1565年6月 甲賀の差配
永禄八年(1565年)六月 近江国日野城
永禄八年六月五日。大高義秀が若狭武田家の降伏を受け入れたその日、義秀に越前に逃げていった織田信隆追討を一任した高秀高は、義秀たちとは別行動を取り、徳川家康の軍勢と共に進路を南に向けて蒲生定秀の居城・日野城に入城。そこで鈴鹿峠を越えてきた北条氏規・滝川一益ら伊勢路の軍勢と合流した。
「殿、まずは姉川での大勝、祝着至極に存じまする。」
日野城の城内、本丸館の広間にて一益が上座に座る秀高に対して、姉川勝利のお祝いの言葉を述べた。すると秀高は言葉を発した一益の方を振り向いて返答した。
「あぁ。その言葉をありがたく思う。」
「これで殿の上洛を阻む者はいなくなりましたな。」
一益の隣に置かれた床几に座っていた氏規が秀高に言葉をかけると、秀高は氏規の方に視線を向けると首を縦に振って頷いた。
「うん。後は義秀が信隆を討ち取ることが出来れば何の憂いも無くなる。まぁ、ここは義秀の健闘に期待するとしよう。」
するとその秀高に対して先程お祝いの言葉を述べた一益が秀高にこう言った。
「それにしても殿、先の姉川の戦ほどの大戦で武功を上げられなかったこと、我ら一同歯がゆい思いがありまする。」
「左様!我らも朝倉の大軍相手に武勇を示しとうございましたぞ!」
一益に続いて伊勢路の軍勢に加勢していた長野藤定が秀高にこう意見すると、これらの意見を受けた秀高がたじろぎながらも返答した。
「あ、あぁ。しかしこの伊勢路の進軍も大事な役目だからな…。」
「それは分かっておりまする。それゆえ殿、次に戦を行う際にはどうか我ら伊勢路の軍勢に武功を立てる機会をお与えくだされ。」
その秀高に対して氏規がこう意見すると、それらの意見を受け止めた秀高は首を縦に振った上で伊勢路の諸将を見つめて答えた。
「分かった。次の機会の時にはそうするとしよう。」
その言葉を聞いた伊勢路の諸将は安堵するように頷き、次の戦での武功を期すべく内心に闘志を燃え滾らせるのであった。その後、秀高は視線を変えて日野城の城主である定秀の方に向けた。
「…さて、定秀。六角父子の死後の六角家臣団の動向はどうだ?」
すると定秀は秀高の言葉に対して頷いて答えた後に言葉を発した。
「はっ。既に我が子蒲生賢秀や青地茂綱を始め、進藤賢盛や後藤高治。それに山崎片家などは殿への帰順を受け入れておりまする。」
「そうか。その者達には所領を安堵するので安心してほしいと伝えてくれ。」
「ははっ。されど殿、一つ気がかりなことがございまする。」
「気がかりな事?」
秀高が定秀の言葉を聞いて復唱する様に問い返すと、定秀は秀高に対してその気がかりな事の内容を告げた。
「甲賀の事にございまする。六角父子の死後、領主の山中俊好を始め、甲賀忍の元締めである望月出雲守から何の音沙汰がありませぬ。」
「そうか…甲賀か…」
甲賀。秀高にとっては自身の配下の忍びである伊助や中村一政、それに一益の生まれ故郷でもあり、配下の忍び集団・稲生衆の源流ともいうべき場所である。
先の秀高襲撃に際し、甲賀の住人である杉谷善住坊が堀秀重と共に襲撃を行った経緯もあり、秀高は甲賀が六角や信隆の側に立って反抗したと考えていたのである。その六角も無くなり信隆も越前に逃げ帰った今、甲賀から何の音沙汰もない事に秀高は不安を覚えていたのである。
「殿、伊賀に向かう前にまずは甲賀に向かっては如何にござるか?」
「一益殿の言う通りにござる。伊賀の動向は半三や子の半蔵に見張らせておる故、少輔殿は心置きなく甲賀に向かわれませ。」
甲賀の状況を聞いた一益の意見に続いて家康が秀高にそう言うと、秀高はこれらの意見を聞き入れると家康の方に視線を向けた。
「三河殿、そのお言葉忝い。よし!俺たちの軍勢は明日、甲賀へと向かう!」
秀高はその場にいた諸将に向けてこう下知を飛ばすと、再び視線を家康の方に向けた。
「三河殿、貴方の軍勢は前野長康の軍勢と共にここで待機し、甲賀の事が片付き次第伊賀への進軍をお願いしたい。」
「心得申した。」
こうして秀高は伊賀平定の前に甲賀へと赴くことを決め、そして翌六月六日。高秀高の軍勢は蒲生定秀の道案内で甲賀へと進軍。かつての上洛の折に赴いた山中屋敷に到着した。この館の主である山中俊好は無抵抗で秀高の軍勢を受け入れ、秀高やその家臣たちを屋敷の中に招いた。
「秀高殿、お久しゅうございまする。」
かつて訪れた山中屋敷の中で俊好と久しぶりの面会を果した秀高は、挨拶をしてきた俊好に対してこう返答した。
「俊好殿…どうして返信をくれなかったのですか?」
「はっ…実は某も六角父子の死後、秀高殿に恭順しようと思って出雲守殿に連絡したところ、出雲守殿からの連絡が一切帰って来ず、如何した物かと逡巡していたのでございまする…」
「連絡が一切帰って来ない?それは一体…」
俊好より出雲守の事を聞いた秀高がそう言うと、突然その場に伊助が現れて報告に参上した。
「殿、失礼致す!」
「伊助か。どうかしたのか?」
その場に駆け込んで報告に来た伊助の様子を見て秀高がこう言うと、伊助は頭を上げて秀高に報告の仔細を告げた。
「実は某の配下の所に、望月出雲守殿からの書状が届きましてございまする。」
「何だと?それを見せてくれ。」
秀高は伊助よりその書状を受け取るとその場で封を解き、出雲守からの書状の中身を拝見した。その書状には次の事が書かれてあった。
【拝啓、高秀高殿。望月出雲守にござる。このような書状で返信させて頂く事をお許し願いたい。秀高殿においては先の六角父子討伐の一件、その手腕に感嘆いたしており申す。されど某は六角父子や六角家に仕えていた甲賀忍。仕えていた主を失ってその主を滅ぼした者に仕えては申し訳が立たぬと思っており申す。加えて、先の秀高殿襲撃の一件に際して織田信隆の圧に屈し、配下を遣わして秀高殿に敵対したことを恥じており申す。よってこれらの責を負い某は甲賀忍の元締めを降りて隠遁させていただく所存。秀高殿においては甲賀忍の処遇全てを一任いたす故、何卒寛大なご処置をお願い致す。 望月出雲守】
「…出雲守殿は引退し、甲賀忍の処遇は俺に任せるとの事だ。」
秀高が書状を見た後、その場の諸将に分かる様に一言でそう言うとそれに三浦継意が反応して答えた。
「されば殿、その甲賀忍の処遇は如何致す所存にございまするか?」
すると秀高はその場でしばらく考え込んだ後、頭を上げると伊助の方に視線を向けてこう尋ねた。
「伊助、多羅尾光俊とかいう忍びと面識はあるか?」
「ございまする。多羅尾殿は某より年上にて、出雲守殿の配下として活動しておりました。」
伊助よりその返答を聞いた秀高は、出雲守からの書状を片手に持ちながら伊助に対して言葉を返した。
「そうか…伊助、その多羅尾光俊に接触して甲賀忍の組織を稲生衆に吸収したいという事を伝えてくれないか?」
「畏れながら秀高殿、それはどういう所存にて…?」
その秀高の意向を聞いた俊好が秀高に問い返すと、秀高は俊好の方を振り向いてそう言った真意を語った。
「甲賀忍は六角配下として俺に反抗し、あまつさえ信隆の誘いに乗って俺を襲撃した。いわば甲賀忍は六角家に忠義を示したんだ。それは出雲守殿の申し分にも一理ある。だからこそ俺は甲賀忍の組織を許してはおけない。」
秀高のこの言葉を、その場にいた諸将や俊好は神妙にその言葉を聞き入っていた。その様な空気の中で秀高は更に言葉を続けた。
「だが、俺は甲賀忍の伝統は残したいと思う。だから甲賀忍という形だけを取り壊し、その実を稲生衆に吸収させることによって存続させたいと思う。無論それを受け入れられない忍びもいるだろう。それらの者たちの差配は光俊や伊助に任せる。」
秀高が執った判断。それはすなわち甲賀忍という組織を解体し、それらを全て稲生衆に一本化するというものであった。そうすることで形の上ではなくなった甲賀忍というものを、稲生衆の中で存続させようとしていたのだ。
「どうだろうか伊助、その役目を引き受けてくれるか?」
秀高は伊助の顔色を窺いながら尋ねると、伊助は直ぐに頭を上げて秀高の顔を見つめながら言葉を返した。
「心得申した。殿がそう仰せになられるのであれば、それに従いまする。」
「すまない、よろしく頼むぞ。」
その伊助の返答を秀高は首を縦に振って答えたのであった。こうして甲賀忍は稲生衆の支配下に収まることになり、稲生衆は甲賀忍の殆どを人員に組み込むことで勢力をさらに増大させた。その後、吸収に尽力した光俊や配下の鵜飼孫六は稲生衆の忍び頭となり、各々配下を率いて各地の諜報に従事するようになるのである。