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 さてさて、話は豪快に飛んで、で、開幕戦はすでに九回の表だった。

 試合は1対0で彼のチームがリード。ところがツーアウト、ランナー無しから、エラーやら球審の「微妙な判定」でのフォアボールやらで押さえの某投手が突如乱調となり、瞬く間に満塁となってしまった。

 ツーアウト、ランナーなしから、クローザー演ずる「劇場」の開演である。

 だけど、そうはさせじと、そこでいよいよ彼の登板となったのだ。


 ちなみにその「微妙な判定」をしていた球審こそ、偶然にも彼が魔法のピッチングフォームでボールを「投げつけて」しまった審判、その人だった。 

 それで彼は一抹の不安を感じながらも、いよいよ池乃下球場のマウンドへと向かった。

 一部に「ドームに雨が降る」との流言飛語も広まっていて、彼の登場とともに、スタンドの一部では傘の花が開いた。

 そういうことはどうでもいいが、ともかく、彼の魔球で三球三振というのが彼、そして監督のもくろみだ。


 それからマウンドで彼は規定の投球数を普通のフォームで軽く投げ、すぐに肩慣らし完了。

 いよいよ甚平さんの大根畑で鍛えた魔球が秘密のベールを脱ぐ時が来た。

 監督、コーチ、選手らは固唾を呑んで見守った。

 それは彼のこれまでの努力(バレー、トランポリン、とび職、甚平さんの畑、等など)が報われる瞬間の筈だった。


 そして彼はセットポジションに構え、それから膝を深く折り曲げ、一度大きく沈み込んだ。

 ボールを持った彼の左手は、彼の左の足首に絡みつくほどだった。

 それから軸足で力いっぱいマウンドを蹴り、六十度の角度で空中へと舞い上がった。


 そして彼は空中での姿勢を整えた。

 その時彼の脳裏には、筋トレやランニングやバレーの練習やトランポリンの練習やとび職の見習いやらの、あの苦しかった日々のことや、甚平さんの日焼けした笑顔や、ニッカボッカ姿のとび職仲間らの姿や、親方の顔までが走馬灯のように浮かんだ。


 しかし彼には、思い出をかみしめている余裕などはない。気を取り直した彼は、それから大きく左腕を振り上げた。

 まるでバレーのスパイカーのような姿勢だ。

 そして彼は、その腕を一気に振り下ろした。

 すると考えられないような急角度の剛速球が、キャッチャーミットに納まった。

 バッターは呆然とこの球を見送った。

 その直後、地面に降り立った彼は、小さくガッツポーズをした…


 だが次の瞬間、球審は意外にもボークを宣告。

 各ランナーは進塁し、三塁ランナーはホームインした。

 それから両軍の監督、コーチ、選手も入り乱れ、てんやわんやになった。


「僕はちゃんとセットポジションで投げたじゃないですか!」

「せやせや。こいつはセットポジションでちゃんと静止しとりましたで」

「だめだだめだ。反則投球だ。ボークだ!」

「どうしてですか? ボークなんかじゃありませんよ!」


 それからはホームベース付近でやいややいやと押し問答になったが、球審は彼らの抗議を振り払い、バックネット近くに移動し、マイクを片手に説明を始めた。

「只今のプレーは、投手が空中に舞い上がってから投球動作を開始したと考えます。本来投手はプレートに触れて投球を開始しなければならず、この場合、反則投球と見なします」


 スタンドからどよめきが上がった。

 そしてそれからも彼らはその審判に詰め寄り、抗議を続けた。

「僕はちゃんとセットポジションで、プレートにも触れていました!」

 しかし審判も一歩も引かなかった。

「君が投球動作を開始したのは、空中に舞い上がってからだ!」

「違います。僕はちゃんとプレートに触れて、それから…」

「百歩譲って、仮にプレートに触れていたとしても、投球動作は一連の動きでしかもスムースに行なわなければならないのに、君の投球動作は、いきなり飛び上がったりするなど、『一連』でもなければ『スムーズ』でもない。こんなもの、二段モーションより余程たちが悪い!」

「だけど…」

「いずれにしても、空中へ舞い上がるということは、軸足をプレートから外すということだ。プレートを外せば、野球規則上君はもはや『投手』ではない。投手ではない君は、もはや打者に向かって『投球』することは許されない。考えてみれば、何から何まで反則投球だ! これはもうでたらめだ!」

「そんな…、僕はこの魔球のために、どれだけ努力したと思っているのですか!」

「せやせや。こいつはでんなぁ、えらい努力したんでっせ」

「せっかく僕が、あんなに苦労して作り上げた魔球なのに…」

「そんなことは全く関係ない。ごちゃごちゃ言うな。俺は、あんなでたらめなピッチングフォームなど絶対に認めない。俺がルールブックだ!」

「だけど…」

「これ以上抗議を続けると遅延行為とみなし、退場を命ずるぞ!」


 審判のその「退場」という言葉に彼は愕然とし、そして彼の心は一線を越してしまった。

 彼は、「いいいいいいいいいいいい!」と叫びながら、審判に掴み掛かろうとしたのだ。

 だがもしもこのまま掴み掛ったとしら、彼は二度目の暴力事件を起こすことになる。

 魔法のピッチングフォームの「暴走」ではなく、今度は正真正銘の暴力事件だ。

 もしそんなことをしたら…


 しかしその瞬間、何者かが怪力で彼を後ろから羽交い絞めにし、彼は全く身動きが出来なくなった。

 そして彼を羽交い絞めにした人物は誰あろう、この年からこのチームの、もう一人のピッチングコーチとなっていた、あの「怪力コーチ」だった。

「やめとけ。暴力事件はもうこりごりだ!」

 

 魔球スパイクのために、鍛え上げられた彼を押さえつけることが出来たのは、おそらくこの怪力コーチ意外にいなかっただろう。

 ともかくこの場にこの人がいたことは奇跡だったとしか言いようがない。それはもしかして、神の思し召しだったのではないだろうか…

 とにかくぎりぎりで彼は、破滅への道から救われたのだ。


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