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1566年5月 東北の輝虎



永禄九年(1566年)五月 出羽国(でわのくに)米沢城(よねざわじょう)




 永禄(えいろく)九年五月上旬。ここは上杉輝虎(うえすぎてるとら)東北(とうほく)遠征の本陣が置かれている伊達晴宗(だてはるむね)の居城・米沢城である。鎌倉公方(かまくらくぼう)足利藤氏(あしかがふじうじ)を奉じて東北の戦乱平定を行っていた輝虎であったが、領地の分配問題から従属していた国衆の離反を招いていたのである。


相馬(そうま)までもが反旗を翻したというのか…」


 米沢城内の本丸館、その中の広間に置かれた床几(しょうぎ)に腰かける輝虎が家臣の直江実綱(なおえさねつな)改め直江景綱(なおえかげつな)から反乱の詳細を聞いていた。この輝虎の相づちを聞いた景綱は更にその詳細を主君である輝虎に報告した。


「はっ、相馬盛胤(そうまもりたね)殿は蘆名盛氏(あしなもりうじ)二本松義国(にほんまつよしくに)、それに二階堂盛義(にかいどうもりよし)などと呼応して我らに反旗を翻し申した。」




 輝虎の東北平定は、開戦当初は輝虎に優位に動いていた。奥州探題(おうしゅうたんだい)・伊達晴宗が輝虎に従う事を表明すると東北南部の諸大名は輝虎の庇護する鎌倉府(かまくらふ)に従属する道を取ったが、輝虎が従属諸将の所領分配を天文(てんぶん)の乱以前に戻すと表明したのを契機に諸将は輝虎に反旗を翻し始めた。


 南部晴政(なんぶはるまさ)の後援を受けた大崎義直(おおざきよしなお)葛西晴胤(かさいはるたね)の挙兵を契機に大宝寺義増(だいほうじよします)安東愛季(あんどうちかすえ)の後援を受け挙兵。更に従属諸将の蘆名・二本松・二階堂、そして相馬の四大名が輝虎に反旗を翻したのである。




「輝虎殿、我らは離反した大崎や葛西、それに大宝寺を相手にしており申したが、蘆名や相馬らが離反したとあっては袋の(ねずみ)と相成りまするぞ。」


 こう発言したのは輝虎の隣に置かれた床几に着座していた晴宗である。するとそれにこの東北遠征に従軍していた関白(かんぱく)近衛前久(このえさきひさ)が上座の位置から輝虎に向けて語り掛けた。


「その通りじゃ輝虎殿。ここは不届き者を懲らしめ、当主の座を我らと親しい者に挿げ替えれば宜しかろう。」


「分かっており申す。されば早急に反旗を翻した蘆名などの謀反を鎮圧せねばならぬ。佐竹(さたけ)殿、相馬はお任せしても(よろ)しいか?」


 輝虎が話を振った相手は東北遠征の際に鎌倉公方の命令によって従軍を命じられていた佐竹家当主・佐竹義重(さたけよししげ)である。自身の目の前に着座していた輝虎から語りかけられた義重はこくりと首を縦に振って頷いた。


「お任せを。相馬には某と岩城重隆(いわきしげたか)殿とで当たり申す。輝虎殿には蘆名などのお相手をお任せいたす。」


「うむ。相分かった。」


 景虎は義重の発言に首を振って答えると、そのまま自身の背後に控えていた家臣の柿崎景家(かきざきかげいえ)本庄繁長(ほんじょうしげなが)の方を振り返ると二人に対して下知を飛ばした。


景家(かげいえ)繁長(しげなが)!両名は田村隆顕(たむらたかあき)殿と共に二本松を攻めよ!」


「ははっ!お任せあれ!」


「必ずや二本松義国の首を御前に持ってきて見せましょう!」


 輝虎の下知を受けて繁長が勇ましい返事を返すと、その言葉を聞いて輝虎はこくりと首を頷いてその二人に返事を返した。


「良くぞ申した!二本松を攻め滅ぼした後は石川昭光(いしかわあきみつ)殿と合流し、白河(しらかわ)結城晴綱(ゆうきはるつな)殿と挟撃して二階堂を叩け!」


「ははっ!」


 この下知を受けて景家が返事を返すと、輝虎は今度は両名の奥に控えていた家臣・斎藤朝信(さいとうとものぶ)に向けて別の下知を下した。


「朝信、そなたは猪苗代(いなわしろ)に留まる北条高広(きたじょうたかひろ)と共に蘆名を攻めよ。後で越後(えちご)から新発田長敦(しばたながあつ)五十公野治長(いじみのはるなが)の援軍が参る。それで蘆名盛氏を討ち取れ。」


「ははっ!御屋形のご温情を無碍にし、己が利益を求めて謀叛した蘆名盛氏を討ち取って参りまする!」


 輝虎の下知を聞いた上で朝信が返事をすると、輝虎はその言葉を聞くと首を縦に振って頷き再び視線を正面に向けた。


「うむ。残りの諸将は引き続き、大崎や葛西などと相対する。宜しいですな公方様。」


 そう言うと輝虎は上座の前久の隣に着座する藤氏に話を振った。すると今まで一言も発していなかった藤氏は輝虎から話を促され、ようやくその重い口を開いて一言を発した。


「…万事、良きに計らえ。」


「ははーっ!!」


 その一言を聞いてその場に居並ぶ諸将は返事をした上で頭を下げた。このことからも分かる様に藤氏は輝虎によって鎌倉府の長官・鎌倉公方として奉戴されたものの、実権は関東管領(かんとうかんれい)でもある輝虎の掌中にあり、これはまさに傀儡として扱われている証左であった。




「…秀高(ひでたか)伏見(ふしみ)に城を?」


 その後、輝虎は館内の一室に移るとその場で家臣の景綱から、(みやこ)高秀高(こうのひでたか)の伏見築城の詳細を報告された。


軒猿(のきざる)からの報告によりますれば、その普請は上様より認可された普請にて、秀高は伏見一帯の治水工事を含めた一大普請を行っているとの事。」


「風の噂によれば秀高は特産品などの売買で金銭を蓄え、その金子を元に大々的に築城普請を行っておるとか。」


 景綱に続いて家臣の本庄実乃(ほんじょうさねより)からこの報告を受けると、輝虎は床几に座りながら小姓から盃に注いでもらった酒を一口で飲み干した後に言葉を発した。


「秀高め、上様の名の下で何たる振舞い…やはり成り上がり者に幕政は預けられぬな。」


「そうは申されまするな輝虎殿。いずれは秀高殿と共に上様をお支えせねばならぬのですぞ?」


 秀高に対して敵意を剥き出しにした言葉を聞いて前久が口を挟むと、その前久に対して鋭い視線を向けた上で輝虎が嫌悪感を剥き出しに言葉を発した。


「御冗談を関白様。あの成り上がりと(くつわ)を並べよと?」


「輝虎殿こそ毛嫌いを止めなされ。秀高殿の器量は決して成り上がりと呼ぶほどにあらず。あれは間違いなく天賦(てんぷ)の才と呼んでふさわしかろう。そなたが願う幕府再興の為にも秀高殿のお力は必要不可欠じゃ。」


 輝虎に対して前久が眉をひそめながら言葉を発すると、それを聞いた輝虎が盃を小姓に突き出して渡すと、ムスッとした表情を浮かべながら前久に視線を向けずにこう言った。


「…関白様、どうやらあの成り上がりを痛く気に入っておるご様子。然らばこの米沢を離れて京に参られるが宜しかろう。」


「何を言われる輝虎殿!」


 この言葉を聞いて前久が床几から立ち上がって輝虎に言い寄ると、その瞬間輝虎も床几から立ち上がると、目の前に立つ前久を指差した上で論破するように言葉を放った。


「関白様!我が思う理想の幕政に高秀高など不必要にござる!いずれあの者を蹴落とし、この我が上様を支えて幕府再興を成し遂げてみせまする!もう二度と、成り上がりの名を申されますな!」


「輝虎殿…」


 この言葉を受けて前久が言葉を無くしてそのまま床几にゆっくりと腰を下ろすと、その様子を見た後に輝虎は床几にどしっと腰を下ろした。するとその輝虎に対して景綱がある事を語りかけた。


「…殿、越後(えちご)宇佐美(うさみ)殿より織田信隆(おだのぶたか)らを庇護したとの報せ、既に受け取ってございましょう?」


「それは耳にした。春日山城(かすがやまじょう)留守居の定満と政景(まさかげ)殿の差配で松代城(まつだいじょう)の城代にしたとな。」


 輝虎は東北遠征の最中、越後に留まる宇佐美定満(うさみさだみつ)長尾政景(ながおまさかげ)から越前(えちぜん)より遁走(とんそう)してきた信隆一派を庇護した旨の報告を受けていた。その事を改めて口に出した輝虎に対して景綱が一言で裏を含めるように言った。


「ならば、信隆を使いまするか?」


 この言葉を輝虎は聞いた後、再び小姓から盃を受け取った上で景綱に言葉を返した。


「…いや、我らが動かずとも三好(みよし)が動くであろう。」


三好長慶(みよしながよし)が?されど長慶は長らく床に臥せっておると…」


 実乃が輝虎に対して反論すると、それを聞いた輝虎が両名に対して自身の私見を述べた。


「我らは今しばらくこの東北で戦わねばならぬ。それに信隆の器量を見定めてない今は秀高には三好を当てておく。如何に秀高と言えど三好の前には手こずるであろう。」


「だと良いのですがな…」


 景綱が輝虎の私見を聞いた上でこう言うと、それを小姓から酒を注いでもらいながら聞いていた輝虎は、盃を口の前まで持ってくると不安な事を述べた景綱に対して言葉を返した。


「それに三好が敗れても秀高からこちらに手を付けて来るまい。案ずるな。」


 そう言うと輝虎は並々に盃に注がれた酒を一口で(あお)った。輝虎にとっては予断を許さない東北の情勢を前に秀高へ手を付けられないもどかしさがあったが、かつて自身が上洛した折に見た三好の勢力ならばさしもの秀高も手こずるであろうとの予測からこの発言をしたのである。


 だが、その輝虎の予測は徐々に音を上げて崩壊しようとしていた…





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