1567年2月 急を告げる三好家中
永禄十年(1567年)二月 河内国飯盛山城
一方その頃、京より離れた三好長慶の居城である河内・飯盛山城では一門衆の三好康長・安宅冬康らが飯盛山の山頂にある本丸館に足を運び、居間の中で床に臥せっている長慶の加減を窺いに来ていた。その長慶本人は目を閉じながら布団の中に横になり、その傍で側近の鳥養貞長が付きっ切りで看病をしていた。
「…未だ体調の方は良くはならぬか。」
長慶が床に臥せている居間から離れた館内の重臣の間において、康長は長慶が臥せる居間の方向を見ながら言葉を発した。するとそれに対して康長らと共に本丸館を訪れた三好長逸が康長に対して長慶の近況を語った。
「貞長の話によればここ数ヶ月は小康状態のようにございまするが、それでも譫言で亡き義興殿の名前を何度も読んでおるとか。」
「無理もあるまい。兄者にとっては重存を切り捨ててまで大事にした嫡子が死んだんだ。このわしとてその悲しみを忘れた事はない。」
長慶の弟である冬康が長逸の言葉を聞いた後に俯きながらそう言った。長慶が仮養子であった十河重存を切り捨ててまで三好義興を取った過程を知っていたその場の一同は、辺りに重い空気を漂わせていた。その中で康長は下を俯きながら口を開いた。
「…そのような中で高秀高に攻め込まれれば一大事になろう。」
「そのことにございまするが…」
と、その康長の言葉に反応した長逸は、その場にいた二人に対して自身が掴んだある情報を伝えた。
「隣国の山城より来る旅商人たちより、秀高の領内にて各地に置かれた補給拠点に兵糧・武器弾薬が運び込まれており、各城に配置された足軽たちが戦の調練に励んでおるとの事。」
「何?それは戦支度ではないか。」
「如何にも。それと同時にこれはあまり大きな声では言えぬが…」
康長が長逸から聞いた情報に反応を示した後、冬康が口を開いてそう言うと冬康はその場にいた康長と長逸に顔を近づけさせて自身が掴んだある噂を語った。
「どうやら四国の諸将や畿内の諸将の中に、秀高と通じておる者がおるそうだ。」
「何?それは一体誰じゃ?」
康長がその情報を聞いて大いに驚き、冬康に対してその真偽を尋ねるようにその人物が誰かを問うと、冬康はその康長の問いかけに首を横に振って返答した。
「そこまでは分からぬが、こんな噂が広まるほどならば一人や二人という訳ではないだろう。」
「されど名前が分からぬであれば対処の使用があるまい。こちらが下手に先手を打って疑わしきものを罰すれば、それこそ取り返しのつかない事態になろう。」
康長が冬康の言葉を聞いた上でそう言うと、それを聞いた冬康と長逸は言葉を失ってその場で腕組みをしてしまった。そしてまたその場に重い空気が張り詰めるとしばらく考え込んだ後に冬康が口を開いた。
「…どうにかして秀高の矛先をかわす事は出来ぬであろうか…。」
すると、その言葉を聞いて長逸が腕組みを解いて冬康に自身が考えた打開策を提示した。
「ならばここは、一か八か秀高の後方に存在する上杉輝虎に動いてもらうというのは?」
「輝虎に?輝虎は東北平定の真っ最中じゃ。秀高に刃を向ける余裕はなかろう。」
長逸の提案を聞いて康長が口を挟んで意見すると、長逸は康長の方を振り向くと首を横に振った後に言葉を発した。
「いや、狙いは輝虎の庇護を受けている織田信隆。かの者は秀高が尾張を制した頃よりの因縁があり、こちらから頼めば何かしらの策を打ってくれましょう。」
長逸が康長らに提示したのは、秀高の宿敵ともいうべき織田信隆に打開策を頼み込む事であった。やがて攻めて来るであろう秀高の軍勢の波を止める為には何としても秀高の後方にいる上杉輝虎、そして庇護を受ける信隆の協力が何としても必要であった。しかしその提示を受けて康長が長逸に対して言葉を返した。
「だがここから越後に向かうには秀高の所領を通らねばならぬ。ましてや秀高の領内は戦支度の最中。不審な者があらば通しはすまい。」
「いえ、直ぐにでも使者を遣わせば間に合うかもしれませぬ。問題は誰に使者を任せるかですが…」
康長の言葉を受けて長逸が康長を説得するように言葉をかけた後、問題となった使者の人選について頭を抱えた。するとその長逸に対して冬康がめぼしい人物の名前を上げた。
「一人おる。同じ三好一族で元は義興家臣の三好長朝に任せるとしよう。長朝ならば秀高の領内を潜り抜けて越後に辿り着くであろう。」
「…相分かった。ならばその任は長朝に任せるとしよう。」
康長が冬康の提案を受け入れてそう発言すると、その言葉を聞いて冬康と長逸が同時に頷いた。するとその重臣の襖を開けて三好家臣の三箇頼照が重臣の間に入って康長らに報告した。
「申し上げまする。四国より十河存之様が参られました。」
「存之が?ここに通せ。」
「はっ。」
康長は存之の来訪を頼照より聞くと、頼照に対して中に招き入れるように伝えた。それを受けた頼照は康長に対して一礼すると、重臣の間に存之を招き入れた後に自身は重臣の間から去っていった。
「存之、如何致した?」
康長は重臣の間の中に入ると康長らの輪の中に加わるように座った存之に対して来訪の要件を問うた。ちなみにこの十河存之、今は亡き十河一存の庶子(家督相続権の無い子供の事)であり、十河家に養子に入った十河存康の後見役を務めていた人物である。
「火急の要件があって罷り越しました。四国にて細川真之殿が自らの配下を嗾けて反乱に及ぶ動きあり!」
「細川だと?阿波細川家が三好を裏切るというのか!!」
その存之がその場にいた康長らに伝えたのは、四国にて細川真之とその一派に反乱の兆候があるという物であった。この阿波細川家と三好家は深い関係があり、長慶の曽祖父である三好之長が細川京兆家の家臣となる前に仕えていた家であり、それ以降この二つは切っても切れぬ関係でもあった。その阿波細川家の離反を伝えた存之はその場で言葉を続けた。
「密偵の報告によれば、真之殿は讃岐の香川に香西、安富に羽床に高原や阿波の伊沢に武田に東条らに決起を暗に促しておるとの事。」
「由々しき仕儀ではないか!もし讃州家が敵に回れば四国とて安穏ではなくなるぞ!」
存之がその場で離反の恐れがあるものとして挙げた者達の名前は、全て元は阿波細川家と関係が深い家臣筋や土豪たちであった。そしてこの場にいる者たちは知る由もないが、この者たちは全て裏で高秀高と気脈を通じていた者達でもあったのである。ともかく、存之の報告を受けて冬康がその場で声を上げた後、冷静に報告を聞いた康長は報告した存之の方を振り向き、床に臥せる長慶の代わりに一門衆筆頭として指示を下した。
「已むを得まい。存之、その方直ちに讃岐に立ち帰り勝瑞の三好長治と連携して決起に備えよ。」
「ははっ!」
その言葉を受けて存之は康長に対して一礼をすると、直ぐにでも讃岐に立ち帰るべく立ち上がって重臣の間を後にした。それを見送った後康長は今度は冬康の方を振り向いて指示を伝えた。
「冬康は淡路近海の守備を任せる。恐らく秀高の侵攻に合わせて海路からも攻めて来るであろう。何としても和泉灘と紀伊水道の制海権を死守するのだ。」
「相分かった!ならばすぐにでも淡路に立ち帰ろう。」
その旨を受けた冬康は康長に返事を返した後、存之の後を追う様にして重臣の間を去っていった。そして康長はその場に残った長逸の方を向くと自身の動向を含めてこう言った。
「わしは高屋城の守備に就く。長逸は諸々の差配を終えた後に芥川山城の守備に就くのだ。」
「畏まりました!」
そう言うと長逸も康長に対して一礼した後に重臣の間から去っていった。そしてその場に残った康長は長慶が臥せる居間の方向を見つめた後、今の方向に向けて一礼をした後に自身も重臣の間を後にしていった。そしてそれから数十日経った翌三月、満を持して高秀高が三好領侵攻に踏み切ったのであった…。