1567年3月 多聞山・興福寺の戦い
永禄十年(1567年)三月 大和国興福寺
翌永禄十年三月十日。多聞山城と興福寺の中間に広がる平野に二つの軍勢が相対すように布陣していた。多聞山城の方角には小高信頼を総大将とする軍勢が鶴翼陣形に布陣。松永久秀・北条氏規の隊が右翼に、長野藤定の隊が左翼に布陣して、総勢二万余りが柵を構築してその裏に潜むようにして今か今かと敵を待ち受けていた。
一方、興福寺前面に横列隊形で陣取る興福寺衆徒の軍勢は、中央に筒井順慶、右翼に越智家増、左翼に箸尾高春ら筒井・越智の従属国衆ら総勢一万余りが槍を片手に小高・松永勢と相対していた。
「殿!ここは先日も申した通り奇襲しかありませぬ!」
その筒井勢の中で島清興が馬上の順慶に対して奇襲を進言すると、順慶は馬上から意見を述べて来た清興に対して退けるように言葉を返した。
「ええい、くどいぞ左近!事ここに至っては正々堂々と刃を交えるほかはない!」
「敵は二万に対してこちらは一万!このまま戦っては無駄死にをするだけですぞ!」
なおも食い下がろうとする清興のこの言葉を聞いた順慶は、馬上から清興に軍配を向けると主君として指示を下した。
「左近!一刻も早く持ち場に戻れ!こちらから小高の軍勢に攻め込む!」
「殿…くっ!」
清興は断固拒絶するこの順慶の様子を見ると、歯ぎしりをした後に自身の持ち場へと戻っていった。その後姿を順慶は近くにいた将兵に聞こえるように大声で馬上から下知を下した。
「良いか!これ以上松永と小高に良い顔をさせるな!法螺貝を吹け!槍隊前へ!」
この下知を受けると筒井勢の足軽たちは喊声を上げて応え、法螺貝の音を合図に前面にいた槍を持つ足軽たちが切っ先を敵の方向に振り下ろすと、そのまま隊列を維持しながらゆっくりと前進を開始した。
「…小高殿、法螺貝が敵陣から聞こえて参りましたぞ。」
一方、筒井勢の前面にて急ごしらえの木柵の裏にて久秀が信頼に話しかけると、信頼は兜の眉庇を上げてゆっくりと迫ってくる筒井勢の様子を見た後に久秀に対して言葉を返した。
「松永殿は自陣に戻ってください。本隊が撃ち掛けたとの同時に攻撃を。」
「心得た。」
そう言うと久秀は信頼に対して頭を下げると、そのまま振り返って自陣の所へと帰っていった。やがてゆっくりと迫る筒井勢が目視で見える距離まで見えると、柵の裏で家臣の塙直政が信頼に対して言葉をかけた。
「殿、参りましたぞ…」
「うん。鉄砲隊、構え。」
直政の言葉を受けた信頼は、自身の背後にて控えていた鉄砲隊を柵の傍まで近づかせると、二列縦隊で鉄砲を筒井勢の方向に銃口を向けて構えさせた。そして目視できる距離まで近づいてきたことを確認した信頼は、手にしていた軍配を振り下ろして号令を下した。
「撃てっ!」
その号令と同時に一列目の鉄砲足軽が一斉に引き金を引き、銃弾を筒井勢に向けて放った。その銃弾を受けて筒井勢の足軽がバタバタと倒れたのを確認すると、信頼は矢継ぎ早に指示を下した。
「射手を交代!二番手構え、撃てっ!」
この信頼の指示に答えるように二番手の鉄砲足軽も引き金を引いて銃弾を放った。銃弾は駆け足を始めた筒井勢の足軽に次々と当たり、その被害の様を目の当たりにした順慶は馬上から声を上げた。
「あれが先の山崎の戦いで三好を打ち破った鉄砲戦術か!者ども怯むな!味方の屍を越えて柵に取り付け!」
順慶の言葉を受けた筒井勢の足軽たちは、味方の屍を踏み越えて果敢にも小高勢に襲い掛かったが次々と放たれる銃弾の前に一人、また一人と倒れて行き、例え取り付いたとしても柵から出てくる槍の前にあえなくその命を散らした。この小高勢の戦いと同時に右翼・左翼も迫りくる興福寺勢に銃弾を放ち、ついに本格的な戦が始まったのである。
「よし、氏規勢に向けて狼煙を上げて。」
「はっ!」
その中で信頼は戦の推移を見ると直昌に対して一筋の狼煙を上げるように指示した。それを右翼の位置で見ていた北条家臣・多目元忠が主君の氏規に言葉をかけた。
「おぉ、殿。狼煙が上がりましたぞ。」
「よし。我らはこれより敵左翼に斬り込む!綱成殿、綱高殿!先陣は任せましたぞ!」
元忠の言葉の後に信頼勢の方角から上がる狼煙を確認した氏規は、その場にいた北条綱成と北条綱高に対して声を掛けると、綱成は話しかけてきた氏規の方を振り向いて即座に返答した。
「おう!行くぞ綱高!」
「必ずや兜首を上げて御覧に入れる!」
綱成の言葉を受けて綱高が意気込んで氏規に発言すると、両名とも手綱を引いて馬を駆けさせて前線へと躍り出ていった。この北条勢の動きは右翼に攻め込んでいた箸尾勢の側面を突くものであり、この斬り込みを受けた箸尾勢は混乱状態に陥ったのである。
「北条勢が敵左翼に斬り込みましたぞ。」
この様子を小高勢の中で見ていた富田知信が主君信頼に対して言葉をかけると、信頼は知信と共に北条勢の動きを見た後に言葉を発して反応した。
「分かった。こちらも切り込むとしよう。長槍隊は前に出て応戦を!」
「ははっ!!」
するとそれまで鳴り響いていた火縄銃の銃声がぱたりと止み、それと同時に柵の裏から小高勢の長槍隊が筒井勢の目の前に躍り出た。それを目視で確認した松倉重信が長槍隊の方に指を指しながら順慶に向けて話しかけた。
「殿!小高勢が槍隊を繰り出して参りました!」
「来たか!者ども、槍衾を組め!敵の槍隊を切り崩せ!」
この報告を受けて待ってましたとばかりに喜んだ順慶は、槍隊に隊形を整えさせて目の前から来る長槍隊と組み合わせた。しかし筒井勢の槍隊に比べて二倍もの長さを誇る小高勢の長槍隊の前に、筒井勢の槍隊は敵を突くことも叶わずに次々と倒されていった。
「駄目です!敵の槍の方が長く、こちらの槍が全く届きません!」
「おのれ…小高信頼め…」
馬上にて味方が苦戦する様を目の当たりにした順慶であったが、その後の戦況は最早決したと言っても過言ではなかった。やがて右翼・左翼の味方が破られたとの報に接した順慶は撤退を下知、生き残った家臣と共に戦場から離脱していった。
「殿!長野勢より分部光高殿が参られましたぞ!」
「光高殿が?直ぐにここに!」
その筒井勢の後退を見届けていた信頼の所に、直政が報告を告げに来た。信頼は報告を受けるとすぐさまここに連れてくるように直政に命じ、直政は信頼の元へ報告に来た分部光高を連れてくると、光高は信頼の姿を見るなり戦果を信頼に向けて報告した。
「信頼殿、吉報にございますぞ!我ら長野勢が越智勢を打ち破り、敵将・越智家増を討ち取りましたぞ!」
「おぉ、よくやってくれました。さすがは長野勢です。」
長野勢が越智家増を討ち取ったとの報に接した信頼は、報告に来た光高を労うように言葉を告げた。するとその時、異変を感じ取った知信が信頼の所に駆け込んできた。
「殿!南東方向より数百の騎馬隊がこちらに斬り込んで参ります!」
「騎馬隊が?」
信頼がその報告を受けて南東方向に視線を向けると、その先から土煙を受けて数百ほどの騎馬武者がこちらに向けてやってきていた。そしてその騎馬武者の先頭に立つ一人の若武者が、馬上から槍を振って立ちはだかる小高勢の足軽に向けて名乗りを上げた。
「ええいどけ!筒井家臣、島左近清興なるぞ!」
「島左近…!?」
その名前を聞いた信頼は驚いた。何を隠そう、自身の所に槍をかざして攻め込んでくるのは、後の世で「三成に過ぎたるもの」として挙げられていた名将の島左近その人であった。その清興が自身の元に近づいてくることに信頼は恐れをなし、その場から全く動けなくなってしまった。やがて清興は敵中深くまで切り込むと信頼の姿を認めて声を発した。
「おうっ!あれが信頼か!御首頂戴!」
「信頼殿危ない!」
その清興が信頼に近づいて槍を突き出したその時、立ち尽くしていた信頼を庇う様に光高が左近の槍を受けた。
「何っ!?自ら盾になったと!?」
「信頼殿…ご無事で…なにより…」
清興の突き出した槍を抜かれた後に、光高がそう言って信頼の目の前にどうっと倒れ込むと、その姿を見て信頼が倒れた光高に声を掛けた。
「光高殿!!」
「左近様!敵の新手が押し寄せて参ります!」
するとその時、清興の元に味方の騎馬武者が駆け寄って戦況を伝えた。それを聞いた清興は悔しがると槍を引き、光高の亡骸の側にいた信頼に向けて言葉を吐き捨てた。
「ええいここまでか!信頼、その命は預けたぞ!」
そう言うと清興は騎馬武者と共にその場を去っていき、突入時と同様に立ちはだかる小高勢の足軽を蹴散らして戦場を離脱していった。その清興が去ったあとに直政がその場に座り込んでいた信頼の側に駆け寄って声を掛けた。
「殿!お怪我は!?」
「大丈夫。だけど僕を庇って光高殿が…」
そう言って信頼が自身を庇った光高の亡骸に手を置いて嘆いていると、その傍に早馬が駆け込んできて大将の信頼に向けて報告を述べた。
「申し上げます!お味方は敵を打ち破って大勝利!敵勢総崩れとの事!」
「…そうか。各隊に伝令を。追い打ちはかけずに自制する様にと。」
「ははっ!」
この下知を受けた早馬はその命令を各隊に伝えに向かい、そしてその場に残った信頼は自身を庇ってくれた光高の冥福を祈るようにゆっくりと目を閉じたのであった。
ここに「多聞山・興福寺の戦い」は小高・松永勢の勝利に終わった。小高勢が討ち取った兜首は数百に上りこれによって興福寺衆徒は壊滅的打撃を受けた。
しかしこの戦で信頼を庇った光高がその命を散らし、戦後信頼は分部家の家督を養子として入っていた分部光嘉に継がせて亡き養父の菩提を弔うように命じたという。