16-5 舞台袖
「閣下……! そのお姿」
ディフロントが思わず声を漏らす。
「……うむ!」
ゼフォンは両手を握ったり開いたりして感覚を確かめると、楽士団に演奏準備のモーションを掲げた。
『あれは、第一楽章?』
今更? とも聞こえそうな中、メンバーたちは楽器を構える。普段なら息遣いが聞こえるこの瞬間も、彼らには音が聞こえない。それでも指揮者が指揮棒を振るうのなら、奏者はそれに答える。
「そこだ!」
ゼフォンが指揮棒を閃かせた瞬間、彼には一筋の『音の狭間』が見えた。そして、巧みな指揮動作をもって、その狭間に沿って第一楽章の第一音を差し込ませた。
『!!』
すると先ほどまで無音の中に吸い込まれていった序曲のファンファーレが、風の裂け目を伝って舞台全体に響き渡った。
『いける、のか!?』
なおもゼフォンは指揮を手繰る。無音と無音の間をすり抜けるように楽士の奏でる音楽が舞台を包み込み、彼の指揮によって演奏が今まさにスタートラインについたのだと奮い立たされた。
「始まったか」
地上でことの成り行きを見ていたタギングは、不安げに空を見上げていた。
コダの街には今や数百を超える楽士が集まり、空の繭がいつどうなってもいいように臨戦態勢が敷かれていた。だが、度重なる演奏のせいで誰もが満身創痍であり、五体満足に近い楽士は、今や空の上にいるものとごく一部の天奏楽士だけだった。
「あれは一体、なんなんですかね」
元コダ楽士団のアルーズはかつての同士の呟きに相槌を返した。
「少なくとも十六年前にはあんな化け物はいなかった。……俺たちが相対したのは取るに足らぬ小物だったわけだ」
タギングは舌打ちして、なお続けた。
「……わかるわけがない。あの勝利が仮初めの一時しのぎだったなんてな」
「コルダー団長もあの最中に亡くなりました。十分な大戦争だった。それは間違いないです」
彼らは耳を澄まし、遠くで奏でられている音に集中する。それらは時折途絶えるも懐かしいフレーズも混ざり、頭では自分が演奏していた雰囲気を思い出させた。
タギングは下唇を噛んだ。あの空の舞台に自分がいないことを。自分にそこまでの覚悟がなかったことを。妻と子に、世界の命運を託さざるを得ない自分を。なにより、もう満足に音楽を奏でられない自分を悔やんだ。
腕が疼いた。もう動かないはずの左腕が、痛くて騒いでたまらない。
そして祈った。あさましくも、妻と子が無事に戻ることを。
その直後。
タギングは世界が爆ぜたのを目の当たりにした。
タクトたちは、なにもないところに投げ出されていた。
視界はただただ白く、不意に黒い筋が現れては消える、不可思議な場所だった。
「……なんだ、ここ」
タクトは自身の呟きがきちんと聞こえることだけは理解した。
先程まで『神が愛した旋律』を奏で続けること第五楽章を終えたところで突然視界が光に包まれた。
「ティファ!」
『ここ!』
すぐ後ろに彼女の気配を感じた。ホッとしたのもつかの間、他のメンバーが目の届く範囲にいない。
「くそ、他のみんなは一体どこに……」
『え、近くにいるわよ』
「はぇ!? どういうこと?」
『え、タクトは見えてないの?』
言われてタクトは再びあたりを見回すが、真っ白な空間が続いている以外は何も見ることができない。
「うん、何も見えない……」
タクトは再度目を凝らす。だが、眩しさが軽減されるだけで新しい発見は何もなかった。
「ティファの声が聞こえてるってことは、耳は問題ないのか。……おおおーーーーい!!」
試しに大声で叫んでみた。だが何の反応もない。
『あれ? おかしいわね』
「ティファにはどこに誰がいるとか、見えてる?」
『見えてるというか、誰かいるな、って言うのは分かるけど。かなり離れてて誰がどこに居るかって言うのまでは分からない』
「ってことは、相当バラバラに飛ばされたって言うことか……?」
状況がつかめないまま時間だけが過ぎていく。タクトはさらに体を動かしたり大声を上げたりと色々と試すも、それらは無駄に終わった。
「く、っそ……」
タクトは何気なくポケットを漁った。と、ポロリと何かが滑り落ちた。
「あ! っぶねぇ」
咄嗟のところで拾い上げたものを見ると、最後に交換したのはいつか忘れた音叉棒だった。
「そういえば、返すの忘れてたっけ?」
タクトは何気なく音叉棒を叩くと、金属が共鳴する独特の音が鳴り響いた。しばらく基準音を流していると、その音で調整する楽器の基準音が聞こえてきた。
『!! 誰かいる!』
「……カノンか?」
目が機能しないのか、それとも別の原因か。それでも音を聞くことはできる。タクトもその音を頼りに自身も基準音を演奏した。
それを聞いた別の誰かが基準音を奏でる。
『まるで、本番前のチューニング模様ね』
高音奏者まで調整が済むと、誰とも言わず楽器を下ろした。再び静寂が場を支配する。だが、不思議と先ほどまでの焦りはない。
自然体で楽機を構えるタクトたちに、どこからともなく声が聞こえてきた。
「ようこそ、『始まりと終わりの場所』へ」
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