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それからはっと我に返った彼は、その怪力コーチの言葉に素直に従った。
そして彼は審判に土下座して謝った。
我に返れば、彼は自分が暴力を振るおうとしたその審判に対し、申し訳ない気持ちでいっぱいだと気付いたのだ。
それから彼は、とぼとぼとマウンドへ戻り、両手で丁寧にマウンドをならした。
そしてすたすたと歩いてベンチに戻り、呆気に取られたチームメートの間をするすると通り抜け、ベンチ裏でゴミ箱に一発蹴りを入れ、それからロッカールームでそそくさと着替えると、関係者用の小さなエレベーターでこそこそと池袋駅に出て、七番ホームから山手線外回り田端上野東京方面に乗り東京駅に着いた。
そして将来のことを考え、無駄遣いをしないようにと、23時10分東京発快速「ムーンライトながら」で大垣駅まで行き、その後各駅停車を乗り継いで、待ち時間があまりに長い時はヒッチハイクも使い、途中、駅に二泊し、ホームレス生活で慣れた野宿も一泊。とにかく四泊五日を掛けて故郷に帰った。
実家に帰った彼はその夜、自分の部屋でひとり、珍しく大酒を飲んだ。
あれほどやった練習。甚平さんの大根畑の特訓。
とび職…
三年間、寝る間も惜しんでやったすべてが…、すべてが無駄だった。
あの特訓は一体何だったのだろう?
投手など、もうこりごりだ。
彼はそう思い、絶望し、服を着たまま、歯も磨かず、布団も敷かず、ちゃぶ台を蹴飛ばして、そのまま寝た。
翌日、彼は昼前に起きた。
それから着たままの服を着たまま、甚平さんの大根畑へ行き、甚平さんの鍬で、マウンドとネットを完全に破壊した。
涙が出てきた。
それから彼は破壊されたマウンドで大の字になった。
見上げると悲しいほど青空だった。
鍛え上げられた自分の肉体がうらめしかった。
やはりこの言葉しか頭に浮かばなかった。
(すべてが無駄だった…)
彼のまぶたに、とび職の親方の顔が浮かんだ。
突然、どろんと煙が上がった。
またあの人だ。いや、人ではない。
仰向けに寝転んだ彼には、見上げるような「大魔神」に思えた。
そして魔人は意外な事を言い始めた。
「そう無駄でもなかったと思うがのう」
「そうでしょうか?」
「無駄になったのはパンタグラフだけじゃな。もう外した。まあよい。それにしても久しぶりじゃのう」
「今の僕に何をしてくれても無駄だと思いますよ」
「そう言うな。実はちょっとお前さんに逢わせたいお方がおるのじゃ。魔界の者じゃないぞ。正真正銘の人間じゃ。もう亡くなったお方じゃが」
「亡くなった方?」
そう言うと彼は飛び起きた。
「まさか、僕を霊界にでも…」
「わしは時を越えることも出来るのじゃ。ちょっと訳アリじゃが」
「また訳アリですか」
「まあよい。とにかく今から1964年に出発じゃ。あるお方に逢わせてしんぜよう」
「僕を過去の人に逢わせる?」
「そうじゃ。人間じゃが野球界では神様仏様と言われておったお人じゃ。まあよい。とにかく付いて来い」
それから電天様は彼の右腕を掴んだ。
その直後、その「マウンド跡地」にどろんと煙があがった。
そして二人の、いや、一人の人間と魔人の姿は消えていた。
美しい青空の下、甚平さんの鍬だけが転がっていた。
とにかく彼らは過去へ旅立ったのだ。
神様仏様と言われた、「その人」に逢うために…




