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1565年6月 秀高上洛



永禄八年(1565年)六月 山城国(やましろのくに)(みやこ)




 永禄(えいろく)八年六月十四日。高秀高(こうのひでたか)とその同盟者である徳川家康(とくがわいえやす)浅井高政(あざいたかまさ)らが率いる軍勢八千は、近江(おうみ)大津(おおつ)を発って旧逢坂(おうさか)関を越えて山科(やましな)に入り、そこから南禅寺(なんぜんじ)の脇を通る三条通(さんじょうどおり)を通って粟田口(あわたぐち)から(みやこ)の中へと入京した。


 秀高率いる軍勢は身に纏う甲冑の音をガチャガチャと立てながら三条大橋(さんじょうおおはし)を越えて右折し京極大路(きょうごくおおじ)を進み、やがて勘解由小路(かげゆこうじ)を曲がるとそのまま足利義輝(あしかがよしてる)の御所がある勘解由小路町(かげゆこうじちょう)に進んだ。そんな秀高勢の行軍を町衆の人々は沿道に出て視線を送り、その送られる視線の中を秀高の軍勢が進んでいた。その中で、この軍勢を見ていた京の名医・曲直瀬道三(まなせどうさん)は後年自身の日記にこう記している。



尾州名古屋(びしゅうなごや)より来る軍勢、御所のご下命を受けて上洛せり。その軍勢下々の足軽に至るまで(うるし)塗りの陣笠(じんがさ)を被り黒ずくめの胴丸(どうまる)を身に(まと)い、また騎馬武者も当世具足(とうせいぐそく)を全身に纏うもその鎧は刀傷(かたなきず)多く正に戦を()た軍勢なり。その軍勢を率いる大将高秀高と申し黒鹿毛(くろかげ)の馬に(またが)り朱色の陣羽織(じんばおり)を羽織り馬上から聴衆の顔色を(うかが)いたり。顔立ちは幼さは残るものの風貌は一廉(ひとかど)の将そのもので町衆(ことごと)く目を奪われたり…】



 この秀高の軍勢を見た町衆の殆どは、この道三の日記のような印象を一瞬にして持った。同様にその町衆の中に紛れて堂上公家(とうしょうくげ)の面々の中には、秀高の軍勢を目にしてその威勢ただならぬものを感じた者もいたのであった。その様な視線を送られながら秀高の軍勢は粛々と行軍し、やがて将軍御所の前に着くと秀高らは下馬して地面におり、主だった諸将は幕臣に連れられて御所の中へと入っていったのである。




「秀高、それに皆々。よくぞ参った。」


 将軍御所の大広間にて上座に座る義輝が下座の秀高を労うように言葉をかけた。すると秀高は言葉を受けた後に頭を上げ、上座の義輝に視線を送りながら口を開いた。


「上様、この高秀高。御教書(みぎょうしょ)に従いここに上洛いたしました。」


「うむ。道中の敵を悉く討ち果たしつつもかくも素早い上洛。大儀である。」


「ははっ。」


 義輝よりこの言葉を受けた秀高は再び頭を下げて一礼した。するとその秀高に対して幕臣・柳沢元政(やなぎさわもとまさ)が秀高に対して発言した。


「秀高殿、取り合えず軍勢の駐屯地は先に申し上げた通り四条後院(しじょうごいん)の跡地に陣を張っていただきたいが、いずれ将軍家より京での土地を与えたいと思いまする。」


「京での土地、ですか?」


 その元政の言葉を聞いた秀高が頭を上げ、その言葉の意味を問うように元政に問い返すと、秀高の言葉を受けて元政の代わりに答えたのは、他でもない上座に座る義輝であった。


「うむ。秀高にはいずれ、この京での幕政に関わってもらいたい。その為の屋敷や京での拠点の城も必要となるであろう。」


 するとその義輝の言葉に続いて、元政の隣に座っていた細川藤孝(ほそかわふじたか)が口を開き、秀高に対して言葉を発した。


「まぁ、ともかくはまず屋敷の土地を与え、その後に城地を与えるという流れとなりまする。その際、屋敷には武装した兵を止め置かず、兵を置くのであれば城の方においていただきたい。」


 つまるところ、幕府は上洛した秀高に対して京での活動拠点を与えようという旨の発言をしたのである。これ即ち一介の地方大名であった秀高を幕府がここまで厚遇するのは異例であり、三管四職(さんかんししき)の名家でもない秀高に屋敷を与えて在京を命ずるというのは珍しい事であった。その真意が込められた藤孝の言葉を聞いた秀高は、首を縦に振った後に義輝の方を向いて返答を返した。


「なるほど…それで上様、その幕政に関与というのは…」


「うむ。そなたは形の上では将軍家の連枝。幕政の合議に関与するのに申し分はあるまい。この京には一年半ほど留まって幕政に関与してもらい、終われば本国の尾張(おわり)に帰還しても構わぬ。これを繰り返して京と尾張の間を往復してもらおうと思うのだ。」


 この言葉を秀高の後方で聞いていた小高信頼(しょうこうのぶより)は、まるで江戸幕府(えどばくふ)参勤交代制(さんきんこうたいせい)に近いものがあると脳内で思い浮かべた。同時にその下知を秀高に命ずるほど、幕府は秀高の力を欲しているのだとも肌感で感じ取ったのである。


「…分かりました。上様のご下命であれば不肖この高秀高、謹んで関与させていただきます。」


 秀高は深々と頭を下げながら義輝に対して承諾する旨の言葉を返すと、義輝は微笑みながら首を縦に振った。


「うむ。よろしく頼むぞ、秀高。」


 そう言うと義輝は視線を藤孝の方に向け、その視線を感じた藤孝は義輝に首を縦に振って答えた後、秀高の右脇にいた家康に対して発言した。


「…さて、家康殿。事前に秀高殿よりの推挙を受けておった守護職の一件にござるが、幕臣一同精査の上、家康殿に三河(みかわ)遠江(とおとうみ)守護職を与える事になり申した。」


 

 秀高が大津にて大高義秀(だいこうよしひで)らの到着を待っている間、上洛に関する話し合いを幕臣としていた秀高は、その席上でかつて打診された家康の三河・遠江守護職拝命を幕府に願い出た。これを精査した幕府は両国の実質的な支配者である家康の力を認め、同時に遠江守護であった今川氏真(いまがわうじざね)の凋落を確認すると幕府はこの拝命願いを聞き入れ家康に守護職を与える結果となったのである。



「ははっ、ありがたき幸せに存じ奉りまする。」


 その藤孝の言葉を受けて家康が頭を下げて返答すると、上座の義輝は家康に視線を送ってこう言った。


「家康よ。そなたも秀高の同盟者として、必要な時には幕政への関与を命ずる時もあるがその時は良しなに頼むぞ。」


「ははっ!!」


 こうして家康は正式に三河・遠江守護職を拝命する事となり、同時に浅井高政(あざいたかまさ)も秀高の推挙によって越前(えちぜん)並びに近江(おうみ)半国守護に幕府から任じられたのであった。その後、義輝は秀高に対して官職の事について発言した。


「秀高よ、此度の上洛を賞して幕府より朝廷に官職の授与を働きかけた。それによって秀高や配下、それに家康らにも官職を授与する事にする。」


「ははっ!」


 この秀高の返答を聞くと藤孝は脇に置いてあった一通の書状を開き、その場で声に出してその内容を口に出した。


「…高秀高殿、貴殿を従四位下(じゅしいのげ)左近衛権中将さこのえごんちゅうじょうに任ずる。」


「従四位下ですか…!?」


 この従四位下という位階は今の秀高の位階である従五位下(じゅごいのげ)よりも格上であり、秀高にとっては寝耳に水の事であった。すると義輝は驚いている秀高に対して上座から言葉をかけた。


「それだけ朝廷もそなたの事を気にかけているという事だ。秀高よ、この官職を受けてくれるか?」


「…ははっ、謹んでお受けいたします。」


 この義輝の言葉を受けて秀高もようやく受け止めることが出来、上座の義輝に対して頭を下げながら言葉を返した。その後、秀高の配下や家康・高政らにも官職が授与された。その主な人物たちは以下の通りである。



・大高義秀→従五位上(じゅごいのじょう)兵庫頭(ひょうごのかみ)


・小高信頼→従五位上・中務少輔(なかつかさのしょう)


・徳川三河守家康→正五位下(しょうごいのげ)左近衛権少将さこのえごんのしょうしょう


・浅井高政→従五位上・近江守(おうみのかみ)


北条氏規(ほうじょううじのり)→従五位下・相模守(さがみのかみ)


三浦継意(みうらつぐおき)→従五位上・下総守(しもうさのかみ)


森可成(もりよしなり)→従五位上・武蔵守(むさしのかみ)



 これらの他にも十名ほど幕府の奏請で朝廷より官職を賜り、これによって秀高ら高家の面々にさらなる箔が付いたことになるのである。こうして上洛を為して官位や守護職を得た秀高や家康、そして高政は一躍朝廷の官位を得た大大名へと成長したのであった。





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