1566年7月 勝龍寺の密謀
永禄九年(1566年)七月 山城国勝龍寺城
永禄九年七月二日。ここは京の南方、高秀高が築城する伏見城より西に桂川を挟んだ勝龍寺城。西南に天王山を望む旧長岡京の辺りに佇むこの城は三好家の支配下であり、城代は三好家一門であり三好三人衆の筆頭・三好長逸である。
「良くぞ参ったな六郎…いや、今は輝元であったか。」
その勝龍寺城の本丸にある館内にて、城代の長逸の言葉を受けて反応した人物がいた。何を隠そう幕府の臣下でありながらその裏で三好家との繋がりを持っていた細川京兆家当主・細川輝元である。
「長逸殿、今の某はれっきとした幕臣の一人。このように呼び寄せるのはご遠慮いただきたい。」
輝元が声を掛けてきた長逸に対して反応すると、対面に座る長逸は肘掛けに持たれかけながら輝元に対して言葉を返した。
「今更何を申す?貴様は昨年まではこちらの人質であったのだぞ?こちらの不手際で幕府に復帰したとはいえ、今の今まで養ってきた恩を忘れたとは言わせぬ。」
「はっ…」
そう言うと長逸は手にしていた扇を肘掛けにポンと叩くと、姿勢を正して輝元に呼び寄せた本題を切り出した。
「さて、今日呼び寄せたのは他でもない。幕臣であるそなたにしか出来ぬ事だ。」
「…何用でございまするか?」
長逸の言葉を受けて輝元が姿勢を低くしながら返答すると、長逸はそんな輝元の顔に視線を向けながら言葉を発した。
「そなた、これから上様に謁見し我が殿・三好長慶の病状が芳しくないことを告げるのだ。」
「長慶さまのご病状が芳しくない?それは真にございますか?」
その長逸の言葉を受けて輝元が身を乗り出すようにして反応すると、それを見た長逸が手にしていた扇で輝元を宥めるように手首をひねった。
「そんな訳が無かろう。だが今はその嘘に意義がある。」
長逸はそう言って輝元の腰を下ろさせると、輝元や背後にいた細川晴経・輝経父子にも聞こえるようにその真意を語った。
「上様にとって我が殿は因縁の間柄。その我が殿が病に伏せており、尚且つ家中が分裂の状態にあると告げれば上様は三好の衰退を感じ取るであろう。」
「まさか、輝元殿にそれだけを伝えさせるだけではありますまい?」
長逸の発言を受けて晴経が問い返すと、それに長逸は首を縦に振って頷いた。
「その通り。そこでそなたには上様へ三好征討の御教書発布を進言せよ。」
「三好征討の御教書?」
その発言を受けて呆気に取られた様に輝元が言葉を発すると、それを頷いて答えた長逸はその後に言葉を発した。
「そうだ。我が殿は三好征討の御教書を発布する事をお望みだ。」
「しかしそれでは三好家に不利益を及ぼすことになりまするぞ?」
「案ずるな。これは全て我が殿が考えておる策じゃ。」
不安がった輝元の発言を聞いた長逸は一蹴する様に言葉を返すと、目の前の輝元らに一歩近づいた後に耳打ちする様にしてある事を告げた。
「良いか、そなたは京に帰り次第、すぐさま上様へ謁見を申し込め。その際に上様に三好征討の御教書発布と同時にこう言うのじゃ。『是非ともそのご下知を高秀高に差し下し、討伐の全権を与えるべし』とな。」
「高秀高に?」
輝元がその発言を受けてすぐに問い返すと、長逸は輝元の顔を見つめながら首を縦に振った。
「我が殿の狙いは高秀高を合戦に引きずり出すことにある。そしてもし上様より御教書を得る事が叶った砌は、その足で高秀高に御教書を伝えに行くのだ。」
「畏れながら、何故輝元殿にそれを伝えに行かさせるのですか?」
この晴経の質問を聞いた長逸は、すぐさま視線を輝元の後方に控える晴経に向けると聞こえるように言葉を発した。
「良く聞け。次に申す事が肝心じゃ。その際に秀高にこう告げるのじゃ。『この征討に従軍する将兵は、京に在留する兵のみとする』とな。」
「京に在留する兵のみですと!?」
その言葉を聞いて今度は輝経が驚いて声を上げると、長逸は視線を輝経の方に向けながら言葉を続けた。
「真木島輝元からの報告によれば、秀高の京に在留する兵の数は六~七千程度だという。それしきの兵数では御教書を受けてもこちらに攻め掛かろうとはするまい。」
この長逸の予測を輝元や晴経父子は食い入る様に聞いていた。そしてその言葉の間に輝元らの顔を見回すように見つめた長逸は、視線を目の前に控える輝元に向けて言葉の続きを述べた。
「そこで今度はこちらの番だ。我が殿が御教書を受け取った秀高に対してそれは我らへの宣戦布告と同等であると宣言し、四国からの軍勢を合わせた総勢五万の軍勢で築城中の伏見と京を攻め落とす。それで今度こそ、憎き義輝と秀高一党を京から追放してやるわ。」
「されど上様を京から追放しては将軍家は如何なさるので?」
長逸から告げられた策を聞いた後に輝元がこう問うと、長逸はニヤリと笑いながら問うてきた輝元に答えを発した。
「案ずるな。こちらにはすでに足利義栄殿がおる。そのものを傀儡の将軍職に就け、そなたにはその幕府の管領の位を与えてやる。」
「幕府の…管領…」
その長逸から出た単語を聞いて輝元はそのまま視線を床の方に向けた。幕府の管領。これこそが輝元やその一門が固執するまでに狙っていた役職であり、輝元にとっては命の次に大事な役職であった。
「そうだ。そなたがずっと欲しておった管領職じゃ。かつて細川政元公がやった「明応の政変」を再びやろうというのだ。もしそれが成就されれば…」
「細川京兆家の復権が叶うという訳ですな?」
長逸の言葉の続きを予測した晴経が長逸に向けてこう言うと、その言葉を聞いた長逸がこくりと首を縦に振って頷いた。
「その通りだ。その為にもそなたの芝居にすべてがかかっておる。何としてでも上様に三好家の嘘の内情をつぶさに伝え、同時に三好征討の御教書を得てくるのだ。良いな?」
「ははっ。お任せくだされ。」
そう答えた輝元の目にはもはや迷いはなく、自らの宿願であった京兆家復権の為に長逸から命ぜられた事の遂行を為そうとした。一方、その様子を見ていた長逸は表向きでは穏やかな表情を見せていたが、内心ではほくそ笑むようにしてこの光景を見つめていたのであった。
「父上、長逸より輝元に例の件を伝えたとの事。」
その日の夜、勝龍寺城から出た早馬は長慶の居城である飯盛山城に到着した。この報告を嫡子である三好義興から受けた長慶はその言葉に首を縦に振って頷き、その後に言葉を返した。
「よし、まずは重畳だな。」
長慶が膝掛に持たれかけながら言葉を発すると、義興は父である長慶に近づいて言葉を発した。
「既に三好長治や篠原長房らに動員をかけ、讃岐・阿波・淡路の軍勢を整えておりまする。」
「よし、あとは秀高に発布されるのを待つのみだ。」
そう言うと、長慶は近づいた義興の方に視線を向けて指示を飛ばすように言葉を告げた。
「義興、摂津の国衆にも出陣を命ぜよ。池田長正や伊丹親興らに戦支度を整えさせるのだ。」
「ははっ!!」
その下知を受けると義興は返事をした後に長慶の居間から去っていった。そしてその場に残された長慶は肘掛けに持たれかけながら右隣の蝋台に灯る灯火を見つめながら、正に獲物が掛かるのを待つ猟師のように鋭い視線を向けたのだった。




