1566年7月 山崎・天王山の戦い<三>
永禄九年(1566年)七月 山城国大山崎
「三好宗渭と三好長逸の備えが敗走しただと…?」
後方の長慶本陣にて馬上からその旨の報告を受けた三好長慶は、馬上で手綱を強く握りしめながらその報告を受け止めていた。すでに戦が始まって一刻半が経過していたが、依然高秀高が構築した土塁をどこも突破できていなかったのだ。
「はっ、また未確認情報にございますが、どうやらその戦いの際に三好宗渭殿が敵の銃弾を受け、命を落としたとの事…」
「宗渭までもが…!」
嫡子・三好義興より味方の報告を受けた長慶は、馬上にて軍配を強く握りしめながら反応した。するとそんな長慶に対して前線より戻っていた安宅冬康が声を掛けた。
「兄者!ここは最早総攻めするほかない!天王山の砦と土塁に対して一斉に攻撃を仕掛けよう!」
するとそれまで下を向いていた長慶は、冬康の言葉を受けてゆっくりと顔を上げると、こくりと頷いて冬康や義興らに対して下知を飛ばした。
「…分かった。ならば冬康、そなたは天王山を攻めよ。前面の土塁には義興と康長殿の備えで攻め掛かれ。」
「はっ!」
「必ずや土塁を踏み越えて御覧に入れる!」
その下知を受けた冬康らはそれぞれ馬首を返すと、各々の備えの元へと向かって行った。長慶は冬康らに下知を飛ばした後、何も言わずに目の前にある土塁の方向をただじっと見つめていた。
「申し上げます!敵三好勢、三段目と四段目右翼、三好義興勢が攻め寄せて参りました!」
この三好勢の攻勢は東黒門にある秀高本陣に届けられた。秀高はその報告を上座の床几に腰かけながら受け止めた。
「とうとう三好の後詰が攻め掛かって来たか…それで各所の防衛は?」
「はっ、既に天王山砦の応急修復は済み、一益殿や負傷した為景殿の代わりに指揮を執る佐治為興殿の下、応戦準備を終えておりまする!」
天王山の備えについての事を聞いた秀高は、首を縦に振った後に報告してきた早馬に対して即座に返答した。
「よく分かった。引き続き各所に防衛を怠るなと伝えてくれ。」
「ははっ!」
その言葉を聞いた早馬は首を振って返事をすると、スッと立ち上がって陣幕の外へと出て行った。するとそれを見送った後に陣幕の中に戻ってきていた竹中半兵衛が、秀高に対して発言した。
「…今までは各個撃破を出来てはおりましたが、これから攻め寄せる軍勢だけでも我らが軍勢に匹敵する数が攻めて参ります。土塁を踏み越えられる事は覚悟しなければならないでしょう。」
「分かっている。そこの所は前線の義秀に一任している。あいつならば上手くやってくれるさ。」
その秀高の言葉を聞くと、半兵衛はふっとほくそ笑んだ後に首を縦に振って頷いた。そして秀高は視線を陣幕の外へと向けると、攻め寄せて来る三好勢の方角に向けて鋭い視線を送ったのであった。
「殿!天王山に安宅冬康勢四千五百が攻め掛かりました!またこの土塁にも三好義興・三好康長勢九千五百が攻め寄せて参りまする!」
一方、土塁の上の柵付近にて指揮を執る大高義秀の元に義秀家臣の小出重政が敵襲を伝えると、義秀は報告してきた重政に対してこう言い放った。
「狼狽えるな!鉄砲隊や弓隊は今まで通り、攻めてくる敵に向けて矢弾を浴びせてやれ!華!騎馬鉄砲隊の準備は出来てるか!?」
「えぇ。一度きりしか撃てないけど、それでも準備は万端よ。」
華から虎の子である騎馬鉄砲隊の状況を聞いた義秀は、満足そうにニヤリと笑うと首を縦に振って言葉を発した。
「それで良い。よし!木戸の門を開けろ!騎馬鉄砲隊、前面の三好勢に目にもの見せてやれ!」
「おう!」
その義秀の下知を受けた兵たちは喊声を上げ、土塁の切れ目に設けられた一つの木戸をゆっくりと開けた。そして義秀は声を上げずに軍配を振るうと、それを受けた桑山重晴指揮する騎馬鉄砲隊五百が木戸を越えて攻め寄せて来る康長勢の前に立ちふさがった。
「康長殿、敵の木戸が開きました!騎馬隊が中から出て参ります!」
「はっ、あれしきの小勢で何が出来る!?構わん、このまま一気に揉み潰せ!」
その光景を目の当たりにした康長は鼻で笑った後に味方に殲滅を命じると、康長配下の足軽たちは喊声を上げて騎馬鉄砲隊に襲い掛かった。するとその様子を見た重晴は務めて冷静に馬上から騎馬鉄砲隊に下知を下した。
「構え!」
すると騎馬鉄砲隊は馬上にて鞍に装着してあった鞘から鉄砲を抜くと、弾込め等が終わっている状態の火縄銃を構えた。そして迫り来る三好勢に向けて標準を合わすと、重晴は大きな声を発した。
「放てぇ!!」
その言葉と同時に騎馬鉄砲隊は引き金を引き、銃弾を攻め寄せて来る敵に浴びせた。この射撃を受けた三好勢の足軽たちはバタバタと倒れていったが、それ以上にこの騎馬鉄砲隊の行った行為を受けてかなりの衝撃を受けたのだった。
「なっ!?騎馬の上から鉄砲を放って参っただと!?」
事実康長がこのように驚くのも無理はない。馬というのは敏感な生き物であり鉄砲の轟音の前に馬上の人間を振り払うほど驚く物である。そんな馬が馬上で放たれた鉄砲の轟音に微塵も驚かずにいたというのは信じられない事であったのである。
「ええい怯むな!あんなハッタリに惑わされるでない!」
「駄目です!兵共があの攻撃を受けて狼狽え始めておりまする!」
康長が騎馬鉄砲隊の射撃を受けてもなお督戦に務めようとしたが、配下の足軽たちは康長以上に恐れ戦いていた。しかしそこで足を止めてしまった康長配下の足軽たちは、柵の裏から放たれる鉄砲や弓の矢弾の格好の餌食となりぞろぞろと倒れていったのである。
「よし…今こそ好機だ!高政殿!」
義秀は康長勢の混乱を目にすると、傍らにいた浅井高政に対して呼び掛けた。すると高政も義秀の言葉を受けてこくりと頷くと言葉を返した。
「うむ。打って出るとしよう。」
「よっしゃ!!打って出る者は俺について来い!一気呵成に敵を打ち破るぜ!」
「おぉーっ!!」
義秀はそう言うと鉄砲隊と弓隊を柵の中に残し、高政の軍勢と共に残った将兵のみで柵の外へと打って出た。この打って出てきた義秀勢の前に康長隊は壊乱状態となり、なすすべもなく討ち取られていったのである。
「康長殿!最早こうなっては戦にはなりませぬ!ここは何卒撤退を!!」
この戦況を見た三好康長配下の高野越中守は康長に対して撤退を進言した。しかし康長はそんな気弱になった越中守に対してしかりつけるように反論した。
「ええい、畿内に覇を唱えた三好が成り上がりに負けてはならん!応戦せよ!」
するとそんな康長の言葉を受けて同じ康長配下の安井喜内が康長に馬を近づけさせて諫言する様に話しかけた。
「何を仰せになられる!命あっての物種と申される!これ、早う康長殿を落ち延びさせよ!」
「ははっ!」
「こ、これ!何をする!」
喜内の言葉を受けた康長の馬廻達は強引に康長の馬を走らせて戦場から離脱させると、馬廻達も康長の後を追いかけて去っていった。そしてその場に残った越中守と喜内は互いに見合った後に頷きあうと、越中守は腰に差していた刀を抜いて名乗りを上げた。
「我が名は三好康長!我が首取って手柄とせよ!!」
越中守は康長の影武者として振舞い、康長はここにいると言わんばかりに攻め寄せる義秀勢に対して奮戦した。するとそんな越中守に近寄ってきたのは、浅井家の京留守居を任されている安居景隆であった。
「おう、あれが三好の長老・三好康長か!良き相手じゃ!この安居景隆がお相手致す!」
「おう!いざ尋常に勝負!」
自身に対して声を掛けてきた景隆に反応した越中守は、即座に反応して景隆に襲い掛かった。すると景隆は襲い掛かってきた越中守の隙を即座に見抜き、振り下ろされた刀を避けると得物の槍で越中守を一突きにした。
「ぐあぁぁ…と、殿…」
越中守は声を漏らした後に馬上からもんどり返る様に落馬した。その様子を見た景隆は馬上から周囲に聞こえるように声を上げた。
「よし、三好康長が首、この安居景隆が討ち取ったぞ!」
すると周囲の味方は奮い立つように反応し、その場に残されていた康長勢の足軽を次々と殲滅していった。しばらくして景隆の子である安居景健が一つの兜首を片手に景隆の元に近づいてきた。
「父上やりましたな!こちらは三好康長の与力・安井喜内を討ち取りましたぞ。」
「よくやった。よし、このまま一気に攻め立てるとしよう!」
景健の手柄を聞いて喜んだ景隆は、残る康長勢の残兵を殲滅するべく槍を振って敵を薙ぎ倒していった。その後、康長だと思った首が越中守の首であったことを知った景隆はその忠義を感じると、自らその首を丁重に弔ったという…
「信頼殿。大高勢が打って出たのであれば、我らも打って出ましょうぞ。」
「はい、分かりました。」
この大高勢出陣を見た北条氏規は、小高信頼に対して迎撃を進言。これを受け入れた信頼は刀を抜くとその場にいた将兵に対して下知を飛ばした。
「これより僕たちも打って出る!いざ出陣!」
「おう!」
その下知を受けた将兵たちは声を上げると、もう一つ設けられた木戸を開けて土塁の向こう側へと打って出たのであった。打って出た氏規・信頼勢の目前にいたのは三好義興勢であり、この攻撃を受けた直後に義興勢の側面を康長勢を打ち破った義秀・浅井勢の攻撃を受けたのであった。




