16-4 神と神
なおも楽士団が奏でる演奏に、深淵からも轟音のデュエットが続く。
「ううむ、こうしてはおれぬ!」
ケルピアは筆を起こし、何かを書き留め始めた。
なおもタクトたちは『悠久』を演奏し続けるが、轟音の妨害にも似た叫びにその音たちが絡め取られていった。
『くそ、マイナーコードにつられて音が霞む!』
『こっちは7連符にテンポを揺らされて指が持っていかれる!』
もともとの『神が愛した旋律』自体、非常に難易度の高い曲である。ほとんど練習時間のない中でも高レベルの演奏ができているのは、ひとえに今までの指導者のレベルの高さであろう。
運指が絶妙な速度でなんとか連符を奏でだすクラリネットたちも、ロングトーンでベースサウンドを吹きこなす低音域も、それそれに対応した妨害を受けつつも己の演奏を奏で切っていた。
だが、終盤に差し掛かろうとしたとき。
「あれ、見るッス!」
ビオナは眼前の繭をスティックで指し、注意を促した。
『……ほころび?』
白い雲のようなもやが上下を覆い、その間から見える真っ暗な雲母が水平に亀裂が入り、それが徐々に広がっていた。
『ダメージなのか、孵化の予備動作なのかが分からないね…… けど!』
リコードは指揮者の背後で起こっている様をアイコンタクトで全員に伝え、勢いを加速させる。
そんな彼らの音が通じたのか、ほころびは徐々に広がっていく。
『もうちょっと、もうちょっとで繭全体が……』
楽曲の演奏は、長引けば長引くほどに辛くなる。インターバルがあるかどうかも分からない今、出来る限り最小限の演奏で終わるために全力を出し切る必要がある。
『あとワンフレーズ!』
fineの記号があと少しと言うとことで、タクトたちは不思議な感覚にとらわれた。
ぴん、と空気が張り詰めたと思ったら、一瞬体がふわりと浮かんだような浮遊感に襲われた直後。
奏者全員、音が聞こえなくなってしまったのだ。
(……あれ?)
(ど、どうなってんのや?)
(おいおいおいおい、これはシャレにならねーぞ!)
耳がおかしくなったのか、頭がおかしくなったのか。それすら分からない状況で周りを見ると、どうも自分だけではないという不思議な安心感と焦燥感が全員を支配した。
(おい、あれを見ろ!)
深淵の繭はゆっくりと上下に伸び始め、中央の暗闇が徐々に広がっていくのをタクトたちは目の当たりにした。
(……っく! これは、『超音波』か!?)
繭の質量が大きくなる状況を観察し続けると、徐々に耳がとてつもない高音を感じ取り、すさまじい攻撃をされていることにようやく気が付いた。
(頭が、割れるっ!)
なおも続く高音域の音波は相当の範囲に届き、はるか眼下の地上すら倒れるものが現れ始めた。
『…… チ ガ ウ 』
(な、なんだ今のは)
どこからともなく、高音の超音波に乗って不可思議な音が響いてきた。
『モ ッ ト 、 ウ タ ヲ 』
(ウタ? 今のが? 何を言ってるんだ!?)
突如膨れ上がっていく繭。そして音とともに響く振動は、タクトたちの乗る劇場を大きく揺らした。
「うむ。うむ! そういうことか、なるほどのう! まだまだというわけじゃな!」
全員が想定していない演奏の中、内部に残っていたケルピアだけがより一層筆を動かしていた。
(こんな状況だというのに、よく筆が動きますね…… 羨ましい)
その様子を、リコードだけが見届けていた。
指揮も状況もブレブレだったが、一応『悠久』は最後まで演奏された。だが、繭の律動は未だ衰えず、さらに膨張を繰り返す。タクトたちは、もう手の施しようがなかった。
(演奏を封じられては、こちらのできることなんてたかが知れてる)
早々に楽器を下ろす者、まだ何かしらのロングトーンを紡ぐ者、やけになって何らかのソロパートを吹き始める者。だが、それはもう仕草以上の表現を持たず、もはや死を待つだけの集団になりつつあった。
そこでようやくケルピアは外の異変に気が付いた。彼女のそばにいた楽機がそれを告げたのだ。
「……ゆくのか? アキレシス」
楽機はこくりと頷き、主人の元を離れてタクトたちのいる舞台へと走った。片腕をなくし、まっすぐに走れない状態でも、彼はその身を全力で動かして指揮者へとたどり着いた。
(……その方は、確かあの女性の楽機)
アキレシスは残っている右手を開き、ゼフォンの前に突き出した。お前も掲げろと言わんばかりに開いた右手を差し出しているとゼフォンもそれに倣い、握っていた指揮棒を左手に戻して右手を開いて重ねた。
(!!)
突如、ゼフォンの視界が暗転し、何もない空間に飛ばされた。
(な、何だ此処は!?)
『音を導く者、ゼフォンよ』
(誰ぞ!?)
『時間がない。だが、貴方ならば辿りつける』
初めて聞く声。しかしゼフォンはその主が誰であるかをなんとなく理解した。
(なるほど…… 其方がすべての楽機の父『奏でる者』であるな?)
『この力、託す。どうか』
光の粒子がゼフォンを包む。かつて失った左腕を構成していた楽機のかけらすら包み込み、彼を新たな舞台へと誘っていく。
『最後に、幸せな音楽を』
その言葉を皮切りに、抑揚のない別の声がゼフォンの頭に響いた。
『奏者認証の権限を格上げ。補助演奏から操作演奏へ切り替え。認証システムをキャンセル。――発動します』
ゼフォンの全身が眩く光る。ほのかな赤みを帯びた光の帯が舞台全体を包み、再びゼフォンへと還っていった。そして彼は両腕を天に掲げ、大声で叫んだ。
『『天楽機化…… 全霊開始!』』
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