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1566年7月 両雄接敵す



永禄九年(1566年)七月 山城国(やましろのくに)大山崎(おおやまざき)




 翌永禄えいろく九年七月二十四日午前。摂津(せっつ)芥川山(あくたがわやま)から西国街道(さいごくかいどう)を伝って(みやこ)方面へ進むおびただしい数の軍勢が、一歩ずつ歩を進めて進軍していた。この軍勢こそ「三階菱(さんかいびし)五つ釘抜(いつつくぎぬき)」の紋様を旗指物に施す三好長慶(みよしながよし)が率いる総勢三万五千の軍勢であった。その軍勢の先陣を進むのは、長慶の妹を娶っている阿波一宮(あわいちのみや)城主・小笠原成助(おがさわらなりすけ)と三好長慶の家臣・三箇頼照(さんがよりてる)の軍勢合わせて七千である。


「間もなく大山崎じゃな頼照殿。聞けば秀高(ひでたか)が軍勢は二万にも満たぬと聞く。一たび合戦ともなれば一たまりもなく揉み潰せよう。」


 西国街道を馬に乗りながら先陣を切って進む成助が隣の位置で馬を進める頼照に向けて話しかけると、頼照は成助の言葉に頷いた後に返事を返した。


「如何にも。全く我らが殿の術中にはまって挙兵した秀高の愚かな顔が目に浮かびまするな。」


「まったくじゃ…ん?」


 成助はふと、自身の目の前に現れた光景に目を奪われた。成助の目の前にあったのは自分たちの進軍を阻むように構築された土手とその上に置かれた木製の柵であり、その風景を見た成助は頼照に向けて指を差しながら話しかけた。


「のう頼照殿、あれを見よ。」


 成助の言葉を受けて頼照が成助の指さした方角を見ると、その先に広がっていた光景を見てその場で馬を止め、その風景を見つめながら言葉を発した。


「あれは…柵に土手?あのような者はこの辺りには無かったはず…」


「誰かある!あの備えを物見して参れ!!」


「ははっ!!」


 成助はふと後ろを振り向いて後方にいた騎馬武者に物見を命じた。その命を受けた騎馬武者は成助らを追い越して先へと進み、その先に合った風景を詳しく見た後に二人の元へ戻ってきてその詳細を告げた。


「…成助殿!あの備えは敵の備えにございまする!あの土手は桂川(かつらがわ)の川沿いから天王山(てんのうざん)の尾根まで一直線に構築され、その端に当たる天王山の山頂付近には砦が構築されておりまする!」


「何じゃと…?」


 その報告を受けて成助が驚くと、頼照が柵の木に括り付けられた旗指物を見た後に成助に向けてこう発言した。


「あれはもしや秀高の備えでは!?一刻も早くこれを我が殿に!!」


「うむ、そうしよう…。」


 その頼照の言葉を聞いた成助はそれを受け入れると、手勢をその場で留めさせた上で二人とも軍勢の後方にいる長慶の元へと馬を駆けさせていった。




「殿っ!!これより先の大山崎に敵の備えを確認いたしました!敵は天王山と桂川を挟んだ山崎村に柵と土手を(こしら)え、我らの進軍を迎え撃たんとしておりまする!」


 やがて前線より報告しに来た成助らの報告を後方で聞いた長慶は馬の上から黙ってその報告を受け止めた。そんな長慶の代わりに口を開いたのは長慶の弟・安宅冬康(あたぎふゆやす)であった。


「何?山崎村に?村民は如何致した?」


「それが物見の報告によれば村民は秀高の指示によって勝龍寺城(しょうりゅうじじょう)方面へと移され、今は秀高勢がどっしりと陣取っておるとの事!」


 その報告を受けた長慶の嫡子である三好義興(みよしよしおき)は、馬首を返して父・長慶の方を振り向くと即座に意見した。


「父上、このように細長い地形では大軍を一時(いちどき)に投入することは出来ませぬぞ!」


「秀高め、正攻法では勝てぬからとそのような手を取ったか…。」


 ここでようやく口を開いた長慶が視線の遥か先にある秀高の軍勢の方を見つめながらそう言うと、即座に視線を報告に来た成助らの方に向けてすぐに下知を飛ばした。


「成助、頼照。遠慮する事はない。如何に細長い地形と言えど我らの備えと敵の備えとでは兵数が違う。兵数の有利を活かして敵の柵を打ち破れ!」


「は、ははっ!!」


 成助らはこの長慶の下知を受け取ると、すぐに馬上で会釈をした後に馬首を返して自らの手勢の元へと帰っていった。その後長慶は冬康の方に視線を向けるとそこで命令を下した。


「冬康、そなたは前線に向かって先陣の督戦をして参れ。尻込みするような者在らば遠慮はいらぬ。斬り捨てよ。」


「はっ!」


 その命令を受けた冬康は返事を発すると、即座に馬を走らせて成助らの後を追う様に馬を走らせた。その後姿を見送った長慶は遥か先を見据えながら闘志を燃やすように睨むと、そのまま備えを改めて秀高勢との接敵に備えたのであった。




「秀高!物見が敵を発見したみたいだぜ!敵の総勢は三万四千!先陣はあと少しでこちらの柵に攻め掛かってくるぜ。」


 一方、三好勢接近の方は東黒門(ひがしくろもん)に置かれた秀高勢の本陣へと届けられた。秀高は報告しに来た大高義秀(だいこうよしひで)とその妻である(はな)の姿を見つめると、二人に対して首を縦に振って頷いた後に返答した。


「分かった。義秀、くれぐれも味方には柵の外に打って出ず、柵の裏側から限りなく矢玉を浴びせ続けろと伝えろ。矢玉の事は心配せずに撃って撃って撃ちまくれとな。」


「分かったぜ。で?機会が来れば俺たちも打って出て良いんだろう?」


 義秀が得物の槍を肩に掛けながらニヤリと笑うと、秀高は義秀から発せられた言葉に対して首を縦に振って頷いた。


「勿論だ。それまでは血気に(はや)ることなく、敵の攻勢を柵で押し止める事が肝心だ。前線の将兵の指揮は任せたぞ、義秀。」


「おう!華、行くぞ!」


「じゃあヒデくん、私たちの戦いぶりを本陣でどっしりと見ててね。」


 勇ましい返事を述べて陣幕を後にした義秀を追うように、華が秀高に対して言葉をかけた後にその場を去っていった。その後姿を見送った後、陣幕の中の床几(しょうぎ)に腰を掛けていた竹中半兵衛(たけなかはんべえ)が秀高の方を振り向いて言葉をかけた。


「…あとは戦の趨勢(すうせい)次第ですな。」


「あぁ。後は皆の健闘を祈るとしよう。」


 そう言うと秀高は床几から立ち上がり、帳の裏側から視線の向こうに広がる前線の方角を見つめながら開戦の時を今か今かと待ちわびていた。同時に秀高の胸中にはこの時、未だに未知数であった三好勢の実力を前に、内心どこか不安な思いが去就していた。だが今となっては配下の力量に賭けるしかないと、秀高は手にしていた軍配を握り締めながらその遥か先を見つめたのであった。




 こうして高秀高・浅井高政(あざいたかまさ)連合軍一万六千と三好長慶三万四千は西から京へ向かう玄関口である大山崎の地にて対峙した。秀高勢は周囲の地形を利用して天王山と山崎村に構築された土手の裏にそれぞれ陣取り、天王山には秀高の下知を受けて砦を構築した佐治為景(さじためかげ)滝川一益(たきがわかずます)ら計四千余りが布陣した。


 その天王山から桂川へと一直線にひかれた二つの土手の裏に秀高勢の大半は陣取り、そこには高秀高の本隊と小高信頼(しょうこうのぶより)北条氏規(ほうじょううじのり)ら計七千余りが布陣し、桂川沿いの方向には浅井高政と大高義秀(だいこうよしひで)の軍勢五千余りが布陣。ここに総勢一万六千の秀高勢は三好軍の襲来を今か今かと待ち構えていた。




 一方、摂津より西国街道を伝って進軍してきた三好勢はこの構えを前に陣立てを変更。二列縦隊の衡軛(こうやく)陣形を敷いて兵力の波状攻撃を行わんと画策。そこで兵を二つに分けた。すなわち前段一段目には右に小笠原成助、左に三箇頼照の計七千。二段目には右に三好宗渭(みよしそうい)と左に三好長逸(みよしながゆき)の計八千。三段目は右に安宅冬康(あたぎふゆやす)の左に三好康長(みよしやすなが)の計九千。そして最後方の四段目には右に義興、左に長慶本陣の計一万。合わせて三万四千ほどの軍勢が秀高勢の備えに襲い掛かろうとしていたのである。




 時に永禄九年七月二十四日。世にいう「山崎・天王山の戦い」の火蓋がここに切って落とされようとしていたのである…





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