1567年3月 興福寺の衆徒
永禄十年(1567年)三月 大和国興福寺
永禄十年三月九日。小高信頼が松永久秀の居城である多聞山城にて軍議を開いていたのと同じころ、多聞山城より十一町(約1kmほど)先にある興福寺の境内にて、興福寺衆徒でもありながら筒井城の城主でもある筒井順慶が多聞山城の方角を睨みつけながらその場で仁王立ちしていた。
「おのれ松永め…高家の援軍を得て我らを攻め滅ぼさんとするつもりか。」
境内に立つ小さな堂の基壇から遠方に見える多聞山城の天守閣を見つめながら、順慶が腕組みをして睨むようにしてそう発言すると、その発言を傍らで聞いていた家臣の松倉重信、通称右近が主君である順慶に対して言葉を発した。
「殿、十市殿が松永や幕府方に馳せ参じて以降、興福寺衆徒らの中には不協和音が見え隠れしておりまする。このままでは多勢に無勢ですぞ。」
「何を言うか!興福寺のこの伽藍が焼け落ちようとするのを黙って見ていろと申すのか!右近、その方が弱気でどうする!」
順慶が意見を挟んできた重信の方を振り返り、重信の事を指差した後に言い返すと重信はその反論に一切怯まずに順慶に対して更に言葉を返した。
「殿!既に松永には柳生・岡・井戸などの中小豪族が馳せ参じておりまする。興福寺衆徒の数が多いとは申せど、この差はいかんともし難いですぞ!」
「…よもやこのような状況に追いつめられるとはな。」
そう言うと順慶は重信を背にして振り返ると再び腕を組み、多聞山城の方角を再び見つめながら独白を語った。
「三好の配下であった松永が幕府方に恭順し、幕府よりであったこの興福寺がそのせいで三好と手を結ぶことになろうとはな…。」
この独白を、重信の傍らにて二人の武将が苦慮の面持ちで聞いていた。一人は慈明寺順国、そしてもう一人は福須美順弘。いずれも順慶の叔父にあたる人物である。そんなところに遠くから一人の武将が駆け寄ってきて腕組みをする順慶に対して報告した。
「殿!多聞山城の軍勢に動きありとの報せ!」
「何!?それは真か左近!」
この武将、名を島清興という若武者で、通称の左近と組み合わせて島左近と呼ばれている。この清興は先の松倉右近と共に「右近左近」と呼ばれる筒井家中でも名の知られた家臣であった。そんな清興は主君である順慶に対して外の様子をつぶさに報告した。
「既に多聞山城内では各所に炊煙が上がりはじめ、また多聞山城外の前面に敵が野営の準備を進めておりまする!」
「という事は…久秀め、我らと一戦交えるつもりか!」
清興の報告を聞いた後に順慶が自身の眼で、多聞山城から上がる一筋の炊煙を確認して意気込むように言葉を発すると、清興はそんな順慶に対して一歩前に進んで進言した。
「殿!このままこの動きを見過ごせば我らの士気に関わりまする!何卒この左近に先駆けの許可を!」
「ならん左近!奴らが城を出て野戦に打って出るのならば好機!ここは興福寺を背にして正々堂々と戦をしかけ、久秀と信頼に一矢を報いるのみ!」
「殿!それは無謀というものにございますぞ!」
「何っ!?」
清興の意見を退けた順慶の言葉に、清興が諫言するように口を挟むとその場に筒井家臣の森好之が現れて順慶にある事を報告した。
「殿、多聞院の英俊さまが各衆徒をお呼びにございます。何卒中金堂へお越しください。」
「相分かった。右近、左近!我らが筒井勢の戦支度を整えておけ!明日の戦で鼻持ちならん久秀を打ち破る!」
好之の報告を聞いた順慶は相づちを打って承諾すると、その場に控えていた重政と清興に対して戦支度を進めるように下知すると、報告に来た好之と共にその場を去っていった。その後姿を見送る清興は去っていく順慶の姿を見ながら言葉を発した。
「殿…。」
「左近、明日の戦はお前の裁量に任せる。万が一の際には順慶様をお助けせよ。」
「…ははっ。」
その清興に対して一門の順弘が声を掛けると、清興は順弘の方を振り返って返事を順弘に返し、来る信頼と久秀の戦に備えるために重政と共に自身の将兵たちの所へと向かって行ったのだった。
「ではどうあっても幕府方と戦うと?」
興福寺の中央部。境内の中で最重要な建物である中金堂にて声が上がった。声を上げたのはこの興福寺の別当に代わってこの衆議を取り仕切る英俊であり、その英俊に向けて興福寺衆徒の越智家増がその場で声を上げて敵の方角を指差しながら言葉を発した。
「然り!敵は前面に立つ久秀の多聞山城に入城した!事ここに至っては興福寺を守るために戦うべきである!」
「家増殿の申す通り!ここで敵に我らが武勇を見せつけ、気概を示す時にございます!」
家増に続いて順慶が血気盛んに英俊に発言すると、その二人に同調するように衆徒の中から続々と抗戦すべきとの声が上がった。その意見を受けながらも英俊は声を制した後に順慶に向けて忠告を述べるように言葉を返した。
「しかしそれではこの興福寺の境内や、隣の大仏殿とて無事では済みませぬぞ?」
「…敵に膝を屈するくらいなら、意地を通して抗戦するのみ!これはここにいる衆徒の総意にございます!」
順慶の言葉の後にその場にいた衆徒の殆どが目を滾らせて英俊に向けて闘志を示すと、英俊ははぁ、とため息を一回ついた後に順慶ら衆徒に対して言葉を発した。
「分かりました…そこまで言うのならばお止めはしません。戦いましょう。」
「おう!」
この英俊の言葉を受けるとその場の空気は沸き立つように燃え上がり、皆々小高勢と戦う熱気に満ち満ちていた。そんな衆徒たちの空気を受けた英俊は衆徒たちに向けて下知を告げた。
「方々はこの興福寺の北方、多聞山城方面に向かって布陣していただき、興福寺と東大寺を守るように陣取りをお願いいたします。」
「ははっ!!」
この下知を受けたその場の衆徒の面々は、血気盛んな家増や順慶の後に続いてぞろぞろとその場を後にして各々戦いの準備をし始めた。一方、一人その場に残った英俊は去っていった衆徒たちを冷ややかな目で見た後に、その場に残っていた一人の僧侶に小さな声で語り掛けた。
「…これ、そこの者。」
「はっ。」
僧侶は英俊の呼びかけに応じて英俊の側に近づくと、英俊は袈裟の中から一巻の巻物を取り出して僧侶に手渡すと声量を低くしながら命じた。
「これを小高信頼殿に届けてくれ。一応渡りだけは付けておきたいと思う。」
「畏まりました。」
この命令を受けた僧侶は挨拶を返した後に、足早にその場を去っていった。英俊はその去っていくのを確認した後、開けられている中金堂の扉の向こうに広がる境内の様子を見つめながらこの後の推移を見つめるようにその場にずっと座っていた。




