1566年7月 山崎・天王山の戦い<二>
永禄九年(1566年)七月 山城国大山崎
「前面の土塁を相手にせず、天王山を攻め取るべし」。この三好長慶の下知はすぐさま二段目の三好宗渭・三好長逸の備えへと届けられた。下知を受けた長逸は自身の備えを土塁の方向ではなく天王山の方向に向けさせると、手にしていた軍配を振るって味方に呼びかけた。
「聞け!我らはこれより天王山を襲う!続け!」
「おぉーっ!!」
この下知を受けた長逸勢の足軽たちはぞろぞろと山を登り始め、山上の砦に近づいて行った。この様子を山上の砦から見下ろしてみていた佐治為興が昇ってくる三好勢を指差しながら父の佐治為景に対して語り掛けた。
「父上!三好勢が山を駆け上がって参ります!」
「長慶め…この天王山が急所と見たな。よし怯むな!登ってくる敵に矢玉を浴びせよ!」
この下知を受けた砦の守兵たちは、用意された鉄砲や弓を登ってくる三好勢の方に向けると、皆一斉に射掛けた。すると山を登る三好勢に対して放たれた矢弾が当たって一人、また一人と倒れていった。
「怯むな!こちらも矢を打ち返せ!」
この様子を見ていた長逸は連れていた弓隊に対して矢を放つよう下知を下した。それを受けた弓隊は山上めがけて矢を放ち、それを受けて砦の守兵は僅かだがその場に倒れ込んだ。しかしその中である事が起きた。
「ぐっ!」
なんと陣頭で指揮を振う為景の右肩に矢が命中したのだ。為景は矢を受けるとその場に尻もちをつくように倒れ、その倒れ込んだ為景を見て為興が側近くに駆け寄った。
「父上!お怪我は!」
「大事ない…不覚を取った。」
為興の言葉を受けて為景が傷の箇所に手を掛けながら言葉を返すと、それを聞いた為興は父を諫めるように言葉をかけた。
「あまり無理はなさいますな!これ、父上を安全な所へ!」
その下知を受けた周囲の武士たちは、為景を矢の当たらない砦の建屋の中へと非難させた。しかし陣頭指揮を行っていた為景の負傷によって砦の指揮は乱れ、やがて放たれる矢弾の少なさも相まって、味方が砦近くまで近づいたことを確認した長逸は声を上げて指揮を振るった。
「よし行けるぞ!このまま登って砦の中になだれ込め!!」
その下知を受けると三好勢の足軽たちは矢弾の中を掻い潜りながら砦に近づき、柵に梯子を掛けてその梯子を伝って砦の中に攻め込んだ。この切り込みを受けた砦の守兵たちは三好勢を迎え撃つべく各個で応戦を始めた。
「為興様、敵が中に入って参りました!」
その中で為興の元に足軽が敵の進入を伝えると、為興は得物の槍を片手に周囲に呼びかけるように声を上げた。
「ええい怯むな!入ってきたのであれば敵を打ち倒せ!」
この為興の下知を受けて砦の守兵たちは各々応戦を始めたが、三好勢の数の前に次々と侵入を許され、砦の中で刀を交えるまでに戦火が拡大した。その中で砦の中に駆け込んだ一人の武将が刀を上げて名乗りを上げた。
「我が名は三好家臣、松山重治!天王山砦に一番乗り!」
その言葉を受けて三好勢の足軽たちが一斉に喊声を上げると、そんな重治の目の前に大きな大身槍を携えた一人の武将が立ちはだかって名乗り返した。
「おぉ良き敵なり!我が名は前田慶次郎利益!いざいざ!」
重治に対して名乗り返した利益は、一気に重治との間合いを詰めて重治に襲い掛かった。この急襲ともいうべき利益の攻撃を受けて重治は防戦一方であったが、その利益の突きは一手を重ねるごとにどんどんと大きくなっていき、その突きを受け止めていた重治は苦痛の声を漏らすように発した。
「ぐっ、なかなかどうして…」
「そこだぁっ!」
すると利益は一瞬の隙を見過ごさずに刀を構える重治の隙を突き、胴体めがけて大身槍の切っ先を突き刺した。その突きを受けた重治は声も上げずに喰らうと、その場に刀を落としてその場に倒れ込んだ。
「松山重治、前田慶次郎が討ち取ったり!さぁ者ども、気勢を上げよ!」
「おぉーっ!!」
この利益の声を聴くと、それまで押され気味であった砦の守兵たちは気勢を上げるように声を上げて反応し、徐々に力を盛り返して三好勢を倒していった。その中でまた一人の武将が目の前に立ちはだかる三好勢の足軽たちを薙ぎ倒しながら声を上げた。
「さぁかかってこい三好の雑兵ども!滝川一益が一族、滝川益重が相手となろう!」
「この下郎が!我が名は多羅尾綱知なり!」
「むっ、兜首か!」
自身に対して声を掛けてきた綱知を見た益重は声を上げて反応し、自らに呼びかけてきた綱知に対して挑んでいった。そんな益重に対して綱知は槍で何とか攻撃を受け止めてはいたが、一瞬の隙を突かれて脇腹に一突きを受けてしまった。
「あっ!ふ、不覚…」
脇腹に突きを受けた綱知は苦痛の声を漏らすと、その場にどうっと倒れ込んだ。それを見た益重は倒れ込んだ綱知の首を迅速に取ると周囲に対して聞こえるように名乗りを上げた。
「敵将、この滝川益重が討ち取った!」
その名乗りを聞いた砦の守兵たちは更に意気を上げて応戦し、砦になだれ込んだ三好勢を次々に討ち取っていった。するとそんな攻め込んできた方向とは正反対の方向から別の一団が砦の中に入ってくると、砦の中で応戦していた為興に対して声を掛けた。
「為興様!助太刀に参りましたぞ!」
「おぉ真田殿か!御助力忝い!」
そう、この一団こそ高秀高の命を受けて天王山救援に馳せ参じた真田幸綱の一党であった。この真田勢の来援を受けると守兵たちは一気呵成に攻め込んできた三好勢を壊滅させ、砦の柵に掛けられた梯子を落として三好勢の切り込みを跳ね除けたのであった。三好勢を撃退する事に成功した為興は守兵たちに対して呼び掛けた。
「…よし、砦内に入り込んだ敵は片付いた。このまま砦外の敵に矢玉を射掛けよ!」
「おう!」
この下知を受けた守兵たちは再び鉄砲や弓を構えると、再び攻め込んできた三好勢に対して再び矢弾を浴びせた。こうした状況を山下で見ていた長逸は歯ぎしりしながら声を上げて怒った。
「ええい、こちらは数多くの兵がおるのだぞ!それなのにこうも容易く負けるというのか!!」
「長逸様、既にお味方は半数まで減らされました!このままではお味方は全滅いたします!」
そんな長逸に対して足軽がお味方の苦戦を伝えると、長逸は山上の砦の方角を見つめながら歯ぎしりした後に軍配を振るった。
「ええいやむを得ん、口惜しいが我らは兵を退く!宗渭にもその旨を伝えよ!」
「はっ!」
そう言うと長逸は自身の手勢に撤退を下知し、それを受けた長逸配下の足軽たちはぞろぞろと引き上げ始めた。しかし背を向けた敵を見過ごすほど砦の守兵たちは甘くはなく、撤退する足軽たちに向けて次々と矢弾を浴びせ、ここに長逸勢は三分の二を失う大損害を受けて撤退したのであった。
「宗渭様!お味方は兵を退き上げました!宗渭様もご撤退を!」
長逸勢が撤退したことを足軽が馬上の宗渭に対して声を掛けると、宗渭は報告してきた足軽の方を振り向くと怒鳴りつけるように言葉を返した。
「何を抜かす!秀高は我が弟・為三の仇!このままおめおめと引き下がれようか!」
「されど…!」
怒鳴りつけられた足軽が更に宗渭に対して言葉を掛けようとしたその時、一発の銃弾が馬上にいる宗渭の眉間に命中した。
「ぐはぁっ!?」
「そ、宗渭様っ!!」
その一発を受けた宗渭は足軽たちの声の中で、ゆっくりと馬上から転げ落ちるように落馬していった。その後その場にいた足軽たちも、矢弾の前に全て薙ぎ倒されるようにその場に倒されていった。
「…まさかあの距離をお当てになるとは、さすがは一益殿。」
この一発を放ったのは、山上の砦の一角で火縄銃を構えていた一益であった。一益の傍らでその一発を目の当たりにしていた為興は感嘆するように声を掛けると、一益は火縄銃の構えを解いて為興へこう言った。
「何の、我が殿が弓の腕前を鍛えておると言うのならば、このわしとてこれくらいの事は出来まする。」
「なるほど…さすがは殿に鉄砲の腕前を見込まれて登用されただけのことはありますな。」
一益の言葉を受けて更に為興が感嘆していると、やがて砦の外にいた三好勢の足軽たちはぞろぞろと砦から離れるように引いて行った。その様子を見た滝川一益の家臣・木全忠澄が一益に向けてこう進言した。
「殿、あの兜首を取って参りまするか?」
「いや、後で良い。それよりも次の備えが攻め掛かってくるやもしれぬ。突破された砦の柵の修繕と、鉄砲組・弓組は矢弾の補充を急がせよ。」
「ははっ!!」
その下知を受けた忠澄は声を上げて反応し、これに為興も頷いて早速にも砦の修繕と矢弾の補充を行った。こうしてここに長慶が戦の大勢を決しようと行った天王山砦への攻勢は、砦に籠る四千の守兵の前にあっけなく失敗に終わったのであった。
「殿!天王山に攻め寄せた敵を撃退いたしました!敵三好宗渭勢、三好長逸勢敗走との事!」
「そうか…何とか守り切ることが出来たか。」
馬廻である神余高政から受けた報告を、東黒門に置かれた本陣にて聞いていた秀高は、頷いた後に言葉を発して受け止めた。するとそんな秀高に対して傍らにいた竹中半兵衛が話しかけた。
「これも全ては、義秀殿の進言のお陰ですね。」
「あぁ。だがまだ気を抜けない。もう間もなく敵の三段目がこちらに攻め掛かってくるだろう。半兵衛、前面の味方にくれぐれも油断はするなと伝えてくれ。」
「ははっ。」
その秀高の言葉を受けると半兵衛は床几から立ち上がって陣幕の外へと出て行った。そして一人本陣の中に残った秀高は目の前の机の上に広がる絵図を見つめながらポツリと呟いた。
「…さて、これで長慶は一体どう出てくるんだろうな。」
この秀高のつぶやきは正に敵がどう出てくるかを測るようなものであった。如何に盛大な三好家とはいえ一段目、そして二段目が打ち崩されただけでもその名声に傷がつく。そんな犠牲を受けてでも秀高を屈服させたい長慶の意図を感じていた秀高は、絵図をじっと見つめながら長慶の次なる一手を待ち侘びていたのであった。