1566年10月 調略の成果
永禄九年(1566年)十月 山城国京
永禄九年十月上旬。高秀高が「山崎・天王山の戦い」にて三好長慶の大軍勢を打ち破ってから二ヶ月が経過した。周囲の木々や草花が秋の景色を見せ始めた中で、秀高は自身の屋敷にて京在留の重臣らを玲たちのいる居間に招いて話し合いを始めた。
「殿、三好の軍勢を打ち破ってから数ヶ月が経過いたしましたが、調略の方は如何にございまするか?」
招集を受けて集まってきた重臣たちの中で一番最初に口を開いたのは、美濃烏峰城主の森可成であった。この可成の言葉を受けた秀高は可成の方を振り向き、首を頷いて答えた。
「あぁ、それなんだが調略の方は順調に進んでいる。まずはこれを見てくれ。」
そう言うと秀高は自身の後方にいた、山内高豊の末弟でもある近習の山内康豊に視線を送った。すると康豊は首を縦に振って頷いた後に秀高の目の前に一つの箱を差し出した。その箱の中には秀高が数ヶ月前より三好領内へ行った調略を受け、秀高に返信を返してきた者達の書状が納められていた。
「これは数ヶ月前から、こちらから調略を働きかけて返信を返してきた者達の書状だ。各々手に取って目を通してみてくれ。」
「ほう、どれどれ…」
その言葉を受けた可成らは秀高の目の前まで近づくと、各々に書状を手に取って封を開き、中の書状の末尾に書かれた差出人の名を確認した。するとその中で大高義秀が隣にいた小高信頼に書状の内容を見せながら質問した。
「おい信頼、この名前を見て誰か分かるか?」
「これは…讃岐の香川之景に香西元載、阿波の伊沢頼俊らの書状だね。」
信頼が義秀から提示された、書状の差出人の所にある名前を見てそう言うと、それを聞いていた丹羽氏勝がその会話の内容を聞いて驚いた。
「なんと、三好の本国ともいうべき讃岐と阿波の国衆からの書状があるのか?」
「あぁ、その者達には実はあるからくりがあるんだ。」
「からくりとは?」
秀高のその言葉を聞いて可成が秀高に問い返すと、秀高は可成の方を振り向いてそのからくりともいうべき情報を語り始めた。
「その者達に書状を送る前に、実はこちらで傀儡としている細川輝元の名を借りて四国の細川讃州家の当主・細川真之に書状を送ったんだ。『今こそ、そなたの父の仇である三好家を滅ぼすべし。』とな。」
「なるほど…細川真之は父の氏之を三好実休によって殺されている。その真之が書状を受けてから彼らに働きかけたのであれば合点がいくね。」
秀高の言葉を聞いて信頼が得心がいったように相槌を返すと、その会話を傍らで聞いていた可成ら重臣たちも信頼に続くように頷きあった。その重臣たちの様子を見ながらも秀高は話しかけられた信頼の言葉に頷いてから言葉を返した。
「うん。上手く行けば讃岐や阿波は混乱状態になるだろう。」
この秀高の後に今度は蒲生定秀の子であり正式に日野の城主となった蒲生賢秀がある書状を見つめながら秀高に向けて言葉を発した。
「摂津の荒木村重に中川清秀…確かこの者らは池田長正の配下では?」
「あぁ。その者達は書状を送ったところすぐに飛びついて来た二人だ。他にも摂津方面では塩川国満に能勢頼道、伊丹親興などが返信を返してきた。」
この時に秀高へ書状を返してきた荒木や中川、塩川や能勢といった面々は摂津国衆の中でも中規模の勢力を持つ国人勢力であり、また伊丹親興に関して言うならば池田長正と共に摂津国内の三好派の代表格として知られていた豪族であった。その面々が秀高に返信を返してきたことを知った可成が秀高に言葉を返した。
「…その者らだけでも摂津の国衆の大半にございまするな。上手く行けば摂津は無傷で手に入りましょう。」
「あぁ。だけど一つだけ厄介な事があるんだ。」
「厄介な事?」
秀高の口から発せられたその単語を聞いて大高義秀の正室である華が反応して聞き返すと、秀高は華の方を振り向きながら言葉の続きを述べた。
「その中の荒木村重が呼応の条件として、池田長正に代わって摂津一国の安堵と自身を幕府傘下の大名として取り立てる事を申し出て来たんだよ。」
「摂津一国ですと?それが真であれば村重は高く出てきましたな。」
秀高に対して村重が申し出たのは、自身の生まれ故郷でもある摂津国を差配できる摂津国主の座を与える事、そして同時に秀高同様幕府に従属する大名として将軍家に取り立てて欲しいという事であった。秀高が申し述べた条件を聞いて氏勝が言葉を返した後、その場にいた賢秀が秀高にある事を尋ねた。
「殿は村重との面識がないのでしょう?」
「そうだ。しかも幕府に従属する大名として取り立てて欲しいという事は、一回上様のご承諾を得なくてはならない。そこまでの事を俺にさせるという事は、村重は自分の手で摂津を獲得できる自信があるという事だろう。」
「…これは一回秘密裏に会って話を聞いてみる必要があるね。」
その秀高の言葉を聞いた後に、秀高の傍らにて会話の全てを聞いていた玲が秀高に対してそう言うと、秀高は玲の方を振り向き首を縦に振って頷いた。するとそれを見ていた義秀が秀高に確認するように尋ねた。
「まさか、村重と会うつもりか?」
すると秀高はその問いかけに首を縦に振って答えると、秀高はその場にあった村重からの書状を可成から手渡しで受け取った後に、右手でその村重からの書状を持ちながら義秀に対してこう言った。
「実は村重は俺に返してきた書状の中で、一回この俺と面会して話し合いたいと言ってきているんだ。場所は山城国境にほど近い勝龍寺城。そこまで村重が単身で来るらしい。」
「そこまでするという事は、村重も覚悟の上でしょうな。」
秀高の言葉を受けて可成が相槌を打つように秀高に言葉を返すと、秀高は可成の方を振り向いて首を縦に振った。
「そうだろうな。とにかく相手が会いたいというのならば会ってみようと思う。信頼、すぐに返信を村重に返せ。会合の件、承知したとな。」
「分かった。今日中にでも返信を村重に返すよ。」
秀高の言葉を受けて信頼が相槌を打って返答すると、その席に列していた木下秀吉が秀高に対してある事を報告した。
「それと殿、昨日畠山高政殿より書状が参り、殿との会合の段取りを付けたいとの事。」
「ほう、畠山高政殿が?」
秀吉が秀高に申し出た内容というのは、以前の山崎・天王山の戦いのときに秀高に呼応して挙兵した畠山高政本人が、秀高と面会したいという申し出であった。その報告を受けて秀高より相槌を受けた秀吉は報告の続きを述べた。
「はっ、今後の三好領国への侵攻に備え、一回しっかりと話し合っておきたいとの事。会談場所として高政殿は、大和多聞山城を指定して参りました。」
「多聞山城?多聞山城は松永久秀殿の居城だろう?どうしてそこを指定して来たんだ?」
秀吉より多聞山城にて会いたいという情報を受けて、義秀が不審に思って秀吉に尋ね返すと、秀吉は義秀の方を振り向いてその理由を語った。
「書状によりますれば此度、高政殿との仲介にその久秀殿が入っているらしく、久秀殿の方から高政殿に会合を働きかけて来たとの事にございます。」
「そうか…久秀殿が気を使ってくれたと取るべきだろうか。」
「でも、畠山高政と話し合っておくのは悪くないと思うわよ。今後の三好侵攻の際に連携が取りやすくなるわ。」
「如何にも。本格的な三好家への侵攻を来年以降に控える我らにとっては、畠山家との連携は必要不可欠となるかと。」
秀吉の報告を受けて相槌を打った秀高に対して、華と竹中半兵衛がそれぞれ意見を秀高に対して述べると、秀高はそれらの意見を聞いた上で首を縦に振ってから言葉を発した。
「…分かった。ならば早速にも高政殿とも会合の段取りを整えよう。藤吉郎、その件は任せるぞ。」
「ははっ!お任せくださいませ!」
その下知を受けた秀吉はその場で深々と頭を下げた。こうして秀高は引き続き三好領内に調略を働きかける一方で、来たる本格的な三好領侵攻の前に接触を図って来た者達と面会するべく動き始めたのである。