1566年6月 鷹狩りの中で
永禄九年(1566年)六月 山城国京
高秀高屋敷にて松永久秀と内藤宗勝の兄弟をもてなした数日後の六月十四日、秀高は久秀より献上された一羽の鷹を用いて初めて鷹狩りを行った。場所は秀高の屋敷の北側。かつて平安京の大内裏があった内野の一角にあたる平野であった。
「…様になっておりまするぞ。秀高殿。」
内野の草原の中で鷹狩りの衣装に身を包んだ秀高を見て、客将であり鷹狩りの御膳立てをした本多正信が感嘆するように声を発した。するとそれを聞いた秀高は用意をしてくれた正信に感謝の意を示した。
「正信、何から何まで教えてくれてありがとう。お陰で緊張が少しほぐれたよ。」
「ははっ。しかしこの久秀殿より遣わされた鷹は立派にございますな。」
そう言うと正信は秀高の腕に乗せている鷹を見つめながら言葉を発した。するとそれを聞いていた久秀が正信に対して言葉をかけた。
「その鷹はわしが所有する鷹の中でも食欲が旺盛、更に獰猛な性格で獲物を見つければ必ず仕留めまする。初心者の秀高殿にはふさわしい鷹にござる。」
「そうですか。久秀殿、ありがとうございます。」
この秀高の言葉を受けると、久秀は微笑んで頷いた。その後秀高はこの鷹を腕に乗せ、徒歩でその周囲を歩き回ると獲物を探していた久秀から言葉を受けた。
「さぁ秀高殿、まずはあの雉を狙うとしましょうか。」
そう言って指差した久秀の先には、一羽の雉が地面で羽を休めていた。それを聞いた秀高はゆっくりと近づくと間合いを測って鷹を放った。
「それっ!」
だが、鷹を放ったと同時に雉が翼を広げ、鷹が雉に襲い掛かる前に雉はその場から飛び立っていってしまった。それを見届けた後に秀高の元に鷹が戻ってくると、久秀は近づいて秀高に声を掛けた。
「いやぁ、惜しいですが筋は宜しい。然らばこのわしの手本を御覧なされよ。」
久秀はそう言うと、自らが手に持つ鷹を操りながら、別の獲物を見つけると鷹にそれを襲う様に飛び立たせた。すると鷹は勢いよく空中に上がり、飛び立った鴨を難なく仕留めたのであった。
「殿!お見事にござる!」
その後、鷹が仕留めた鴨を片手に持って松永家臣の結城忠正が駆け寄って久秀を褒め称えると、それを受けて秀高も久秀に称賛を送った。
「いや、さすがは久秀殿。お見事な腕前ですね。」
「お言葉忝い…おぉ秀高殿、あの平野の先を御覧なされ。」
そう言って指差された方を秀高が見ると、今度は地面に一頭の野兎がいた。それを見て秀高が鷹を持って構えると、正信が近づいてきて助言をした。
「秀高殿、兎は素早く動くゆえくれぐれも慎重に近づかれた方が宜しいかと。」
「あぁ、分かった。」
秀高は正信の助言を受け入れると、先程以上に慎重に野兎へと近づき、そして意を決して鷹を放った。すると鷹は一目散に野兎に襲い掛かると、暫くの格闘の内に野兎を見事に仕留めることが出来た。
「おぉ、見事!」
その様子を見ていた久秀が声を上げると、秀高は仕留めた野兎を正信に持たせると久秀に近づいて言葉を返した。
「えぇ、何とか獲る事が出来ました…」
「いやお見事にござる。これから腕を上げていけばきっと鳥をも捕まえることが出来ましょう。」
久秀のこの言葉を受けて秀高は頷いて答えた。その後、秀高は久秀と共にこの内野で鷹狩りを行い、数刻にわたって鷹狩りを存分に楽しんだのであった。
「如何でしたかな秀高殿、初の鷹狩りの成果は。」
やがて日が西に傾き、夕刻になった頃合いになった。内野の中にある小高い盛り土に腰を掛けている久秀が目の前にて立っていた秀高に今日の事を尋ねた。
「正信や久秀殿のご教授のお陰で、兎の他に雁を捕まえる事が出来ました。ありがとうございます。」
「それはようござった。鷹狩りを行う様になればいろいろと利点はたくさんあり申す。例えば…」
そう言うと、久秀は自身の側にいた家臣たちの方に目を向けて鷹狩りの利点を語り始めた。
「鷹狩りは我ら鷹を扱う者のほか、獲物を探す者、それに地面に落ちた獲物を捕獲する者と役割分担がござる。これ即ち戦の際になれば獲物を見つける際の動きは密偵の動きとなりまする。」
「なるほど…」
秀高が久秀の意見に得心しながら頷くと、久秀は視線を秀高の方に向けてもう一つの利点を語った。
「それに領地の中で鷹狩りを行えば、先にも申しました通り領地の様子を探ることも出来まする。確かに遠乗りして民情を探るのは一手にはございまするが、鷹狩りを行えばより広い範囲で民情を探ることが出来まする。」
「秀高殿、この意見に関しては某も賛同いたす。」
久秀の意見に賛同して正信が発言すると、その言葉を聞いた上で秀高が久秀に対して言葉を返した。
「分かりました。そこまで言われるのであれば今後その事を考慮しておきましょう。」
「そう言って頂けると忝い。」
その秀高の言葉を久秀が微笑みながら受け止めると、久秀は徐に腰を上げてそれまで座っていた盛り土の方を見つめた。
「おぉそうじゃ秀高殿、この盛り土を御覧なされ。」
そう言って秀高に盛り土の方を見せると、久秀はそれまで自身が腰かけていたこの盛り土についてこう語った。
「ここはかつて平安の京が創建されし砌、御門の大極殿があった基壇の跡にござる。石段自体はこの土の下にござるが、ここら一帯は昔より京の町衆より崇敬されておる地にござる。」
「ここが…」
その盛り土を見て秀高が見つめながら言葉を発すると、久秀もその盛り土を見つめながら秀高に対してこう語り掛けた。
「秀高殿、平家物語の初めの方を御存じか?」
「『祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響き在り』ですか?」
秀高は元の世界で習った平家物語の冒頭を語ると、久秀はそれに頷いて答えた後に自身の言葉を続けた。
「如何にも。その後の節にある『盛者必衰の理を表す』、この盛り土はそれを指し示しておりまする。」
そう言うと久秀は視線を盛り土から自身たちがいる内野の一帯を見回しながら、秀高に対して言葉を続けた。
「平安の京創建当初はその威容を見せていた大内裏も、今となってはただの平野、そしてただの盛り土に帰り申した。」
すると、久秀は背後に立っている秀高の方を振り返ると、秀高の顔をじっと見つめながら一言語り掛けた。
「…秀高殿、もし幕府が滅ぶとなったら、その時は如何なされる?」
「なんですって?」
久秀から出た言葉を聞いて秀高が大いに驚くと、久秀は口角を上げた後に再び姿勢を盛り土の方に向けると、先程の言葉の真意ともいうべき言葉を語った。
「平家物語が指し示した理は、幕府も例外ではありませぬ。今は秀高殿や上様(足利義輝)のお陰で持ち直しておりまするが、もし今の上様がいなくなれば幕府は最早死に体になるのは必定。そうなったら秀高殿は如何なさる?己の野心を秘めたまま幕府に従順に従われるのか?それとも…」
久秀はそう言いかけて秀高の方を振り返り、鋭い視線を秀高に向けると、秀高は負けじと久秀にキリっとした視線を返した。その視線を感じた久秀はふふっと微笑んだ後、秀高の顔を見つめてこう言った。
「…いや、今のは聞かなかったことにしてくだされ。」
そう言うと久秀は自身の家臣を連れて颯爽とその場を去っていった。そしてその内野に残った秀高は、先程の久秀の言葉を受け止めるようにその盛り土をじっと見つめていたのであった。
「そうか…奴の帰順は本心からの物か。」
それから数日後、将軍御所に参上した秀高は松永兄弟を饗応した感想を上座に座る義輝に伝えた。この時、鷹狩りの際に久秀より受けた言葉の事を秀高は義輝に対して告げなかった。
「はい。この私が接してみた感想はその通りです。両者の帰順にやましい点はないと思います。」
秀高のこの言葉を聞いた義輝は手にしていた扇を見つめながら暫く考えた後、下座に控える秀高の方に視線を向けて答えを発した。
「分かった。そなたがそう申すのであれば信じるとしよう。」
「ありがとうございます。それはそうと上様、一つお尋ねしたいことが…」
「何だ?」
義輝の言葉に謝意を述べた後、秀高は義輝に対してある事を問うべく声を掛け、義輝の相づちを聞いた後にその内容を話し始めた。
「上様は細川輝元殿が、三好家の人質であったことはご存じの事かと思いますが。」
「それは知っておるが?それが何か?」
その後、秀高は饗応の席で聞いた輝元と三好家の関係を報告した。すると義輝は腑に落ちたように感嘆すると、相づちをその場で打った。
「なるほど…やはりそうであったか。」
「そうであったとは?」
秀高が義輝の言葉に反応して問うと、義輝は秀高に視線を向けてある事を語った。
「そなたも見たとは思うがあの者、三好家から帰って以降しきりに京兆家の復権を声高々に上げてな、先の諱を授けた後でも管領復権を掲げて頻繁に活動しておるのだが…もしその裏に三好がいるのであれば納得がいく。」
「三好長慶の息のかかった者を管領にすることで、幕政の舵取りを握るという訳ですか。」
その秀高の問いかけを聞くと、上座の義輝はそれに頷きつつも膝掛にもたれかかりながら考え込んだ。
「あぁ。しかしそうなると輝元は今後再びこのわしに謁見して何かを提案して参るはずだ。さてどうしたものか…」
「上様、そこで一つお願いしたき儀が…」
「ほう、申してみよ。」
その言葉を聞くと、秀高は義輝に対してある事を頼み込んだ。この頼みを聞いた義輝はそれを承服し、秀高の提案に乗っかることになったのである。この時の秀高の頼みごとが、今後の畿内の情勢に大きく響くことになるのである…