺をもって演奏に臨んでいるのではないかと。
コーディルスが傷つき、またレイヤーコードの面々も疲労やダメージが蓄積されていく。曲全体の強化効果だけでは、あの神の化身に対抗するための舞台に立つ以上の効果は期待できないのだ。
なおも続く音の応酬のなか、ニックはコーディルスから漏れる音の欠片を見つけるたびにそれらを静寂が吸収するより早く飲み込んでいった。その姿は、まるでレイヤーが双方の演奏を楽しげに聞き比べているようでもあった。
(いい気なもんだよ。まったく、誰のためだと……)
タクトの脳裏に、ある言葉がよぎる。それは誰かに聞いた言葉。音楽の本質であり、今がここでなかったなら、きっとずっと持ち続けたであろう思い。
<音を楽しめ>
ピリッ、と空気が張り詰めた。
今の演奏は、なんと必死な演奏か。
なんと無様で、楽譜通りで、和音を気にした奏法か。
教科書通りで、さぞいい音が鳴っていることだろう。
そんな音を、聴衆は欲しているのか?
そんな音で、人々は楽しんでくれるのか?
必死な顔で? 楽譜を追うだけで? 目の前の音を拾うのに必死なだけで?
(違う!!)
タクトは立ち上がっていた。
ニックが舞い散らす火の粉が照らす中で、タクトはより遠くへ、より強く聞こえるために立ち上がり、さらに大きく息を吸い込んだ。
レイヤーコードだけじゃない。コーディルスだけじゃない。
その先にいるはずの、世界中の人たちに、空を超えて届けるために。
『音楽が楽しいんだってことを、伝えるために!』
息を、思いを、音を。
タクトはトロンボーンのベルを高々とあげ、自分が奏でることのできる旋律を朗々と拭き放った。
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