1566年3月 九条流摂家の来訪
永禄九年(1566年)三月 山城国京
徳川家康らを伏見城普請を案内したその日の夜、京の高秀高屋敷に三人の公家が来訪した。この来訪した公家の面々はいずれも堂上公家の中では最高位の五摂家の家格を持つ面々であり、京の屋敷に戻った秀高と家臣たちは、丁重に来訪した面々をもてなしていた。
「皆々様、この度はこのようなあばら家にお越しくださり恐悦至極に存じます。」
秀高屋敷の広間の中にて、上座に案内した三人の公家に対して下座にて頭を下げた秀高が来訪した事について感謝を述べた。すると、その中の一人の公家が頭を下げた秀高に対して言葉をかけた。
「何を仰せになられる秀高殿。こちらが急に尋ねた物をかくも丁重なおもてなしをしてくださるだけでありがたい限り。」
「それにしても…まさか五摂家の家格を持つ皆々様がお越しくださるとは…」
秀高の目の前にいた三人の公家。その顔触れは元関白の二条晴良、晴良の子で九条家の当主を務める権大納言の九条兼孝、そして同じく権大納言を務める一条内基であった。この二条・九条・一条の三家は九条流と言われる藤原摂関家を起源とする一流派であり、近衛前久などの家柄である近衛流と双璧を為していた。
「はっはっはっ、五摂家とは申されど麿は既に関白を辞した身。それほどまでの謙遜は無用にござりまする。」
秀高の目の前、三人の公家の真ん中に座していた晴良が言葉を発すると、その言葉を聞いて秀高は頭を上げると恐縮しながらその言葉を受け止めた。
「さ、左様にございますか…」
「それよりも秀高殿、秀高殿の領内から流通して参る品々の数々、我らの手元にも届いておりまするぞ。」
晴良の右隣りに着座する兼孝が秀高に対してこう発言すると、その発言を聞いた上で兼孝の正反対に座していた内基が、言葉を被せるように秀高に向けて言葉を発した。
「特に美濃真桑の真桑瓜が再び手に入ったことは格別の事にて、改めて御礼申し上げたい。」
「ははっ。五摂家の皆々様にもお喜び頂き、誠に忝く思います。」
内基の言葉を聞いて秀高が再び頭を下げて謝意を述べると、その姿を見て晴良が頭を上げた秀高に対して一つ用件を切り出した。
「それで秀高殿、実は一つ折り入ってお願いいたしたき事がおじゃる。」
「何でしょうか?」
秀高は晴良の言葉を聞いた後に膝に手を置いて姿勢を正すと、晴良が秀高に対して用件を述べた。
「既に秀高殿の領内は平穏無事に落ち着いたと聞き及んでおりまする。そこでどうか、朝廷の方に御料地の回復をお願いいたしたい。」
「御料地、ですか?」
ここでいう御料地とは所謂禁裏御料と呼ばれる朝廷の収入源ともいうべき領地の事である。その提案を聞いて秀高が言葉を発すると、秀高に用件を提示した晴良の子でもある兼孝が秀高に向けて補足を付け足した。
「実はこの度重なる戦乱によって朝廷の収入は途絶え、各国の御料地は荒れ果てておる次第。ここは是非とも秀高殿のお力を縋り、領内の禁裏御料を回復しては頂けぬか?」
「はっ…信頼、これをどう思う?」
この依頼を受けて秀高は背後に控えていた小高信頼に視線を向けた。すると信頼は秀高に代わって晴良に返答した。
「晴良様、禁裏御料の位置は既にこちらで把握致しております。朝廷の為になるのであればいつでも回復いたす所存です。」
「ほう、左様か。秀高殿、如何であろうか?」
信頼の言葉を聞いて喜んだ晴良が秀高に向けて尋ねると、秀高は即座に首を縦に振ったうえで返答した。
「かしこまりました。では直ちに御料地回復の儀を家臣と話し合った上で回復いたします。」
「おぉ…これで主上もお喜びになるであろう。」
「ははっ。お喜び頂けたのであれば身に余る光栄です。さぁ、どうぞご一献。」
そう言うと秀高は銚子を手に取った上で上座に進み、晴良の手に持つ盃に対して御酌をした。それを受けて晴良が盃の中の酒を飲み干した後、御酌をしてくれた秀高に対して語り掛けた。
「…時に秀高殿、関白殿(近衛前久)とは既にお知り合いと聞き及んでおるが?」
するとその言葉を受けた秀高は銚子を自身の脇に置いた上で、尋ねられた晴良に対して返答した。
「はっ、私が初めて官位推任を受けた際に取り成してくれたのは関白様にて、お礼を申し上げたかったのですがそれ以降、今までお会いした事がありません。」
「…さもあらん。関白殿は今、東北におわす故な。」
晴良が手にしていた盃を御膳の上に置きながらそう言うと、その言葉を受けて秀高の背後にいた信頼が発言した。
「確か上杉輝虎の東北征伐に同行していると聞いていますが?」
「その通り。関白殿は些か身勝手に行動しすぎる。前の関東征伐の際にも輝虎の意向を受けて越後に向かうやその名で関東諸将を輝虎に服従させよった。武家の諍いに首を突っ込むなど正気の沙汰ではない。」
晴良の右隣りにいた兼孝が盃を呷った後にそう言うと、晴良が秀高に向けて一言こう言った。
「…秀高殿、御身も今後は関白殿とのお付き合いは考えた方が宜しかろう。」
「それはどういう事ですか?」
晴良の驚きの一言を受けて秀高がその発言の真意を問うと、晴良は秀高の顔を見つめながらその意味を話した。
「関白殿は自ら諸国を渡り歩いては、片方に大義名分を与えて無用の戦を引き起こしておる。武家の戦を大きくさせて戦乱を招くなど、我ら公家や朝廷が望んでいる事ではない。そのような御仁と付き合っては大きな損失となろう。」
「…ですが関白殿は我々の…」
そう言って秀高が言葉を続けようとすると、それを晴良が制した上で更に言葉を秀高にかけた。
「秀高殿、御身の気持ちも分からぬではない。が、これは我らの忠告と思って聞いていただきたい。それに朝廷への執り成しはここにいる勧修寺父子から、我らに行えばそれで済む事でおじゃる。」
「秀高殿、ここはどうか皆々様のお言葉をお受け止め下さい。」
この時、晴良らの来訪に同行しており下座に着座していた武家伝奏でもある勧修寺晴秀と勧修寺晴豊の父子が秀高に向けてそう言うと、その父子の言葉を受け止めた秀高は話しかけてきた晴良に対して答えを述べた。
「…分かりました。ともかくその事は私の中に収めておきます。」
「うむ。それで宜しかろう…おぉ、暗い話になってしまいましたな。ささ、秀高殿や家臣の方々も酒をお飲みなされよ。」
「ははっ…」
その促しを受けた秀高は盃を受け取ると晴良から御酌を受けて、その盃に満たされた酒を一口で呷って飲み干した。その御酌を受けた秀高は表情面ではにこやかにしていたがその内心では未だ顔を合わせていない前久への不信感を抱き始めたのであった。