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1565年10月 伏見築城



永禄八年(1565年)十月 山城国(やましろのくに)伏見(ふしみ)




 それから数日後の十月十日、高秀高(こうのひでたか)(みやこ)に駐留する家臣たちを連れて京の南、紀伊郡(きいぐん)は伏見へと赴いた。秀高一行は月見の名所である指月(しづき)の森に着くとそこから伏見の地を眺めた。


「やはり宇治川(うじがわ)の存在が大きいか。」


 伏見の地から宇治川や巨椋池(おぐらいけ)の方角を望む小高い丘にて、秀高は家臣たちが広げる伏見周辺の絵図を見ながら発言した。するとそれに森可成(もりよしなり)が頷いた後に秀高に向けて答えた。


「はっ。この辺りの村人に聞いたところ、この巨椋池は遊水地ではある物の豪雨の際には度々氾濫(はんらん)を起こし、伏見や上流の宇治(うじ)一帯に被害を与える事があるとの事。」


「…これじゃあ城を構えたところで使い物にもならないだろうな。」


 秀高と同じように絵図を睨みつけていた大高義秀(だいこうよしひで)が顎に手を付けながら意見を発すると、それに小高信頼(しょうこうのぶより)が首を縦に振った後に発言した。


「使い物にするのならば、河川の築堤に取り掛かる必要があるね。」


「河川の築堤?」


 信頼の意見を聞いた三浦継意(みうらつぐおき)が言葉を発すると、信頼は傍に控えていた自身の家臣である富田知信(とみたとものぶ)より筆を受け取ると、知信が持つ(すずり)の中の墨を筆先に付け、絵図に書き記しながら自身の方策を示した。


「もし伏見を僕たちの拠点にするのであれば、大きく分けて三つの堤が必要です。まずは宇治から川の流域に沿って向島(むかいじま)の辺りまで巨椋池方向に一つ。それと槙島(まきしま)から巨椋池へと注ぐ流路に沿って進み、小倉(おぐら)の辺りから向島方向へ北に進む一つ。それと伏見から西の納所(のうしょ)の辺りまで宇治川の北岸に沿って築堤する一つです。」


「大規模な土木工事だな。」


 絵図に書き記された項目を見て可成が発言した信頼に向けて発言すると、信頼はそれに頷いて答えた。


「逆に言えば、これくらいのことしなければ伏見の城は使い物にならないという物です。」


「殿、如何なさいまする?ここまでの大規模な工事ともなれば、将軍家からの人夫だけでは足りませぬぞ?」


「うーん…どうするべきか…」


 秀高が継意の言葉を受け、顎に手を当てて思案し始めるとそこに馬廻の深川高則(ふかがわたかのり)が現れて秀高に報告した。


「殿、細川藤孝(ほそかわふじたか)殿が(まか)り越しました。」


「そうか、直ぐにここに通してくれ。」


 報告に来た高則に対して秀高がこう言うと、高則は一回秀高に会釈した後にその場に藤孝を招いた。藤孝は秀高の前に来ると頭を下げて一礼した後に秀高に言葉を発した。


「これは秀高殿、築城の縄張りに向かったと聞きました故(まか)り越した次第。」


「ご足労いただきありがとうございます。ですが少し苦慮する事がありまして…」


「苦慮とは?」


 秀高の言葉を受けて藤孝が言葉を発すると、秀高は藤孝に対して今までの経緯を全て語った。すると藤孝はその場に広げられている絵図を見つめながら秀高に言葉を返した。


「なるほど…確かにこの一帯は氾濫の被害が多発している地域。それくらいの事をせねば使い物にならないという事ですか。」


「えぇ。そこで藤孝殿の御知恵を少しお借りしたいと思いまして。」


 そんな藤孝に対して秀高がそう言うと、藤孝は秀高の方を振り向いて自身の私見を述べた。


「知恵というほどではございませぬが…ここは秀高殿配下の足軽たちに軍役免除を命じた上でこの工事に従事させては如何か?」


「しかし我らは三好(みよし)の動向に気を配らなければならない身。そうしていれば万が一の時に対処できません。」


 藤孝の意見を聞いて、三好への対処の為に足軽を工事に従事させられないことを藤孝に告げると、藤孝はそんな秀高の懸念を払拭させるように首を横に振って否定してその理由を語った。


「ご案じなさるな。三好は長慶(ながよし)の病が癒えたとはいえ万全の状態に非ず、家中では安宅冬康(あたぎふゆやす)三好長逸(みよしながゆき)が推す嫡子・義興(よしおき)の一派と松永久秀(まつながひさひで)が推す養子の重存(しげます)の一派に分裂しておるとか。京まで手を伸ばす余力はありますまい。」


「しかし…」


 藤孝より聞いた三好家の内部事情を聴いてもなお、秀高の中には不安な気持ちが払拭できないでいた。するとそんな秀高の様子を察した藤孝が念を押すように秀高に発言した。


「秀高殿、此度の築城は上様が直々に人夫を差し出すと申されたのです。それを受けておきながら築城せぬとあってはそれこそ幕府の沽券に関わりましょう。」


「…そうですね。ならばその策を受け入れましょう。」


 この念押しともいうべき藤孝の言葉を聞いた秀高は、ようやく築城へと踏み切る覚悟を固めた。そうすると秀高はその場にいた継意の方を振り向いて言葉を発した。


「継意、また築城奉行に任じたいと思うが、誰か与力はいるか?」


「ならば、京在留の木下秀吉(きのしたひでよし)秀長(ひでなが)の兄弟をお借りしたいと思います。必ずや名古屋(なごや)の城に負けぬ城を作って見せましょう。」


 秀高よりその下知を受けた継意は与力の家臣を指名した上で築城奉行の役目を引き受けた。その答えを聞いた秀高は頷いて答えた後、続いて義秀と信頼の方を振り向いた。


「義秀、本国の足軽たちに先程の触れを伝えて京への派遣を頼む。」


「分かったぜ。」


「信頼、名古屋の盛政(もりまさ)に金子の調達を命じてくれ。それと同時に尾張にいる村井貞勝(むらいさだかつ)を築堤奉行に任じ、築堤の工事の一任を任せるとの旨を伝えるように。」


「うん。直ぐにでも名古屋に使者を派遣するよ。」


 義秀と信頼に下知を伝え終わると、今度は可成の方を振り向いて下知を下した。


「可成、美濃(みの)伊勢(いせ)尾張(おわり)の城主たちに石材や木材の調達を命じてくれ。」


「ははっ!」


 可成の返答を聞いた秀高はこくりと頷き、その後来訪した藤孝の方を振り向いてある事を頼み込んだ。


「藤孝殿、一応資材等はこちらでそろえるつもりではありますが、万が一の時には将軍家のお力をお借りしたいと上様にお伝えください。」


「承知いたしました。では早速にもその旨を伝えに参りまする。」


 その頼みを聞いた藤孝は(きびす)を返してその場から立ち去っていき、それを見送った秀高は再び絵図の方に視線を向けてこれから始まる大工事の事を思ったのだった。




 それから数日後の十月二十九日。三浦継意を築城総奉行に、木下秀吉・秀長兄弟を普請奉行、村井貞勝を築堤奉行とした布陣で伏見一帯の大規模な土木普請作業が始まった。秀高の領国の足軽や将軍家より借り受けた人夫合わせて四万五千人もの人数がこの工事に従事し、尾張・美濃より回されてきた金子十万貫もの大金が使われ、ここに秀高らの威信をかけた大工事が始まったのである。







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