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1565年6月 伊賀国の動向



永禄八年(1565年)六月 伊賀国(いがのくに)仁木氏館(につきしやかた)




 永禄八年六月七日。前日に甲賀忍(こうかにん)の処遇を終えて甲賀を平定した高秀高(こうのひでたか)は、その次の日に伊賀への進軍を開始。日野城(ひのじょう)を発った徳川家康(とくがわいえやす)の軍勢と合流して一路伊賀へと進軍した。一方その頃、伊賀国の伊賀上野(いがうえの)の地にある仁木義視(につきよしみ)の館・仁木氏館では喧々諤々の話し合いが行われていた。


「秀高の軍勢は国境を踏み越えようとしておるのだぞ!?何故立ち向かおうとせんのだ!?」


 仁木氏館の大広間にて守護の義視が一際(ひときわ)大きな声を上げていた。その声を向けていたのは下座に控える四人の国人たちに対してであった。その中で猪田郷(いのたごう)の豪族・森田浄雲(もりたじょううん)が義視に対して言葉を返した。


「畏れながら、この事態を招いたのは守護様にござる。我らは既に秀高殿への恭順を取り決めておったのでございまするぞ。」


「たわけた事を申すな!貴様らも伊賀に住まう国人であろう!何故無抵抗で秀高を受け入れられようか!!」


 意見を述べた浄雲に対して義視が上座の場所で立ち上がりながら、浄雲を指さして詰る様に言葉を返す。するとそれに下座の浄雲の両隣りにいた植田光次(うえだみつつぐ)滝野貞清(たきのさだきよ)がそれぞれ言葉を発した。


「既に国内には秀高殿の盟友・徳川家康殿配下の忍びが多数潜り込んでおり申す。そのような中で抵抗を示すなど無意味にござる!」


「左様!それに既に守護様配下の国人がどうやら国境を封鎖しておるようですが、そのような小勢で策もなく立ち向かっては瞬く間に蹴散らされるだけにござい申す!」


「やってみなければ分からぬではないか!」


 この両名の意見を聞いてもなお反駁する義視に対して、その場にいた大舘義実(おおだちよしざね)が義視に対して諫言する様に意見した。


「守護様、既にこの場に百地丹波(ももちたんば)藤林長門(ふじばやしながと)がおられぬ以上、要らぬ抵抗は無意味にございまするぞ。」


「ええい、もう良い!」


 それらの意見を聞いていた義視はとうとうたまりかねて怒りを露わにすると、下座に控えていた浄雲ら四人に対して指を差しながら言い放った。


「貴様らの力などもとよりあてにはしておらん!!わしはわしの力で秀高の軍勢に立ち向かって見せるわ!!」


 そう言うと義視はその場で(きびす)を返してどかどかと広間を去っていった。その義視を見送った後、浄雲ら四人は円を描くようにその場で座りなおし、怒りを向けてきた義視の事に触れながら浄雲が貞清の方に視線を向けながら口を開いた。


「やれやれ、困った傀儡(かいらい)殿じゃ。」


「我らが(あが)(たてまつ)っているだけの存在が、このような状況になればいの一番に奮い立つとはのう…」



 伊賀守護・仁木義視は国人である浄雲らに奉戴されてはいたが、その立場が示す通り国内での権力は極めて弱かった。それによって浄雲ら国人たちの中には飾り人形でもある義視の事を快く思っていない者も一定層いたのである。


 

「だが馬鹿には出来ぬ。あのような人形でも号令をかければほとんどの国衆が応じるであろう。現に人形に反応した国衆は多い。」


 円を描くように座っている浄雲や貞清に対して光次がそう言うと、その真向かいにいた義実が光次の方を振り向いてこう言った。


「だが所詮は寄せ集め。百地や藤林、それに服部を抜いた国衆など秀高の物の数ではあるまい。」


「いずれは突破され、秀高の軍勢はこの館まで参る…か。」


 その義実の言葉を聞いた上で浄雲が言葉を発すると、その場で腕組みをしながら言葉を続けた。


「全く見事な物よ。六角(ろっかく)父子を計略に嵌めて討ち取り、そればかりか南下して来て来た朝倉(あさくら)の大軍を正々堂々の大戦で打ち破りおった。政戦通ずる名将とはかくあるべきものじゃ。」


「となれば、早いうちに誼を通じておくのが得策じゃな。」


 その浄雲に対して貞清がそう言うと、その言葉を聞いた浄雲が腕組みを解き、その場にいた面々と視線を交わしながら言葉を発した。


「うむ。既に国内に服部(はっとり)の手の者が潜り込んでいると聞く。その者から家康殿を通じて秀高殿に書状を差し出すとしよう…」


 その浄雲の言葉を貞清をはじめその場に座っていた者達は首を縦に振って答えた。こうして浄雲らは密かに秀高へ渡りを付けるべく、浄雲ら四人と百地・藤林の名を加えた六人の連署状を家康経由で秀高に差し出したのである。




「仁木の軍勢が国境を封鎖した?」


 一方その頃、伊賀の国境付近に到達した秀高の軍勢は、そこで国境の物見をしてきた伊助(いすけ)より仁木勢が国境を封鎖した旨の報告を受けていた。


「はっ。既に守護・仁木義視が号令をかけ、これに応じた国衆が馳せ参じて近江口を固めてございまする。」


 馬上の秀高に対して伊助が頭を下げながら報告すると、伊助はその場で一回首を縦に振った後に伊助に尋ねた。


「そうか…それでその数は?」


「はっ、総勢は四千余りと思われまするが、半三(はんぞう)殿によれば不審な点があるとの事。」


「不審な点?」


 その言葉を聞いていた秀高は、伊助の隣にて控えていた家康配下の忍び・服部半三保長はっとりはんぞうやすながに向けて視線を向けると、その視線を感じた半蔵は頭を上げて秀高に報告した。


「ははっ。この仁木氏の軍勢に森田・滝野・植田・大舘といった大身の国人どもが一切参陣しておりませぬ。これらの者共は伊賀国の統治を裏で差配する実力者にござれば、彼らの参陣が無いというのはあり得ませぬ。」


「既に百地や藤林といった面々は既に不戦を決め込んでおるとか。これは何か裏がありそうですな。」


 半三の報告を聞いて家康が馬上から秀高にそう言うと、その場に半三保長の子、半蔵正成(はんぞうまさしげ)が父・半三に報告をするべく現れた。


「父上、先程手の者がこのような書状を持って参りました。差出人は森田浄雲にて、これは秀高殿への書状だと…」


「何、この俺に…?」


 その言葉を聞いた秀高は、半三に手渡された書状を半三から受け取ると馬上で書状の封を解き、その中身を拝見した。この書状こそ即ち秀高への恭順の意を示す浄雲らの連署が書かれた書状であった。


「…なるほど、先程の大身の国人たちは既に、義視を見限ったとの事だ。」


「なんと?見限ったと申されたので?」


 この言葉を秀高の後方で聞いていた三浦継意(みうらつぐおき)が言葉を発すると、秀高は後方にて馬に跨っていた継意に書状を手渡しすると継意に対して書状の内容を語った。


「その書状によれば、そこに連名で記されている国人たちは俺への恭順を受け入れ、同時に仁木義視の伊賀守護奉戴を取りやめるとの事だ。即ちそこの国人たちは神妙に俺たちの支配下に入ると言って来たんだ。」


「となれば…目の前の仁木の軍勢を打ち破れば全て片が付くという訳ですな。」


 継意が手渡された書状に目を通しながら秀高に返答すると、その秀高に対して家康が言葉をかけた。


少輔(しょうほ)殿、小規模な遊撃戦に長けている百地や藤林、それに森田が加わらぬとあれば眼前の敵はもはや少輔殿の相手ではございませぬ。」


「そうか。よし、ならばまずは目の前の敵を打ち倒すとしよう。一益(かずます)氏規(うじのり)藤定(ふじさだ)!」


 秀高はその場で声を発すると、そこの場に滝川一益(たきがわかずます)北条氏規(ほうじょううじのり)長野藤定(ながのふじさだ)伊勢路(いせじ)の諸将の面々を呼び寄せた。


「目の前にいる軍勢の掃討はお前たちに任せる。姉川(あねがわ)に参戦出来なかった鬱憤(うっぷん)を存分に晴らして来い!」


「ははっ!ありがたき申し出にござる!」


「あのような小勢など、一ひねりで壊滅させて御覧に入れる。」


「ならば、直ぐにでも攻め掛かりまする!」


 この秀高の下知を受け入れた一益や氏規、そして藤定は口々に秀高に対して返答すると直ちに馬首を返して自陣に戻り、やがて各々の軍勢を率いて国境を封鎖する仁木勢に襲い掛かった。


 数で劣る仁木勢であったが、序盤は地の利を生かして奮闘したものの、先の姉川参陣が叶わなかった一益らの憂さ晴らしともいうべき戦いの前にあっという間に敗走。四千いた軍勢のうち半数を討ち減らした上、惨めな敗北をして義視は命からがら国境から撤退していったのである。





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