1576年3月 豊後にて不穏な噂を聞く
文禄四年(1576年)三月 豊後国府内
文禄四年三月八日。毛利元就の四十九日法要に出席した高秀高の子、快庵宗密はその足で九州は豊後国に赴いた。この地は大友宗麟の領国で宗麟は臼杵にある丹生島城に本拠を構えていた。その中で宗密はかつての大友家の本拠・大友氏館がある府内に足を踏み入れると、府内の中にある妙心寺派の寺院・万寿寺を訪ねた。
「おぉ、そなたが宗密殿か。」
「これは禅師、お世話になります。」
宗密を出迎えたのは同じ宗門で万寿寺の住持を務める怡雲禅師である。怡雲は宗密を本堂へと招くと、すぐさま本題を切り出した。
「どうじゃな宗密殿。この府内は?」
「はい…やはり切支丹や伴天連の者たちが市内の至る所に居りまする。」
「そうであろう。宗麟様が当主になって以来、大友家は南蛮との貿易を主導してその富を一手に抱え込んでいる。のみならず宗麟様は博多の商人と手を組んで明や朝鮮と貿易を行っておる。」
「明や朝鮮?」
宗密が怡雲の言葉を復唱して尋ねると、怡雲は首を縦に振って頷いた。
「如何にも。耳に挟んだところでは宗麟殿は自らを「日本国王」と勝手に称して貿易の富を独り占めしておる。しかも…宗麟殿は幕府に隠れて密貿易を行っておる。」
「密貿易…ですか?」
怡雲の口から発せられた「密貿易」という言葉に宗密が反応した。それは大友家が幕府に隠れて私的に利益を得ていることであり、怡雲の口から発せられたのはその驚くべき実態であった。
「うむ。宗麟殿は明との貿易の際に、密かに明から輸出を禁止されている金や銀、銅といった物を仕入れ、それをこの豊後で鋳造しなおして資金に回しているという。これは幕府にとって初耳であろう?」
「そこまでの事をして…宗麟殿はいったい何をしたいのですか?」
目の前に座している怡雲から宗麟の悪行ともいうべき所業を聞いた宗密は、意を決して怡雲に宗麟の真意を訪ねた。
「分からん…だが臼杵から聞こえてくる噂は、そなたにとって芳しくない報告ばかり。なぜならば宗麟殿はその貿易で得た金や銀などを密かにどこかへ回しているそうじゃ。」
「まさか…織田信隆?」
宗密が父・秀高の宿敵である人物の名前を出すと、怡雲はその名前を聞くや周囲の様子を窺うように首を振り、誰もいないことを確認してから答えた。
「…如何にも。もっとも今は髪を下ろして隆道という尼僧になっているそうな。」
「隆道…仏門に入ってまでも我が父の命を狙いますか。それで?宗麟殿は隆道に援助を?」
この宗密の言葉に対して、怡雲は首を縦に振って頷いた。
「まぁ宗麟殿も表立って援助するという事はせん。裏でひそかに動いているのは重臣の田原親宏殿や田原親賢殿といった宗麟殿側近の重臣たちじゃ。」
「田原…では他の重臣たちはこのことを?」
「知らん。いや、むしろ重臣たちは隆道への支援のみならず、宗麟殿が密貿易を行っていることすら知らぬ。」
このことを聞いた宗密は大友家中が一枚岩でないことを即座に悟った。いや、むしろ宗麟の内意を受けた田原らが動いている方が問題だったのである。怡雲は目の前で聞き入っている宗密に向けて言葉を続けた。
「戸次道雪殿をはじめ、吉弘鎮信殿、吉岡鎮興殿、佐伯惟教殿ら多くの重臣たちはこれらの事実を知らされておらん。特に道雪殿は宗麟殿に諫言できる唯一の存在。そんな御仁まで知らされていないのは…。」
「その噂に信憑性が付く、ですね。」
宗密は怡雲の言葉を聞いてこういうと、ふと本堂の中にあるご本尊の方を振り向いてから、ご本尊の方に視線を向けたまま怡雲に対して、そのような行動をとる宗麟の理由を推測して語った。
「そこまでするという事は、やはり宗麟殿は先年の幕府での一件を?」
「うむ。そなたの申す通りじゃ。」
宗密が持ち出した「幕府の一件」とは、二年前の文禄二年に大友家の重臣たちが名古屋城に赴いて大友家が主張する領域の知行安堵、ならびに南蛮貿易の貿易許可の朱印状発行を求めた際に幕府から朱印状が欲しければ、その領域の大名や国人たちから大友家の傘下に入る事を承諾した旨を取り付ける事だと将軍・秀高から言われた一件である。無論、これを聞いた宗麟は激昂して「成り上がりに服属せず」と反抗を心に決めるやひそかに信隆…隆道への接触と支援を始めたのである。
「宗麟殿の怒りは使者に赴いた重臣たちの前では見せなかったが、密かに嫡子の義統殿や田原殿には激しい怒りを見せたという。それほどおぬしの父に虚仮にされたと思ったに相違あるまい。」
「なるほど…逆恨みも甚だしいですね…。」
宗麟の事を耳にした宗密はやや呆れるような声色でそう発した。するとそれを耳にした怡雲は口に手を当てて宗密に声を発さないよう注意した。
「そのような事をここで申されるな。府内には宗麟殿の意に従う者も少なくない。そう申されれば貴僧の命はござらぬぞ?」
「分かっています…ですがそれが真ならば、なおさら我が父のお耳に入れねばなりませぬ。」
宗密がそう言うのも無理なかった。そもそも元就の四十九日に来たのも幕府の名代としてきたのであり、豊後にてその噂が確かな事であると知った今ではそれを父・秀高に報告するのは自然の事である。その言葉を耳にした怡雲は宗密に向けて言葉をかけた。
「それをそなたの父が知ったとなれば、大友家は如何相成る?」
「最悪お取り潰しも已む無しかと。」
怡雲は宗密からその処遇を聞くと、苦虫を嚙み潰したような苦い顔をして言葉を発した。
「そうか…それも致し方ないか。」
「はっ。ついては怡雲殿に一つ頼みがあります。」
「…何か?」
そう怡雲が尋ねると、宗密は頭を下げて頼みの内容を伝えた。
「大友家中の中でも大友家の存続を願う重臣たちは数多くいるはず。よって怡雲殿はこれら重臣たちに接触し、可能ならば宗麟殿を翻意させて幕府への臣従に導くよう働きかけてくだされ。」
「はて…それをしたとて宗麟殿が耳を貸すかどうか…。」
怡雲はかつて宗麟の剃髪を行った関係上、宗麟の人となりを知っていた。それゆえ宗麟の本意が難しいことを宗密に向けて間接的に伝えると、それを見た宗密は怡雲に向けて深々と頭を下げた。
「何卒、そこを曲げてお頼み申し上げます。これも全ては大友家のためです。」
「そうか。ならば拙僧も腹を決めよう。重臣たちへの働きかけはこの怡雲にお任せを。」
「はい、何卒お頼み申します。」
怡雲からの返答を聞いた宗密は、再度怡雲に向けて頭を下げた。こうして隆道への支援を密かに行っている宗麟への翻意を怡雲に任せた宗密はその日のうちに豊後を出国。一路尾張へと帰国していったのである。




