1566年7月 獅子身中の京兆家
永禄九年(1566年)七月 山城国京
翌永禄九年七月二十九日。高秀高は将軍・足利義輝に三好征討の経過を報告するべく、勘解由小路町にある将軍御所に足を運んだ。この時将軍御所の大広間には義輝のほか、幕臣の細川藤孝や柳沢元政、細川藤賢など義輝の近臣も勢揃いしていた。
「まずは秀高、よくぞ長慶の軍勢を撃破した。」
将軍御所の大広間にて、秀高は上座に座る義輝よりお褒めの言葉を貰い受けた。そして秀高は下座にて一人義輝に向けて頭を下げながら義輝に対して返答した。
「ははっ、格別のお言葉を賜り、恐悦至極にございます。」
「うむ。これで長慶はしばらく立ち直れまい。これで三好征討も存分に進められよう。」
すると秀高は義輝のその言葉を聞いた後に頭を上げ、上座の義輝の方に視線を向けながら義輝に対してある事を尋ねるように発言した。
「その件にございますが…上様、上様は京兆家の細川輝元が我らに対し、この京に留まる将兵のみにて三好を征伐すべしとの旨を告げたのを御存じですか?」
「何?輝元がそう申したのか?」
秀高より初耳の要件を聞いた義輝が少し驚きながら反応すると、秀高はその義輝の言葉に頷いた後に言葉を続けた。
「はい。すでに上様には先に申し上げた通り、細川輝元よりの奏上をすんなりと聞き入れて欲しいとお頼みしました。その結果輝元は三好征討の御教書発布を申し入れ、上様の御名によって御教書は発布されました。」
この言葉を義輝は黙って聞いた後に頷いて答えた。元よりそうして欲しいという秀高の進言があったので、義輝は顔に出さないようにして輝元の進言を聞き入れたのだから当然のことであった。
「うむ。それはそなたの進言が先にあった故、そうしたまでの事だ。」
「はい。細川輝元が三好と通じているのはすでに上様もご存じの事。その輝元が我らに対しその旨を告げてきたという事はつまり、我らの兵数を少なくさせた上で三好の大軍勢を持って揉み潰そうとした意図があるかと。」
その発言を聞いて義輝やその場にいた幕臣たちは輝元の発言の真意を悟った。つまりそれが本当のことであるならば、細川輝元は三好長慶と共謀して秀高の軍勢の力を削いだことになるのである。
「それは…由々しき仕儀じゃ!いかに京兆家とは申せどそれは謀反に等しき仕儀なり!」
この秀高の発言の後にその場で大きく反応したのは元政であった。するとその後に義輝に向けて発言したのは、同じ細川の姓を持つ藤孝であった。
「上様、輝元殿とは同じ細川を姓に頂く同族なれど、もし輝元殿が上様に無断でそのような事を申したのであれば、最早某に弁明の余地はありませぬ。」
「そうか…愚かな輝元よ。最期まで長慶に反抗した父の気骨を受け継いでいないとはな…。」
藤孝の発言を受けた義輝は、上座の肘掛けにもたれかかりながら手元で扇を回してこう発言した。そんな義輝に対して今度は藤賢が、輝元の処遇について進言した。
「されど上様、輝元殿は仮にも京兆家の当主。下手に罰すれば将軍家の威厳に関わりますぞ。」
「藤賢殿の言う通りです。我が配下である大高義秀が戦に参陣する折に輝元殿と遭遇したのですが、輝元殿はその一件をもって上様の意思だと称したのと同時に、京兆家の家格をちらつかせて義秀に撤退を促したとの事。おそらく輝元の本心には、いかに三好と通じようとも処罰されないという想いがあるのでは?」
藤賢に続いて発言した秀高の発言を聞いた義輝は、上座で秀高の言葉を聞くと沸々と湧きあがる様に怒りを見せ、静かな口調で扇を見つめながら言葉を発した。
「輝元め、将軍家を何だと思っておるのか…もはや我慢ならぬ。」
そう言うと義輝は扇で肘掛けをパンと叩くと、その手にしていた扇で秀高を指しながら義輝は輝元の件について一言でこう伝えた。
「秀高、輝元の処遇はそなたに一任する。煮るなり焼くなり好きにいたせ。」
この発言を聞いた幕臣たちは皆一様に驚いた。今まで京兆家の歴代の当主が幕政に参画してきた歴史を知っていたとはいえ、ここまで秀高にその処遇を一任するような発言を聞いて義輝の中にあった怒りを感じ取ったのである。
「上様、仮にも京兆家の当主である方を何と仰せで!?」
その発言を聞いて驚いた元政がそう発言したのも無理はない。何しろ義輝が他人に対して処遇を一任するようなことなどなかなかあり得ない事態だったからである。だがその元政の言葉を、義輝は上座にて怒鳴りつけるように制した。
「言うな元政!輝元は越えてはならぬ一線を越えたのだ。厳重に処罰せねばそれこそ将軍家の沽券に関わる!」
すると下座にてその義輝の言葉を聞いていた秀高が、義輝に対して手を付いて姿勢を低くしながら、義輝に向けて発言した。
「…上様、ご心配なく。私も輝元殿のお命まで貰い受けようとは思いません。ただ二つだけ、上様のお許しを頂きたく思います。」
「ほう、その許しとは?」
秀高の言葉を聞いて怒りを少し和らげた義輝が、下座の秀高に対してその内容を問うと、秀高は姿勢を上げて義輝と向き合う様に正し、その後に義輝に向けて発言した。
「まず、私は輝元殿のお命を保証する代わりに、輝元殿が有している京兆家の家格とそれに伴う権限を頂きたく思います。」
「権限?よもや秀高殿は管領職にお就きになるとでも?」
その言葉を聞いて元政が口を挟んで尋ねると、秀高は口を挟んできた元政の方に顔を向けた後に首を横に振って否定した。
「まさか?私に管領職は畏れ多いです。」
「では秀高殿は京兆家を傀儡になさると?」
元政の代わりに秀高にそう言ったのは藤孝である。すると秀高は藤孝の方に視線を向けると首を縦に振って頷いた。
「はい。差し当たって輝元殿には淀城に入っていただき、これを私が今後落成する伏見城より監視するように見張り、加えて京兆家の名を最大限活かさせて貰います。こうすれば今後、畿内での統治も少しはやり易くなるかと。」
その発言を聞いた幕臣たちは皆一様に驚いた。かつて三好長慶が畿内の覇権を握るときにそうしたように、秀高も同様に京兆家の後ろ盾を欲したのであった。すると上座にて黙って秀高の発言を聞いていた義輝は、ふっとほくそ笑んだ後に秀高に視線を向けて言葉を発した。
「そうか。そなたは京兆家を自らの傀儡に組み込むことを望むのだな?よかろう。今の京兆家に幕政に関わる資格は無い。その頼みを聞き入れよう。」
「ははっ!ありがとうございます。」
秀高は義輝よりその言葉を聞くと、感謝の意を示すように手を畳について頭を下げた。その後義輝は頭を上げた秀高に対して言葉をかけた。
「それで秀高よ、もう一つの願いとは?」
「はい、その事でございますが…」
そう言った後に秀高より発せられた内容を聞いて幕臣たちや義輝は初めは大きく驚いた。しかし輝元の処遇を一任すると言った義輝は秀高のその頼みを聞き入れた。こうして正式に将軍・義輝よりの認可を受けた秀高は、幕府内部に残るもう一つの獅子身中の虫・細川輝元の対処に動くことになったのである。