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1567年1月 於菊丸元服



永禄十年(1567年)一月 尾張国(おわりのくに)清洲城(きよすじょう)




 明けて永禄(えいろく)十年一月五日。家臣たちからの年賀拝礼を名古屋城(なごやじょう)にて受けた高秀高(こうのひでたか)は、織田信包(おだのぶかね)が城代を務める清洲城に(れい)たち正室の面々と大高義秀(だいこうよしひで)小高信頼(しょうこうのぶより)両夫妻と共に訪れ、於菊丸(おきくまる)の元服の儀式に立ち会った。


「よく似合うぞ。於菊丸。」


 元服の儀式の中で、烏帽子親(えぼしおや)として髪を結った於菊丸に冠を被せた秀高は、その凛々しい風貌を見て於菊丸に声を掛けた。声を掛けられた於菊丸がその声掛けに頷いて答えると、秀高は懐から一通の巻物を取り出すと目の前にいる於菊丸に対してこう言った。


「於菊丸、今回の元服に際してお前に名前を授ける。ちなみにこの名前は、俺の中であらかじめ決まっていた名前でもある。」


 そう言うと秀高はその場で巻物を広げ、その中に書かれている於菊丸の新たな名前を於菊丸に対して見せた。


「於菊丸改め「信澄(のぶずみ)」だ。」


「信澄…」


 その新たな名前である信澄という名前を提示された於菊丸が、その場でつぶやくようにして口に出すと、その様子を見つめながら秀高はその場で言葉を続けた。


「この信澄という名前には意味がある。澄という字には濁りの無い透明な水という意味がある。これを転じてこの名の通り清く純粋な心をもって今後の奉公に務めて欲しいという想いを込めた。どうだろうか?」


 秀高が込めた名前の意味を、秀高が手に持つ巻物の中に記された名前を見つめながら聞いていた於菊丸は、問いかけを受けると視線を秀高の方に向けて返事を返した。


「ははっ、元服したこの私に格別の名を下さりありがたき幸せ。今後はこの於菊丸…いや、この織田信澄(おだのぶずみ)。身命を賭して殿にお仕えいたします!」


 その気持ちの籠った返答を受けた秀高はそれに対してこくりと頷くと、その元服の席に居合わせている織田家一門の織田信治(おだのぶはる)織田信興(おだのぶおき)、そして幼き於菊丸の後見を務めていた織田信包の方を振り向いて感謝の意を述べた。


「信包、それに信治や信興。よくぞここまで信澄を育ててくれた。礼を言う。」


「ははっ、これで我らもようやく肩の荷が下りまする。」


 織田家一門の三人を代表して信包が秀高に対して言葉を返すと、その返答を聞いた秀高はふふっと微笑んだ後に信包に対してこう言った。


「だが信澄は元服したとはいえまだまだ若い。今後(しばら)くの間は信澄を補佐して統治や戦の経験などを教えてやってくれ。」


「ははっ!!」


 秀高からこの言葉を受けた信包ら織田家一門は、秀高に対して頭を下げた。そして元服を迎えた於菊丸も、信包らと共にその場で頭を下げたのだった。ここに織田信勝(おだのぶかつ)の遺児であった於菊丸は、父の死後に庇護した秀高らの見守りの元で元服。後に朝廷より祖父・織田信秀(おだのぶひで)が受領していた備後守(びんごのかみ)の官職を受けて「織田備後守信澄おだびんごのかみのぶずみ」として世に名乗りを上げたのであった。




 その後は清洲城内で元服祝いのささやかな宴が催され、列席した秀高らは織田家一門と酒を酌み交わし、信澄の今後の活躍を祈る様に振舞った。その日の夜、秀高は再建された清州城本丸の三層の天守閣の中に信澄と共にのぼり、その中間の層で秀高は信澄と二人きりで話し合った。


「…良いか信澄、これから言う事にお前の本心でしっかりと答えてくれ。」


「はっ。」


 蝋台(ろうだい)(ともしび)が照らす薄暗い部屋の中で、秀高は見合っている信澄に対して声を掛けると、秀高は信澄に対してある事を語り始めた。


「お前も叔父たちから聞いてはいるだろうが、お前の叔母に当たる織田信隆(おだのぶたか)織田信長(おだのぶなが)の遺児たちや遺臣と共に越後(えちご)に逃走し、依然俺たちに刃を向けて来ている。」


 この秀高の話を、正面で向き合っている信澄は黙って聞いていた。辺り一帯が静寂に包まれる中で秀高の声が鳴り響く中、秀高はそのまま言葉を続けた。


「あの信隆の事だ。これから先、切羽詰まった状況になった時にもしかしたらお前に接触してくるかもしれない。『織田家一門として共に叔父・信長の仇であるこの俺を倒そう』とな。」


「…」


 その話を聞いた信澄はやや下を(うつむ)いた。同時に信澄は秀高の心中の中に若干の心残りがある事を十代の若さながら感じ取ったのである。


「その時、お前はどうするつもりだ?このまま俺に忠義を尽くすのか?それとも織田家一門として信隆の誘いに乗るのか?」


「殿、畏れながらその問いは愚問にございます。」


 秀高の心残りを感じ取ったからこそ、この秀高の問いかけに対して信澄は素早く反応した。その後信澄は相対す秀高の眼を見つめながら手を付いて姿勢を低くし、秀高に対して言葉を返したのである。


「養育して下さった叔父たちより殿が我が父の恩を受けていたこと、そして我が父が信長公の前に敗れて死ぬ際に、殿に(それがし)を託されたという事を聞き及んでおりまする。どうしてそのような御恩を受けておきながら、見ず知らずの叔母に加担しましょうや?」


 十代という若さながら、大人にも負けない毅然とした返答をした信澄の姿を見た秀高は、言葉を掛けてきた信澄の顔を見つめるとその言葉の意味を問う様に尋ねた。


「…それはお前の本心か?お前の父・信勝殿のご恩を受けておいて、戦の際に何の役もたてずに死なせてしまったこの俺を憎んではいないか?」


 すると信澄はその言葉を受けると、手を膝に戻して姿勢を上げて再び秀高の眼を見つめながら秀高にこう言葉を返した。


「殿、勝敗は兵家の常であると申します。殿が信長公と稲生原(いのうはら)で刃を交えた際に我が父の為に武功を立てた事は叔父たちより聞きました。その様な大功を立てても我が父が敗れたというのはやむを得ぬ仕儀にございましょう。」


「だがな…」


 亡き信勝の忘れ形見である信澄からこのような言葉を受けた秀高は、自身の心の中でわずかに残っていた葛藤を表面に出すようなそぶりを見せた。秀高にしてみれば、自身がこのような栄達を遂げてもなお、最初に自身たちを迎えてくれた信勝への恩義とそれに答えられなかった無念が今、この場で出て来ていたのである。そしてその様子は相対す信澄にも伝わり、信澄はそんな秀高に対して更に言葉をかけた。


「殿、殿の心の中には未だ、我が父に何の役にも立てなかった無力さを悔いておるかと思います。されど、殿は我が父の遺志や山口教継(やまぐちのりつぐ)殿の遺志を引き継いで今日(こんにち)の勢力を得られました。その姿を見れば我が父もあの世で安堵いたしておりましょう。もう悔いる必要はありませぬ。」


 秀高の心の中に残っていた後悔を拭い去ろうとするように、信澄は秀高に言葉を掛けると再び秀高の前で手を付いて姿勢を低くし、秀高の顔を見つめながら毅然とこう言い放った。


「この織田信澄、我が父を助けてその遺志を継ぎ天下に名乗りを上げた我が殿を、誠心誠意お助けいたす所存!信隆の甘言には乗る様なことなど毛頭ございませぬ。」


 その毅然とした言葉を受けた秀高は、目の前にいる信澄の表情を見てそれまでの後悔が晴れるようにして消えると、その凛々しい表情を見てこくりと頷いた後に言葉を発した。


「…そうか。どうやらその言葉に偽りはなさそうだ。ならば信澄、改めて言い渡す。今後は清洲城主として、そしてこの高家の家老としてその力を存分に発揮してくれ!」


「ははっ!」


 信澄に対してそう言った秀高の表情に、最早後悔の念はどこにもなかった。秀高は亡き信勝がこの世に残した信澄と共に、この日ノ本から戦を無くすべくより一層邁進(まいしん)する事を心に決め、そして相対す信澄の顔を見つめながら優しく微笑んだのであった。





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