15-7 最後の大陸
タクトの中で、何かが弾けた。
それまで自分がぼんやりと感じていた何かを、一本の光の筋がまとめ上げ、突然一つになって頭の中を埋め尽くした。
「だから、『音』、なんだ」
「ほう」
女性はとても感心した様子でタクトを見つめた。
「初見でそこまで理解できるとは。よほど良い『音楽』に囲まれておったか? それとも――」
女性が続きを言おうとしたとき、突如タクトたちの耳に強烈な怪音が鳴り響いた。
「な、なんだこれ!」
「もしかして、コーディルス!?」
打楽器とも管楽器とも、あるいはそのどれにも当たらない動物にも似た爆音が部屋全体を揺るがす。
「おおお、これは!」
しかしそんな中でも女性は目を輝かせてペンを執る。
「ううむ、ううむ! 響く、伝わる、届く!」
「嘘だろ……」
しばらく続いた轟音の中を彼女だけが平気な顔をして立っていた。
「止んだか…… くそ、仕掛けてきたってのか!?」
「この距離じゃと、レーゼンツではないのう」
「は、はあ!? どう聞いてもここの上部に演奏食らったろ!?」
「この劇場は、世界のあらゆる音を拾う故、常人にはそう聞こえるようじゃのう」
女性はトロワスの激昂に笑顔で答えた。
「くそ、意味はわかんねーけどこのままここにいてても仕方ねぇ! みんな出るぞ!」
「確かに目的は達した。悪いなご婦人、先を急ぐもので!」
「まあ待て待て」
ノイゼルが立ち去ろうとしたとき、女性はペンをくるくると回す。空中の見えない綿をつむぐような動きは女性の周囲の空間を歪ませ、その中から一体の大きな楽機がのそりと現れた。
「終焉の時は確実に近づいておる。たまには間近で見るのも一興よ」
「まさか、ついてくる気!?」
シェリドが女性の意思確認をすると同時に拒否を示す。もちろんレイヤーコードのメンバーも明言しないだけで突然現れた女性と行動をともにする気などなかったが。
女性は現れた楽機に軽々と抱き上げられた。よく見ると左腕と頭半分がない。体型も随分と歪ではあるが、抱き上げた女性を守ろうという確固たる思いは伝わってきた。
「そういえば自己紹介がまだであったな。妾はケルピア・ヒリス。楽士隊組織連合にて楽曲書記に従事しておる」
「ケル…… ピア?」
その名を聞いたノイゼルは、顔を真っ青にした。さらにアンク、トロワス、シェリドも同様に。
「え、なに、知ってる人?」
「いや、そんなはずはない」
「なんやねんな、分かるように言うてぇや!」
「……まだ、天奏楽士団が三つに分かれる前の、初代天奏楽士団団長だ。実質的な組合の総元締めでもある」
ケルピアはニヤリと笑う。
「いやいやいやいや、何歳だよ」
さすがにその名を出されては放っておくこともできなかったので、一行は仕方なくケルピアを同行させた。ほぼ全員が釈然としない中、なぜかタクトだけは不思議な安心感があった。
降りるときはかなりの時間を要したが、戻るとなると意外と早く地上へ出ることができた。とはいえそれなりに時間が経っていたようで、遺跡を出た瞬間、全員がその違和感に気がついた。
「……なんだ、この雰囲気」
トロワスは、レーゼンツに来たときから感じていた閉塞感が、徐々に開放されている感覚に陥った。
「終わりのない繰り返しが、突如終わるみたいな」
カノンもその違和感に気がついたのか、
「どうやら、帳がこじ開けられるようじゃ」
ケルピアは厳かに天を仰ぐ。微かな光すら灯らぬ裏側の世界の空は今やうっすらと重い紺色に染まり、漆黒の時代が終わりを告げているのを彼女は感じた。
「止まっていた楽譜が再び拍子を刻み、新たな小節へと向かう。それは自然。それは必然。その先へ進むのを止めるのも、また音の摂理」
その言葉に、ノイゼルはゾッとした。
「……オレ様たちは音じゃねぇ。進むも戻るも俺たちが決める。音怪なんかと一緒にされたくねぇな」
遺跡を出たそのままの勢いで、タクトたちはフェルトマへ戻った。どこかで休憩を挟もうものなら、置いていかれるような気がしたからだ。
「成果は上々のようね」
無事を迎えたイズルエは、忙しそうになにかの準備に追われていた。
「何かあったのか?」
ノイゼルが聞くと『はぁ?』と言いたげな顔でイズルエは答えた。
「聞こえたでしょう? あの音! レーゼンツを覆う帳ももう持たなくなってるし、そのうちこの大陸は向こう側に戻るから、合流の準備!」
にこやかに、しかし手は止めず。元の世界に戻る喜びか、はたまた真の演奏への緊張か。タクトは、そんな母に声をかけた。
「母さん、もしかしたら力を借りることになるかも」
しかしイズルエはキョトンと息子を見る。そして、笑顔とともに言葉を返した。
「何言ってるの、親子でしょ。息子が困ってるのに、力を貸さない母親がいますか」
『世界、開きます!!』
親子の会話をよそに、レーゼンツの空が割れた。
濃い紺色だった空に、幾重にも光の筋が走っていく。超音波にも似た高い音が空から降り注ぎ、強い耳鳴りが脳の後方に不調を感じさせた。それに伴ってか、地面全体が水に浮かんでいるかのような浮遊感を人々に与え、足元がぐらついたかと思うと、唐突に目の前が真っ白になった。
『こ、これは? やはりここがレーゼンツか!』
一瞬の間をおいて、はるか上空から大きな声が聞こえた。
『やはりリコード殿の解析は正しかったと言うわけだな』
タクトは薄目を開ける。まばゆい光の隙間に落ちた影が、空に何かあることを示しているのだが、それ以上に空を見上げることができない。
『むう? もしかしてそこにおるのは、タクトらか?』
自分の名を呼ばれたタクトは、そこで初めて声の主に聞き覚えがあることに気がついた。
「もしかして、ゼフォン閣下!?」
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