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1566年3月 普請の中の情報交換



永禄九年(1566年)三月 山城国(やましろのくに)伏見(ふしみ)




 永禄(えいろく)九年三月上旬。伏見一帯にて始まった高秀高(こうのひでたか)の築城工事は開始から半年が経過していた。その間、指月(しづき)一帯に水堀や石垣などの城の土台は既に構築され、本丸区画では天守閣や御殿を始めとした建物群の造営が開始されていた。


「既に本丸御殿の造営は始まっておりまする。この本丸御殿は名古屋城(なごやじょう)の本丸御殿に匹敵する規模となっており、また天守閣は名古屋城の天守閣より大きい五層六階を予定しておりまする。」


 造営が進む伏見城本丸の中にて、陣幕が垂らされた(とばり)の中に置かれた床几(しょうぎ)に腰かける秀高に対して、築城総奉行の三浦継意(みうらつぐおき)が秀高の視線の先にある天守台の上に立つ天守閣の説明を述べた。それを聞いた秀高は継意の方に視線を向けると言葉を返した。


「随分天守閣を大きくしたんだな?」


 すると、その秀高の問いに対して継意の側にいた木下秀吉(きのしたひでよし)が、継意の代わりに秀高に対して答えを述べた。


「此度の築城は今後の城郭造営の技術の試金石となっており、その為に名古屋では出来なかった大天守の造営に今回取り組んでおる次第にござる。」


「殿、この大天守造営を可能にしたのはもう一つございまする。近江(おうみ)穴太衆(あのうしゅう)の石工技術を用いて天守台の石垣を堅牢な物に致しました。」


 そう言ったのは秀吉同様、伏見の築城普請に従事している秀吉の弟・木下秀長(きのしたひでなが)である。この秀長より発せられた単語を聞いた秀高は発言してきた秀長に問い返した。


「穴太衆…確か石垣積みの名手と聞いたが?」


「如何にも。殿が近江を手中に収めた事によって彼らの力を借りる事が叶い、その優れた技術をこの城にて発揮させておりまする。彼らの石積みによって組まれた石垣は今後の他の築城に流用されましょう。」



 この穴太衆という集団は元は寺院の石垣施行を務めていたが、その高い技術力は諸大名の羨望(せんぼう)の的となっていた。秀高らの元の世界では織田信長(おだのぶなが)の居城・安土城(あづちじょう)の石垣を施行したことによってその後の城郭の石垣構築に携わるようになった。それを知っていた秀高は穴太衆の面々を抜擢してこの工事に従事させ、尾張(おわり)から呼び寄せた石工たちの目に触れさせていたのである。



「そうか…彼らの高い技術を積極的に学ぶように、当家の石工達によろしく伝えておいてくれ。」


 秀高が奉行を務める秀吉たちに向けてそう言うと、その場に馬廻の山内高豊(やまうちたかとよ)が帳の中に入ってきて秀高に報告を述べた。


「殿、徳川家康(とくがわいえやす)殿が参られました。」


「おぉ三河(みかわ)殿が来たか!すぐにここに通せ!」


 高豊の報告を受けて喜んだ秀高は高豊に命じて帳の中に通すように促した。すると高豊は帳の中に家康を招き入れた。それを受けた家康は京在留の大久保忠世(おおくぼただよ)や側近の本多重次(ほんだしげつぐ)らを従えて帳の中に入ってきた。


「良くぞ来てくれた三河殿。京の方には慣れたか?」


 家康の姿を見かけた秀高は床几からスッと立ち上がり、家康の前に来て家康の手を取って握手を交わすと、家康も握られた秀高の手の上に自身の手を重ねて秀高に言葉を返した。


「はい。京に留まる家臣たちによって京での生活は不自由ございませぬ。」


「そうか…どうだ三河殿。この城の様子は?」


 そう言いながら秀高は用意された床几に着席するよう家康を手で促すと、家康はそれを受け入れて配下と共に床几に座った。そして家康は自身の床几に腰を下ろした秀高に対して先程の返答を述べた。


「はっ…田舎者の(それがし)には中将(ちゅうじょう)(秀高の官職名)様の新たな城は(まぶ)しいばかりにございまする。」


「はっはっはっ、だがいずれ三河殿も居城の改修をするのであれば、このような城にも慣れてもらわないとな。」


「はっ、左様にございますな…。」


 家康が視線を工事の進む伏見城の天守閣を見つめながら秀高の言葉に答えると、ふとその視線の脇に移った自身の家臣の一人の姿を見とめ、秀高の方を振り返って(おもむろ)に発言した。


「そうだ中将殿、この御仁を覚えておいでか?」


 そう言って家康が示した手の先にいた家臣の姿を秀高が見ると、直ぐにその見覚えのある人物の姿を見て声を上げた。


「…あなたは、井伊(いい)殿ではないですか!」


 秀高の視線の先には、かつて今川義元(いまがわよしもと)桶狭間(おけはざま)で討ち取った後、自身の元に義元の首返還を岡部元信(おかべもとのぶ)と共に申し出てきた井伊直盛(いいなおもり)の姿があった。すると直盛は秀高の顔に視線を向けると秀高に向けて挨拶を述べた。


「お久しゅうござる秀高様。かの桶狭間合戦後に元信殿と共に太守の首を返還していただくよう訪れた時以来ですな。」


「えぇ…あれからもう八年近く経ちましたか…。」


 秀高がその時の思い出を思い出すようにしみじみと感傷に浸りながらそう言うと、直盛はそんな秀高に対して言葉を発した。


「あれから八年が過ぎ秀高殿は天下に名高き大大名となり、某は殿の配下として過ごしておりまする。これからは殿の事を何卒お頼み申し上げまする。」


「…あぁ。その想いはしっかりと受け止めたぞ。」


 その直盛の想いが籠った言葉を受け止めた秀高は、直盛に対して答えを返した。その後秀高は家康の方に視線を向けるとある事について尋ねた。


「ところで三河殿、駿河(するが)関東(かんとう)に大きな動きはあったか?」


「至って平穏にございまするが…駿河から来た商人の噂では上杉輝虎(うえすぎてるとら)の東北遠征はあと数年ほどかかる見通しとの事。」


 家康は秀高に対して、自身が仕入れた上杉輝虎の動向を伝えた。すると秀高はその報告を首を縦に振って頷き、報告してきた家康に対して言葉を返した。


「その報告は伊助(いすけ)から聞いている。何でも領地問題で大宝寺(だいほうじ)葛西(かさい)大崎(おおさき)などが輝虎に反旗を翻したと聞くぞ。」


「はっ、のみならずその反乱を南部(なんぶ)安東(あんどう)が後援しており、まだまだ予断を許さぬ状況と聞きまする。」



 この時、輝虎が行っていた東北侵攻は一進一退の状況となっていた。一時は伊達晴宗(だてはるむね)の協力を得て東北南部を平定した輝虎であったが、領地の差配問題によって東北諸将の不和を産み、大宝寺や葛西と言った諸豪族や既に輝虎に臣従していた蘆名(あしな)二本松(にほんまつ)などが反旗を翻して輝虎方と戦いを繰り広げていた。



「…という事は、輝虎の視線がこちらに向くことは今の所はなさそうですな。」


 その東北の戦況を聞いて、この時京に駐在していた滝川一益(たきがわかずます)が秀高に向けてこう言うと、それを頷いて受け止めた秀高はぽつりと言葉を漏らした。


「まぁ、俺たちにとったら願ったり叶ったりの状況だけどな…」


「それで中将殿、信隆(のぶたか)めはやはり越後(えちご)に?」


 その秀高に対して家康が織田信隆(おだのぶたか)の動向を尋ねると、秀高は首を縦に振って頷いた後に言葉を返した。


「あぁ。伊助配下の稲生衆(いのうしゅう)がようやく足取りを掴んだ。今は春日山城(かすがやまじょう)から西にある松代城(まつだいじょう)に居を構えているとの事だ。」


「という事は…信隆の背後にいたのはやはり輝虎であったと…。」


 家康が秀高からの言葉を聞いてこう答えると、一益同様に京に駐在していた小高信頼(しょうこうのぶより)が秀高に代わって家康に向けて発言した。


「えぇ。のみならず伊助の報告によれば、関白の近衛前久(このえさきひさ)卿も東北に在陣する輝虎に付きっきりで従軍しているとの事。」


「なるほど…つまるところ輝虎は関白の威光をもって、東北諸将の平定を為しておるという事ですな?」


 信頼の発言を聞いて重次が秀高に向けて発言すると、その発言を聞いた秀高は頷いて受け止め、その後に口を開いて発言した。


「その通りだ重次。ともかく今後も信隆や輝虎の動向は探らせる。三河殿はくれぐれも関東や今川(いまがわ)の監視を決して緩めない様に。」


「はっ。承知致した。」


 この家康の返答を聞いた後、秀高は訪れた家康ら徳川家の面々を引き連れて普請中の伏見城の城内を案内した。その工事の様子を見て家康らは感じ入る様に見入り、同時に秀高ら高家の威光をひしひしとその工事の様子から感じ取ったのであった。





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