1565年6月 姉川決戦・後編<一>
永禄八年(1565年)六月 近江国姉川
永禄八年六月三日。姉川河畔での合戦が始まってから一刻が経過していた。霧が覆っている中で朝倉軍の奇襲を受けた高秀高勢は一段目と二段目を突破されたが、その霧が姉川一帯から晴れて消えると徳川家康の軍勢と秀高本陣からの加勢もあって朝倉軍の先陣を逆に撃破する事に成功していた。
「なんと…朝倉軍全軍は川を渡河したか。」
その姉川の北岸。秀高勢と朝倉勢が戦っている場所から数里離れた大路の集落にて息を潜めながら趨勢を見守っていた安西高景と徳川家康の家臣・酒井忠次の軍勢六千の陣中に、姉川での戦いの状況が報告された。大路の集落の中にある一軒の庄屋に隠れる高景と忠次に報告した安西家臣・兼松正吉は二人に対して報告の続きを述べた。
「はっ。三田村城には織田信隆の本隊が陣取っておりまするが、このまま朝倉軍に攻め込めば背後を信隆の軍勢に突かれるのは必定にございまする。」
「高景殿…この儀如何とするか…。」
正吉の報告を受けて忠次が高景に今後の方策を諮ると、その場に忍びの中村一政が颯爽と庄屋の中に入ってきた。
「高景殿。失礼致す。」
「おぉ一政ではないか。どうかしたか?」
一政の姿を見た高景が話しかけると、一政は懐の所に手を置きながら二人に視線を向けて用件を伝えた。
「はっ。我が主並びに家康殿よりご下命を承っておりまする。」
そう言うと一政は懐から一通の書状を取り出し、それを高景に差し出した。すると高景は書状の封を取って書状をその場で広げると、忠次と共にその中身に書かれた内容を見た。すると高景はその書状に書かれていた秀高からの下知を見て隣の忠次に頷きながら話しかけた。
「…なるほど。挟撃される危険を冒して朝倉勢の後背を突くよりは、この策の方が朝倉勢に大いに動揺を与えられよう。」
「一政殿、この下知は殿も承知しておられるのだな?」
忠次が目の前に控える一政にこの事を尋ねると、一政は忠次に視線を向けてこくりと頷いた。
「如何にも。これは家康殿も承知の事にございます。」
「相分かった。我が殿にはその下知を承ったと伝えてくれ。」
「ははっ!」
一政はその言葉を聞くと会釈して答え、その後に立ち上がるとその場から去っていった。その姿を見つめた忠次と高景は言葉を発さずにその庄屋の外に出て、自身の軍勢と共に秀高の下知を実行するべく行動を起こしたのである。
「流石は高秀高。即座に態勢を立て直したようですな。」
一方、秀高勢に攻め掛かる朝倉勢の中から前方にて行われている戦いの様子を見た山崎吉家が、馬上から朝倉勢の三陣目の大将である朝倉景健に話しかけると、景健は話しかけてきた吉家の方を振り返って頷いた。
「…だが、ここで負けてしまってはあの信隆に合わせる顔がない。吉家、そなたは武田殿の軍勢を補佐してやってくれ。」
「心得申した。」
吉家は景健よりこう言われると手綱を引いて馬を駆けさせ、景健勢の前面に位置する若狭武田家の軍勢に加勢するべく向かって行った。その後姿を見送った景健は、眉庇を上げて視線の先に広がる闘いの風景を見つめた。
「数正!我ら旗本衆も加勢致す!」
その視線の先にある戦いの最前線では、秀高勢の左翼から朝倉軍に攻め掛かった徳川勢は家康旗本の部隊も戦闘に加わり始め、朝倉勢右翼の二陣・真柄直隆の軍勢と交戦していた。この戦いの中で徳川軍左翼の大将・石川数正の姿を見た家康勢の旗本を率いる本多重次が馬上から数正に呼びかけた。
「おぉ作左か!救援かたじけない!」
数正が馬上から敵の足軽を切り伏せた後に振り返って重次に言葉を返すと、重次は数正に馬を寄せながら敵を斬り伏せ、やがて周囲に敵がいないのを確認した後に数正に言葉をかけた。
「どうやら敵の第二陣は朝倉家中でも勇名を馳せる真柄直隆だというではないか。腕が鳴るのう平八郎!」
「ははっ!真柄直隆の首はこの某が貰い受け申す!」
重次がそう言って後ろを振り返ると、そこには重次の後を付いて来た家康旗本の本多平八郎忠勝と榊原小平太康政の二人が馬上にいた。その中で燃え滾る闘志を見せた忠勝に対して重次がほくそ笑みながら言葉を返した。
「猛りおって!焦らなくとも討ち取る好機はいくらでも巡って来ようぞ!」
「作左、ともかく今は目の前の朝倉勢の猛攻を跳ね除けるのが先決じゃ。頼むぞ!」
「おう!」
数正の言葉を受けた重次と忠勝らは馬を駆けさせて前へと進み、そこにいた朝倉勢の足軽たちを次々となぎ倒していった。やがて忠勝と康政が二人で戦っていると、前方から馬に乗っていても分かるほどの大男が大太刀を片手に名乗りを上げた。
「尾張と三河の弱兵ども!この真柄十郎左衛門直隆が相手になってやるわ!」
この大男こそ、朝倉軍右翼の第二陣を指揮する真柄直隆その人であった。直隆は周囲にそう名乗りを上げると馬を進めて徳川勢や秀高勢の将兵たちを次々と大太刀で切り伏せ、獅子奮迅ともいうべき戦いぶりを見せていた。
「小平太、あれが真柄直隆か。」
その直隆の雄姿を見て忠勝が康政に語り掛けると、康政は兜の眉庇を上げて忠勝に返答した。
「はっ、あの直隆が持つ大太刀は「太郎太刀」とも呼ばれ、その長さは七尺三寸(約221m)ほどあるとの事にござる。」
「なるほどな…直隆を討つためにはあの大太刀の一振りを避けねばならぬか。」
忠勝はそう言うと愛用の槍である蜻蛉切を掲げると手綱を引いて馬を駆けさせた。その様子を見た康政が驚いて忠勝に呼びかけた。
「忠勝殿!どちらに!?」
「知れたこと!真柄直隆を討ち取って参る!」
忠勝は康政にそう言うと馬を走らせて直隆に近づき、やがて直隆を目視できる場所まで来ると直隆に対して名乗るように呼び掛けた。
「真柄直隆!この本多平八郎忠勝が貴様を討ち取る!」
「おう、徳川家康にその人ありと言われた本多平八郎か!良かろう、我が大太刀を受けて見よ!」
直隆の言葉を聞いた忠勝は一気に手綱を引いて馬を駆けさせた。すると直隆は馬上から忠勝を近づけないように大太刀を振い、それを受けて忠勝は馬を止めて相手の出方を見るようにその場に留まった。
「くっ、なかなか近づけぬ…!」
「どうした本多平八郎!避けてばかりではわしを討ち取れぬぞ!」
馬を止めて気後れするような忠勝を見て直隆がそう言うと、横に振っていた大太刀を上に掲げた一瞬の隙をついて忠勝は馬を近づけ、蜻蛉切を前に突き出して直隆の胴体を一突きした。
「ぐ、ぐはっ!」
「ようやく届いたぞ…真柄直隆!」
直隆に一突きした後に忠勝はそう言うと、更に近づいて蜻蛉切の切っ先を胴体に深く突き刺した。すると直隆は手から大太刀を地面に落とすと突き刺された槍の柄を掴んで忠勝を睨みながら言葉を振り絞って出した。
「み、見事だ…さすがは…本多平八郎…」
直隆は最期の力を振り絞ってそう言うと、刺された蜻蛉切を抜かれた反動で馬上から地面に頭から転げ落ちて絶命した。
「…手ごわい相手であった。」
忠勝は地面に仰向けになって息絶えた直隆の姿を見ると、馬首を翻して周囲にいた両軍の足軽たちに聞こえるように名乗りを上げた。
「本多平八郎忠勝!真柄十郎左衛門を討ち取ったり!」
忠勝がそう言うと朝倉勢は直隆の死に触れて恐れ戦くように後ずさりし、一方の味方は奮い立つように一斉に喊声を上げた。この忠勝の武功によって朝倉勢右翼はさらに混乱の度合いを深め、その最中で多くの朝倉勢の武将が徳川勢や秀高勢に討ち取られていったのである。