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1566年7月 野望の代償



永禄九年(1566年)七月 山城国(やましろのくに)大山崎(おおやまざき)




 その日の正午を越えた頃には山崎(やまざき)天王山(てんのうざん)で繰り広げられた戦は終結した。三万四千もの大軍勢を抱えていた三好長慶(みよしながよし)勢はものの数刻で壊滅し、一万六千の小勢で三好勢を撃退した高秀高(こうのひでたか)浅井高政(あざいたかまさ)連合軍はその場で勝鬨を上げ、畿内全土にその勝鬨が届くように大きな声で叫んだのであった。


「面を上げてくれ。」


 戦が終わったその日の夕刻。東黒門(ひがしくろもん)に置かれた秀高本陣に諸将が集まり、頭を下げて秀高に一礼した後に秀高のこの言葉を受けて、諸将はそれぞれ頭を上げて秀高と顔を見合わせた。


「まずは皆、よくやってくれた。俺たちは一万六千の軍勢で三万四千の三好勢を撃退する事に成功した。この戦いの結果はきっと畿内全土に轟き俺たちの勇名も高まるだろう。」


「秀高殿、ご戦勝おめでとうございまする。」


 その秀高に対して一番最初に声を上げて戦勝を祝したのは、この戦に助力した浅井高政であった。高政は秀高に戦勝を祝した後に言葉を続けた。


「この戦いで我らは三好一門の三好宗渭(みよしそうい)の他数々の兜首を上げ申した。三好の打撃は尋常な物ではありますまい。」


「うん、その通りだ。」


 高政の言葉を首を縦に振って頷いた秀高は、ふと視線を佐治為景(さじためかげ)の方に向けた。為景は先の戦いで受けた傷が元で右肩に包帯を巻いていたのである。


「為景、傷の具合はどうだ?」


 そんな為景に対して秀高が話しかけると、為景は傷の箇所をいたわりながら秀高に対して返答した。


「はっ、面目次第もありませぬ。幸い素早い処置のお陰で大事には至らずに済みました。」


「そうか…それでも万が一のこともある。この後は領地に帰ってしばらく安静にしていてくれ。」


「ははっ、お言葉痛み入りまする。」


 為景は秀高より言葉を受けると、隣に座っていた息子の佐治為興(さじためおき)と共に秀高に対して頭を下げた。するとその一礼の後に大高義秀(だいこうよしひで)が声を上げて秀高に尋ねた。


「それで?この後はどうする?俺としてはこのまま一気に、三好家を食い破るべきだと思うぜ。」


「いや、それは難しいだろう。」


 この義秀の意見を聞いた秀高は、苦い顔をしながら即座に否定した。すると否定された義秀は秀高に対して食い下がるように反論した。


「どうしてだ?この機に攻め掛かれば三好はあっという間に滅びるぜ。」


「ところがそうもいかないんだよ。」


「何だと?」


 そう言って義秀に言葉を発したのは傍らに座る小高信頼(しょうこうのぶより)であった。信頼は秀高に追撃を進言した義秀に対して今の現状を事細かに説明した。


「いくら目の前の三好長慶の軍勢が壊滅したと言っても、畿内にはまだ阿波三好(あわみよし)の軍勢を率いる篠原長房(しのはらながふさ)の一万、それに摂津(せっつ)国衆の池田長正(いけだながまさ)率いる八千が残っているんだ。戦い終わった僕たちの現状ではこれらの軍勢と戦うのは無理があるよ。」


 その信頼の説明をその場にいた諸将はやや下を向きながら受け止めていた。この日三好勢と戦ったこれら諸将にとっても、このまま三好領内に踏み込んで戦うのは無謀であると感じていたからである。そんな空気の中で信頼の言葉の後に秀高が言葉を発した。


「その通りだ。それに俺たちはあくまで攻め寄せた三好を撃退するために戦った。元より兵力の少ない俺たちにこちらから攻め込む余力は無い。ここは一旦兵を解いて(みやこ)に帰還しようと思う。」


「…そうか。むざむざ好機を見過ごすってのは悔しいぜ。」


 義秀が膝を拳で叩きながら不満をあらわにすると、そんな様子を見てふふっと微笑みながら義秀に言葉を返した。


「そう言うな。たとえ今三好領に攻め込めなくても、三好の土台を崩すことは出来る。」


「調略か?」


 秀高の発言の意図を汲み取って義秀が言葉を発すると、秀高は義秀の言葉に首を縦に振って頷いて返答した。


「そうだ。この勝利は三好領内に甚大な影響を与えただろう。これを活かして三好領内の豪族や土豪を調略することが出来れば、それだけで三好家の版図を削ることが出来る。」


「確かに。うまく行けば多くの豪族や家臣を調略できましょうな。」


 と、この戦に参陣していた本多正信(ほんだまさのぶ)が言葉を発して意見すると、秀高はその言葉に頷いて答えた後にやや下を向きながら言葉を発した。


「…それに、長慶に少し塩を送ろうと思う。」


「塩だと?」


 義秀が秀高の発した単語に引っ掛かってそれを問うと、同時に北条氏規(ほうじょううじのり)が義秀同様に秀高に尋ねた。


「殿、その塩とはいったい何なので?」


 すると秀高は義秀の隣にいた(はな)の方に視線を向けた。すると華は少し悲しい表情をしながら目を閉じたのだった。




 その後、秀高の使者として毛利長秀(もうりながひで)が一つの首桶と一通の書状を携え、翌日二十五日。三好長慶(みよしながよし)が撤退した摂津(せっつ)芥川山城(あくたがわやまじょう)へと赴いた。そこで長秀は長慶に対して首桶を目の前に差し出し、同時にその場で秀高よりの書状を朗読した。




三好修理大夫長慶みよししゅりだいふながよし殿、謹んで書を奉呈申し上げます。貴殿とは同じ上様を頂く幕臣として、また善政によって領国を束ねる君主として(かね)てより敬意を持っておりましたが、よんどころなき仕儀により戦う事と相成りました。私としては元より武士の習いとして致し方なく思い死力の限りを尽くして戦いましたが、その戦の中で貴殿のご子息・三好筑前守義興みよしちくぜんのかみよしおき殿のお命を貰い受けました。数ヶ月前にご養子、十河重存(そごうしげます)殿を廃された貴殿にとってはかけがえのない嫡子である事は重々承知しております。そこで此度(このたび)、貴殿に対し義興殿の御首(みしるし)を返上いたします。長慶殿においては何卒、丁重に弔われることを切に願います。 永禄九年七月二十四日 高左近衛権中将秀高こうさこのえごんのちゅうじょうひでたか




 秀高が長慶に送った首桶の中に入っていたのは、まさしく先の戦いで討死した三好義興(みよしよしおき)の首そのものであった。長秀は秀高からの書状を朗読した後に別室へと下がり、長秀がその場を去った後に安宅冬康(あたぎふゆやす)が長秀が去っていった方角を睨みつけながら怒った。


「おのれ…どのような口でそのような事を申すのか…!」


「殿、ここは使者を斬り再び京へ攻め込みましょうぞ!」


 冬康に続いて三好長逸(みよしながゆき)が長慶に対して再度の挙兵を促すように進言すると、それまでの気風を無くして上座でしょんぼりとした態度でいた長慶は、顔を上げて目の前に置かれた首桶を見つめた。


「…義興。」


 この長慶の一言を聞くと、それまで怒りを示していた冬康や長逸も、そして命からがら戦場から離脱した三好康長(みよしやすなが)もそのような長慶の姿に言葉を失ってしまった。すると長慶はぬうっと上座から立ち上がると、ふらふらとした足取りで首桶の前まで進むと、首桶を見下ろす位置まで進んで目に涙を浮かべた。


「義興…無事に帰って来いと申したはずだぞ…義興…っ!」


 すると長慶はその場に膝を付いて座り込むとその場に置かれた首桶に抱き着き、目から涙の粒を流しながらその場で人目もはばからずに泣き叫んだ。


「この…この愚か者があぁぁぁっ!!うぉぉぉぉ…」


「兄者…」


 その光景を冬康らはいたたまれない様子で見つめ、諫言する事も使者を殺すように促すことも出来なかった。高秀高を挙兵に追い込み将軍家のすげ替えを狙った三好長慶は、その狙いに失敗した余りか、大きな代償を払って大切にした自身の嫡子を戦で失い、その後再び病で伏せっきりになったという…





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