1566年7月 勝龍寺城奇襲
永禄九年(1566年)七月 山城国勝龍寺城
話は同日の朝に遡る。三好長慶の居城・飯盛山城から淀川を挟んだ北方向にあった勝龍寺城では、城代の三好長逸が飯盛山城に向かったため、その留守を息子である三好長虎が守っていた。
「これは若殿、見回りにございまするか?」
その勝龍寺城内本丸の一角にあった矢倉の上階に現れた長虎の姿を見て、守備をしていた足軽が長虎に対して声を掛けた。
「あぁ。委細抜かりはないか?」
「はっ。今日の夕刻には大殿の軍勢がこの城に御着きになる故、兵糧その他武具などはすべて揃えてございまする。」
この時すでに勝龍寺城の城内には、この日の夕刻に長慶率いる大軍が参陣するという報告を受け、城内では軍勢を出迎える準備が着々と進んでいた。騎馬武者の乗る馬が消費する秣や松明、兵たちに支給する兵糧などを城の倉に収める風景が矢倉の上階から張り出す高欄の上に立つ長虎の視線の先に広がっていた。
「うむ。これで大軍の駐留も容易になろう…。」
長虎がその風景を見つめながら言葉を発すると、その長虎に付き従っていた一人の侍大将が長虎に対して語り掛けた。
「そう言えば若殿、近場の商人がもう間もなく残りの兵糧を運搬して参るとの事にござる。」
「そうか。それが到着すれば何の心配はいらぬな。」
長虎が侍大将の言葉を受けて返事を返すと、その場に一人の足軽が現れて長虎に向けてこう報告した。
「殿、商人が到着なさいました。何でも殿に是非ともお会いしたいとか。」
「何?このわしにか?」
その報告を受けて不意を突かれたように驚いた長虎であったが、傍らにいた侍大将が長虎に対して発言した。
「きっと持って参った挨拶がしたいのでしょう。お会いになられては?」
「そうか。では会うとしよう。」
そう言うと長虎は侍大将を連れて矢倉の上階から降りて、本丸の中まで戻ってくるとその本丸の中に入ってきた荷車を曳く人夫を引き連れた一人の商人の前まで歩き、長虎は兵糧を運んできた商人に対して声を掛けた。
「…その方が兵糧を運んで参った商人か?」
「はい。遠路はるばる隣国より買い求めた米や少しばかりの武具を運んで参りました。」
その商人の言葉を受けた長虎が、商人の後ろにある荷車の方に視線を向けた。その荷車の上には米俵が積まれた物があったり、中には荷車の上に敷かれた茣蓙の隙間から火縄銃や弓がちらりと見えていた。その様子を見た長虎は商人の方に視線を向けなおして言葉をかけた。
「そうか。よくやってくれた。この働きは必ずや我が大殿に伝えておく。」
「ははっ。ありがたきお言葉にございます。」
商人が長虎の言葉を受けて会釈をすると、長虎はそれに頷いて反応した後に商人らに対して指示するように呼び掛けた。
「よし、これらは兵糧庫に運んでおくが良い。武具は武具庫へ頼む。」
「ははっ。承知いたしました…」
その旨を受けた商人は後方を振り返って荷車を曳く人夫に視線を送ると、人夫たちはその場から荷車を曳き始めて本丸とは橋を挟んだ向こうにあった兵糧庫・武具庫がある小さな曲輪へと向かって行った。そして人夫を連れた商人がその曲輪の中に足を入れると、後ろの曲輪の門がゆっくりと閉じられた。
「おぉ、兵糧の運搬か。ご苦労であった。」
商人が後ろを振り返りながら門が閉じた様子を見ていると、その曲輪を管理する一人の侍大将が近づいてきて声を掛けてきた。すると商人は侍大将の方を振り返って返事を返した。
「ははっ、さぁ皆の者、兵糧を兵糧庫の中へ。」
商人の言葉を受けた人夫たちは、頷いて答えた後に米俵を荷車の上から降ろして兵糧庫の中に入れ始めた。するとその時一人の人夫が、米俵を中に入れた後に侍大将の後方から一振りの刀を片手に近づき、一瞬にして侍大将の首筋に刃を当てた。
「な、何を…ぐうっ!」
その人夫は首筋を切って声を上げた侍大将を倒すと、商人に付き従っていた八十名ほどの人夫が一斉に音もたてずにどこからともなく得物を抜き、その曲輪の中の足軽たちを次々と倒して制圧した。その光景を表情も変えずに冷ややかな視線で見ていた商人に先程の人夫が近づいてきた。
「…上手く行ったか?」
「はい。すでに兵糧庫内の敵は全て倒しました。」
人夫が商人に対してそう言うと、商人はゆっくりと頷いた後に言葉を発した。
「それは重畳。よし、各々武具に身を包み、狼煙を合図に本丸に攻め掛かるぞ。」
「ははっ!」
その言葉を受けた人夫たちは米俵の中に隠していた胴丸や兜などを取り出し、茣蓙を取り払って火縄銃や弓などの武具を手にすると、その場で狼煙を上げた後に門を開いて本丸に攻め入った。実はこの商人の一団こそ高秀高の密命を帯び、偽装して城内に潜り込んだ者たちであり、それを指揮する商人こそ秀高の客将であった真田幸綱その人であった。
「若殿、一大事にございまする!」
この僅かな間に起きた襲撃は本丸館の中に届けられた。報告に来た足軽が駆け込んでその場に入ると、その様子を見た長虎が不審な表情を見せながら尋ねた。
「どうした?その様に慌てて…」
「じょ、城内に突如として敵が現れました!百ばかりの敵勢がこちらに向かって来ています!」
こう足軽が長虎に報告したその時、突如としてその後方から喚声が上がった。その声の後にぞろぞろと鎧武者たちが刀を片手に殴り込んでくると、立ち塞がる守兵たちを斬り倒していった。
「何が起きておるというのだ!!」
長虎が目の前に広がる声に信じられない様子で声を上げると、その場に武者たちの後方から一人の武将が広間の中に入り込んできて、刀を片手に立ちふさがる足軽たちを切り伏せながら上座にいる長虎の姿を見て声を上げた。
「兄上!守将がおったぞ!」
こう声を上げたのは幸綱の弟・矢沢頼綱であった。頼綱は後ろを振り返りながらそう言うと、その後方から幸綱が鎧に身を包んで現れた。するとその顔を見た長虎が驚いて幸綱を指差しながら反応した。
「そ、そなたはさっきの商人!?」
「如何にも。高秀高が客将・真田幸綱にござる。」
「さ、真田だと!?」
すると幸綱は驚いている目の前の長虎の顔と、城内に入った時にあった武士の顔と一致したことを悟ると、長虎の顔を見つめながら言葉を発した。
「その若さ、城代の三好長逸殿ではないな?おそらくはその息子の三好長虎か。」
「こ、この不届き者が!このわしが討ち取ってくれる!!」
長虎の周囲の味方が薙ぎ倒された中で憤った長虎は、徐に太刀を抜いて目の前に立つ幸綱に襲い掛かった。するとその時、突如として幸綱の後方から一人の武者が現れて襲い掛かる長虎の胴体に一閃で槍を突き刺した。
「源太左衛門!」
幸綱が武者の方に視線を向けながらその名を呼ぶように声を上げた。この武者は真田幸綱の長子である真田信綱であり、信綱は突き刺した長虎の方を睨みつけながら深く槍を突き刺した後、長虎の胴体から槍を抜いた。するとその場に長虎は言葉もなくどうっと倒れ込み、その様子を見た信綱がその場に残る足軽たちに槍を向けながら叫んだ。
「三好長虎、真田源太左衛門信綱が討ち取った!大人しく武器を捨てれば命だけは助けてやる!」
「わ、若殿…くっ!」
片手に太刀を持ちながらその場に残る侍大将は、地面に伏す長虎の亡骸を見た後に無念な表情を浮かべながら、床に手にしていた太刀を投げ捨てた。その様子を見た幸綱はこくりと頷いた後に侍大将を見つめながら言葉を発した。
「…賢明な判断じゃ。捕虜は丁重に扱うと良い。」
「はっ!」
そう言うと幸綱の配下たちは速やかに侍大将ら捕虜に縄をかけてその場から連行すると、城内にて抵抗する者達にも縄をかけるためにその場を去っていった。その後その配下と入れ替わりに幸綱の次子・真田昌輝が駆け込んできて父に報告した。
「父上!淀の方も上手く行き申した!守将・三好康俊は竹中久作が討ち取ったとの事!」
この時、淀川を挟んだ対岸にある淀城にも同様の奇襲が敢行され、それが上手く行ったことを知った幸綱は首を縦に振って答えた後に言葉を発した。
「さすがは竹中半兵衛殿の弟御じゃ。信綱、直ちに狼煙を上げよ。城外の殿を城に迎え入れるのじゃ。」
「はっ!」
この言葉を信綱は声を上げて返事をして、その後城内にて狼煙を上げた。するとその数刻後、勝龍寺城内に入ってきたのは長慶の軍勢ではなく秀高指揮する一万三千の軍勢であった。この軍勢を見た勝龍寺城の守兵たちは皆降伏し、ここに秀高は幸綱らの働きによって、僅かの間に山城国内の三好方の城を確保する事に成功したのである。