15-6 人が作りし音
女性は持っていたペンを降ろすと、周囲に舞っていた紙がバサバサと落下する。
しかしそのどれもが意思を持った風によって運ばれるかのように、それぞれが机や棚に収まっていく。
「ん? 見ない顔だのう。其方らは組合の使いではないのか?」
「なんだ、あんた組合関係者か?」
ノイゼルはあからさまに不機嫌な態度を返した。そしてそれはタクトたちも同様だ。今の彼らはどちらかというと組合とも事を構えかねない第三勢力になりつつある。戦争を起こしたくも、収めたくもない。しかし、自分たちの求める結果を手に入れるためにはここにあるという楽譜がどうしても必要なのだ。
「はじめまして。俺たちはここに『神が愛した楽譜』があると聞いて譲ってもらいに来ました」
「ああ。ついさっきの音を聞いてようやく書けたところじゃ。持って行け」
「ウタ? そんなの聞こえてたっけ?」
カノンは道中の記憶をたどる。しかしそこに居るレイヤーコード一行には思い当たる記憶を持つ者はいなかった。
「悪いが、わからないことにかまってる時間はない。早い事第四楽章を渡していただけないか?」
トロワスは一歩前に出て女性に要求を通そうとつっかかった。だが、女性は軽く笑うとトロワスに向かって話しかけた。
「なんじゃ、そんな古い楽譜が欲しかったのかや? ほれ」
女性はぴん、とペンを真横に振るう。すると、体全身の皮膚がピリピリと痛み出し、妙に体が熱くなった。と、部屋の奥の方から無数の紙束がこちらに向かって飛散し、タクトらの手元にいくつか納まっていった。
「……第四楽章だ」
インクの染み具合からさっき書かれたものではない、恐らくは作曲された当時のものなのであろう、見慣れないパートも書かれている。
「……さっきの、『書き終わった楽譜』というのは?」
女性の言葉が気になったノイゼルは、興味本位で質問した。
「其方らは組合の人間ではないのであろ? なら話す必要はないのではないか?」
「確かに違う。だが、その楽譜がもしかしたら必要になる可能性もある。安心しろ。写譜したら組合にも渡すさ」
だから一番演奏をよこせ、とも聞こえるノイゼルの注文に、からからと女性は笑いながら同じような仕草でもって紙の束をノイゼルに持たせた。
「なんちゅうか、音もなくそんなことできるっちゅうんは手品か魔法みたいやね」
ネンディは舞い上がる紙束がノイゼルの手に収まっていく様を、なんとなく魔法、と表現した。
「魔法? 妾が其方らに楽譜を届けるこの技術が魔法とな? これらはすべて『音』ぞ?」
一同は、目が点になった。
「んな馬鹿な。何も聞こえないのに『音』って言われても」
アンクは真っ向から否定した。
「お主は紙に話しかけたことは無いのか?」
「いや、紙は返事なんか返ってこないし……」
「そこのベースメーカーの女子は、空に語りかけて自らを受け止める様を描いたではないか」
女性の言葉に、全員が体を硬直させる。
「いやだって、アレは『神が愛した旋律』の一節であって……」
「違う、それが可能なら音楽でこれらの動作も可能だってことだ」
「でもあの方は音と言う概念とはまた別のアプローチをされてませんか?」
「ごちゃごちゃ喧しいのう!」
女性は、今度はペンを頭上に構え、すっと下へ向けて振り下ろした。途端、タクトたちが話す声の一切が聞こえなくなった。
「……!?」
「……??」
「よいか? この世界の全ては音でできておる。『創造の神サレインは、その重き音を大地に、高き音を空に変えた』と」
世界史でも習う、世界の始まりの一節。
(レイヤーから聞いた話だ)
タクトはその一節を、今でも覚えている。
「音とは振動、すなわち波動。動く者動かぬ物、この世に存在するすべてのものは、波動として表現することができるのじゃ。波動は、別の波動を受ければ必ず返事をする。ただし、反応できる波動には限りがあるのでのう」
(波動?)
(波ってこと?)
「試しに其方ら、手を挙げて見よ」
言われてタクトたちは手を挙げた。
「ほれ。妾は其方らに理解できる波動でもって『手を挙げよ』と申すれば、それを聞き入れ動いたではないか」
カノン、アンク、シェリドは頭をかしげる。
(あ、確かに手、あげてもうたわ)
ネンディはその事象のみを理解したが、トロワス、ノイゼルはその本質に気が付いた。
(連鎖波動だ! ペンが周囲の空気に作用して、その結果紙に向かって動作を促進させてたんだ!)
(波動翻訳、だと!? 直接動作をさせるのではなく遠隔で伝える技術があるとでも!?)
女性はクン、とペンを上に持ち上げる。タクトらの場に停滞していた空気の振動が元に戻る。
「理解、したようじゃな」
しかし、タクトは僅かに疑問を抱いた。
「あの、それならなぜ神は人を作ったんでしょう?」
「小僧、いま何と申した?」
気のせいか、女性は嬉しそうな声でタクトに質問した。
「え、だから、波動ってやつで全部うまくいくんなら、わざわざ音の制御がへたくそな俺たちみたいな人間をどうして作ったんだろう、って。それなら音怪が生まれないようにできるはずだし、そうなっててもおかしくないのに」
女性はにこやかな笑顔を添えて、タクトの疑問に答えた。
「それゆえ、人が奏でる音を『音楽』と呼ぶのじゃ」
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