1565年6月 万感の思い
永禄八年(1565年)六月 山城国京
その日の夜。勘解由小路町の将軍御所の大広間にて将軍・足利義輝が上洛を果した高秀高ら諸将を招いて盛大な宴を催した。一行はまず大広間にて庭先に設けられた能舞台の方向を向いて観世流の能役者たちによる「高砂」を観覧。その荘厳な世界観に秀高らは黙って見入ったのであった。その後、大広間にて配膳が終わり将軍隣席の宴席が始まったのである。
「上様、まずはお盃を。」
宴席の冒頭、細川藤孝が声を発するとそれを受けた義輝が上座にて一人盃を持ち、注がれた盃の中の酒を呷るとその盃を近臣に手渡し、それを下座の秀高の前まで持ってこさせた。
「秀高、この盃を遣わす。」
「ははっ。」
その義輝の言葉を受けた秀高は差し出された盃を手に持ち、近臣より盃に酒を注がれるとそれを義輝同様、一口で呷った。この儀式はすなわち秀高が将軍家に従うことの表れであり、その儀式を見ていた幕臣たちの中には心の中で安堵する者もいたという…
「秀高殿、改めてご上洛の儀祝着至極に存じまする。」
その後、大広間の中で諸将が酒を酌み交わす中で、秀高の席にやって来た浅井高政が秀高に一礼して挨拶をした。
「高政殿、貴方も近江守の官位並びに越前・近江半国の守護職就任おめでとうございます。」
「忝い。今後は互いに手を携えて幕府のために働きましょうぞ。」
「はい。」
そういうと秀高は高政の手に持っていた盃に銚子で酒を注ぎ、それを受けた高政は一口で盃の中の酒を飲み干した。その後、上座の義輝が秀高の方を振り向いて話しかけた。
「秀高よ、先に送られてきた武田信豊一門と仁木義視についてだがこの京にて幕臣として養う。代わりと言っては何だが若狭と伊賀の差配は任せるぞ。」
「ははっ。その事についてはお任せください。若狭はこちらに控える大高兵庫頭義秀が、伊賀は小高中務少輔信頼がそれぞれ統治いたします。」
秀高の言葉を受けた大高義秀と小高信頼がそれぞれ盃を御膳に置き、義輝の方に姿勢を向けて頭を下げた。それを見た義輝は首を縦に振った後に二人に言葉をかけた。
「そうか。義秀に信頼。何卒良しなに頼むぞ。」
「ははっ!」
その言葉を受けて義輝が声を上げて返事をすると、背後の信頼と共に義輝に頭を下げて一礼した。その一礼を見た義輝は頷いて答えた後に秀高に視線を向けて言葉を発した。
「そうじゃ秀高、京での屋敷の地だが、かつて藤原摂関家の屋敷・東三条殿があった辺りは如何であろうか?」
「東三条殿の跡地、ですか?」
この義輝の言葉を受けて秀高が口に題して反復すると、その言葉を聞いた幕臣の細川藤賢が秀高に対して補足を付け足すように発言した。
「現在跡地は両脇を妙顕寺と妙覚寺に挟まれてはおりまするが、両寺に掛け合ったところ勇名高い秀高殿ならばと快くご承知くださいました。よって屋敷はそこに建てられると宜しかろう。」
「なるほど…承知しました。ならばそこに屋敷を構えるとしましょう。」
藤賢の言葉を聞いた上で、秀高は上座の義輝に姿勢を向けた後にその返事を返した。その言葉を聞いた藤孝は徳川家康と浅井高政が座る方向に頭を向け、二人に対して発言した。
「徳川殿や浅井殿もその周辺に屋敷の用地をご用意いたします故、そこに屋敷を構えられると良いでしょう。」
「ははっ。ご配慮くださり忝く存じまする。」
その言葉を受けて家康が代表して返事を返し、高政も家康の言葉に続いて首を縦に振って頷いた。こうした宴会はしばらく続き、その歓待を受けた秀高や家康らは今までの疲れが吹き飛ぶように皆一様に喜び、やがて義輝らに別れを告げて将軍御所を後にしたのだった。
「…継意、可成。二人を京の屋敷の造営奉行に任命する。」
それからしばらくした後、四条後院の跡地に設けられた秀高の本陣の陣幕の中で、秀高は筆頭家老の三浦継意、それに次席家老の森可成に対して先程の屋敷造営の役目を命じた。
「今回の造営は将軍家の連枝である俺たちの力を示すような屋敷を拵えたい。狩野派の絵師や京の大工を総動員して立派な屋敷を造営してくれ。」
「ははっ。承りました。」
「早速明日にでも現地に赴き、用地の測量や造営計画を立てると致しまする。」
秀高の言葉を受けた両名は言葉を秀高に返すと、両名とも一礼してその陣幕の外へと出て行った。すると秀高は陣幕の中にいた北条氏規・滝川一益の二人に視線を向け、氏規に対して話しかけた。
「氏規。亡き父上が任命されていた相模守任官、おめでとう。」
「かたじけのうござる。よもや父と同じ官職を賜るとは…」
この日の日中、氏規は将軍御所において朝廷からの官職を受けた。これこそまさに父・北条氏康が一時期任命されていた相模守の官位そのものであった。氏規が秀高より言葉を受けて万感の思いに浸っている中で、一益が氏規の代わりとばかりに声を発した。
「長野藤定殿は左京亮。遠山綱景殿は侍従に任官され、某も左兵衛佐に任じられ申した。これらも全て殿の斡旋のお陰にございまする。」
「うん。特に氏規にとっては大きな任官だとは思うがな。」
一益の言葉を受けつつも秀高が氏規に視線を送りながら言葉を発した。すると氏規は視線を秀高に送って秀高に自身の思いを伝えた。
「殿、かつて父が任官されていた相模守への任官。誠に身に余る光栄に存じまする。かくなる上は殿への忠誠を更に厚くし、悲願の上杉輝虎征伐を成し遂げるべく邁進してまいりまする。」
「そうか。これからも宜しく頼むぞ。」
「ははっ!」
秀高の言葉を受けた両名は床几から立ち上がって秀高に一礼し、そのまま振り返って陣幕の外へと出て行った。その二人の後姿を見送った後、信頼が口を開いて秀高に語り掛けた。
「そう言えば秀高、覚えているかな?僕たちがこの世界に来てから今年で十年経ったんだよ。」
「…そうか、この十年いろいろあったな…そしてまさか十年でここまで大きな勢力になることが出来るとは思いもしなかったよ。」
信頼の言葉を聞いた秀高は夜空を見上げながら思い出に浸った。思い起こせば元の世界より呼び寄せられた天文二十四年(1555年)より約十年が経過し、秀高たちはその中を必死に駆け回った。そして今、秀高たちは幸運にも上洛の栄誉を手にし、天下の中枢に躍り出たのである。
「この十年の間でヒデくんやヨシくん、それにノブくんは私たち姉妹とそれぞれ結婚し、それぞれに子供たちを設けたわ。」
「うん。このまま行けば秀高くんの天下統一の夢もきっと叶うよ。」
夜空を見上げている秀高に対して義秀の妻・華と秀高の第一正室である玲が言葉をかけた。すると秀高は話しかけてきた二人の方を向くと縦に振って頷いた後に言葉を返した。
「あぁ。とりあえずはまず京の幕政に関与し、中央の政治を学んでおかなきゃな。」
「確かに。幕政に関与する事は将来的に考えて、きっと私たちに大きな利益をもたらすと思います。」
「それだけじゃねぇぜ。秀高は将軍の妹を娶ってるんだ。これから先秀高の存在感は否が応にも高まっていくだろうぜ。」
「それだけじゃないわ。」
信頼の妻・舞と義秀の言葉の後に発言したのは、第三正室・詩姫と共に秀高の子である徳玲丸と熊千代を連れて陣幕の中に現れた静姫であった。
「これから先はあんたと共に、この子供たちもあんたの背中を見て行くのよ。」
「静…それに詩も。」
秀高が陣幕の中に現れた二人に視線を向けて言葉をかけると、詩姫は秀高の目の前に歩み出て秀高に対してこう発言した。
「殿、これから先は殿のお子様たちに恥ずることのない振舞いをお願いしますわ。」
「振舞い、か。」
詩姫のこの言葉を聞いた秀高は、静姫に連れられてきた徳玲丸と熊千代に対して近づき、その後に徳玲丸や熊千代二人に話しかけた。
「徳玲丸。俺は必ず天下を纏める。そしてそれは将軍様の元で為されるべきだと思っている。お前も、それに熊千代共々俺の行動を見ていてくれ。」
「はい。その行動を勉強させていただきます、父上。」
「父上が行いを我らの糧と致します!」
父・秀高の言葉を受け取った徳玲丸と熊千代がそれぞれ言葉を返すと、その勇ましい返事を聞いた秀高は笑みを見せるように声を上げて笑った。
「はっはっはっ。ならば俺も気を引き締めていかなきゃな。」
「ふふっ、そうだね。」
「よっしゃ秀高、ここにいる皆に一言くれるか?」
秀高と玲が互いに見合って言葉を交わした後、義秀が床几から立ち上がって秀高に発言を求めた。すると秀高は義秀の呼び掛けに首を縦に振って答え、その場にいた者達に言葉をかけた。
「皆聞いてくれ。十年前、俺たちは訳も分からずにこの世界に飛ばされてきた。そんな俺たちが十年経った今、こうして京の土を踏むことが出来た。この好機を絶対に逃しちゃならない。俺たちが目指す天下平定の為にも皆、今後もこの秀高に力を貸してくれ!」
「おーっ!!」
その秀高の呼びかけを聞いて義秀や信頼、それに玲たちや徳玲丸らも一斉に声を上げて返事を返した。十年前に戦国乱世に飛ばされた六人はあれよあれよという間に大大名へとのし上がり、そして今回の上洛によって中央の政治に介入するようになったのである…。




