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1565年6月 姉川決戦・前編<三>



永禄八年(1565年)六月 近江国(おうみのくに)姉川(あねがわ)




 高秀高(こうのひでたか)勢と徳川家康(とくがわいえやす)勢が朝倉(あさくら)勢と戦っていた同じころ、浅井高政(あざいたかまさ)の軍勢一万は東上坂(ひがしこうざか)の村の辺りにて攻め掛かってきた自身の父・浅井久政(あざいひさまさ)の軍勢一万と戦っていた。


新九郎(しんくろう)…浅井の名を汚しおってからに!」


 その久政勢の中央部にて目の前に立ちはだかる息子・高政の軍勢を見た久政が馬上で手綱を握り締めながら言葉を発すると、久政の側に自らの部隊の所から赤尾清綱(あかおきよつな)が馬を駆けさせて報告に来た。


「殿、既に先陣は新九郎の軍勢に攻め掛かっております。必ずや兜首を上げたとの報告が上がって参りましょう。」


 清綱が久政の機嫌を取る様に声を掛けると、久政は清綱の方に視線を向けて声を掛けた。


「清綱、何としてもあの信隆(のぶたか)に良い顔をさせるな。我らで新九郎を討って浅井家の誇りを示すのだ。」


「ははっ。」


 その久政の言葉を受けた清綱は一言で返事を返すと、馬首を返して前線の自らの部隊へと帰っていった。そして久政は再び視線を高政の軍勢の方に向けると、手綱を強く握って不肖の息子への怒りを徐々に強めていった。




 一方、父の軍勢を迎え撃つ高政の軍勢の方は、閉鎖的な空気の久政の陣営とは違って開放的な空気が陣営の中に漂っていた。本隊の中央にて父・久政の軍勢を見つめていた高政は自身の側にいた家臣の阿閉貞征(あつじさだゆき)に声を掛けた。


「貞征、味方の戦況はどうだ?」


「概ね一進一退といった所にございましょうか。一段目の磯野員昌(いそのかずまさ)殿の軍勢は攻め掛かる敵の攻撃を跳ね返し、互いに譲らぬ戦いとなっておるようにございます。」


 高政から話を振られた貞征が前方にて戦っている状況を見ながら答えると、高政は馬上から同じように戦いの戦況を(うかが)って言葉を発した。


「そうか…秀高殿の方は朝倉勢の先陣を潰走させたと聞く。ここで我らが負けたとあっては秀高殿に顔が立たぬ。」


 するとこの高政の言葉に反応した一人の武将が、高政に対して自らの意見を発した。


「…然らば殿、この大谷吉房(おおたによしふさ)に手柄を立てさせては頂けませぬか?」


 そう言って声を発した武将こそ、かつて六角家(ろっかくけ)の家臣として秀高や高政と戦い、戦後に高政の家臣の席に列した大谷吉房その人であった。高政はこの吉房の言葉に反応すると自身の背後にいた吉房の方を振り返った。


「吉房、そなたはかつて六角承禎(ろっかくじょうてい)の家臣だったとはいえ、ここで無理に武功を立てなくてもよいのだぞ?」


 すると吉房は高政の言葉を受けると、馬を高政の側に近づけさせて即座に高政に返答した。


「いえ、(それがし)我儘(わがまま)を聞いて下さった秀高殿と、召し抱えてくださった殿のご恩に報いるためにもここで武功を立てたいのです。」


 吉房の覚悟ともいうべき気持ちを聞いた高政はその熱意を受け止めると、首を縦に振って吉房にこう言った。


「そうか…ならばその願いを聞くとしよう。」


 そう言うと高政は手に持っていた軍配で、前方で戦っている味方の方を指しながら吉房に下知を下した。


「吉房、そなたは本隊の手勢数百を率い、藤堂虎高(とうどうとらたか)と共に一段目の磯野(いその)勢救援に向かえ。」


「ははっ!お聞き届け下さり感謝いたします!」


 その下知を受けた吉房は高政の采配に感謝するように頭を深く下げると、手綱を引いて前線へと駆けていった。その様子を見ていた高政の家臣・遠藤直経(えんどうなおつね)が高政に対してこう告げた。


「…秀高殿の早馬によれば、あと数刻で遠山(とおやま)殿の部隊が右側に現れて久政勢を突くはず。それまで耐え抜けば我らの勝ちですな。」


「あぁ。ここが踏ん張りどころだ。直経、お前は二段目の宮部継潤(みやべけいじゅん)の所に向かって一段目の加勢を伝えに行ってくれ。」


「心得ました。」


 高政は声を掛けてきた直経に下知を下し、それを受け取った直経は吉房の後を追う様に前線へと駆けて行った。それを見送った高政は目の前に相対する自身の父と向き合う様に前方の景色を見つめたのであった。




「磯野殿、ご加勢に参りましたぞ!」


 吉房は虎高と高政より預けられた手勢数百を引き連れて一段目で戦う員昌の元に加勢しに来た。員昌は加勢しに来た吉房の声に反応すると、馬首を返して吉房の方を振り返った。


「おぉ大谷殿か!ごらんの通り敵の勢いが凄まじい。そなたらの手を借りるぞ!」


「心得申した!虎高殿、参りますぞ!」


「うむ!」


 員昌より味方の戦況を聞くと虎高と共に戦場の最前線へと向かって行った。その場所では久政勢の右翼を指揮する赤尾勢の旗下(きか)に加わる一人の武将が槍を振って高政勢の足軽たちを次々と打ち倒していた。


「おのれ浅井の面汚しどもが!この脇坂安明(わきさかやすあき)が久政殿の為に成敗してくれるわ!」


 安明は己が信奉する久政の為に槍を振って次々と敵を薙ぎ倒し、その武勇の前に磯野勢は気圧(けお)されつつあった。その最前線に到着した吉房が槍を振う安明の姿を見ると、自身の背後から付いて来た虎高に安明の事を尋ねた。


「虎高殿、あれは?」


「うむ…あれは脇坂安明。久政に忠節を誓う家臣の一人でその槍捌きは見事なほどの腕前を持つものじゃ。」


「ほう…ならば武名を上げるに申し分ない!」


 安明の事を聞いた吉房が奮い立って安明に斬りかかろうとすると、それを虎高は手で制して吉房に声を掛けた。


「早まるな吉房!このわしも手助けする故二人で戦おうぞ。」


「虎高殿…承知致した!」


 この虎高の言葉を聞いた吉房は改めて虎高や手勢と共に安明に向かって行った。そして安明の前に二人が立ちはだかると、馬上に乗る虎高の姿を見て安明が怒って声を掛けた。


「おのれ藤堂虎高!何故大殿を裏切った!」


 すると虎高は怒り狂う安明の姿を見つめながらも務めて冷静に言葉を返した。


「浅井久政は面子に(こだわ)って浅井家を傾けようとした。そのような物にわが命を捧げるわけにはいかん。」


「ほざくなこの老骨が!!」


 そう言うと安明は槍をかざして徒歩で虎高に近づいた。そして虎高に槍を突き出すと虎高はそれを交わして逆に突き出された槍の柄を手に取って脇で槍を挟んだ。すると安明は(おもむろ)に馬の脚を蹴り、それに驚いた馬が跳ね上がって虎高を地面に落とした。地面に落ちた虎高は得物の槍を拾おうとしたがその目の前に槍を構える安明の姿があった。


「はっはっはっ…己の不明をあの世で悔いるが良い!」


 安明は己の勝ちを確信してじりじりと虎高に近づくと、虎高はその背後に視線を向けて声を上げた。


「…今じゃ吉房!」


 するとその声に反応する様に安明の背後から吉房が襲い掛かり、安明の背後に槍を突き刺した。その突きを受けると安明は背後に立った吉房を睨んで声を発した。


「ぐあっ、こ、この卑怯者がぁっ!!」


「今は戦の最中でござる。卑怯などと言われる筋合いはござらぬ。」


 そう言うと吉房は振り返った安明の前面に再び槍を突き刺した。この突きを受けると安明は地面に槍を落として力尽きた。吉房が槍を抜くと安明はその場にどうっと倒れ込み、それを見た吉房が周囲に分かるように声を上げた。


「脇坂安明!討ち取ったり!」


 この声を聴いた磯野勢はそれまでの怖気づいた様子から一転して奮い立ち、襲い掛かる久政勢を跳ね返すように奮戦し始めた。そしてそれが高政勢に勢いを付ける結果となり、互角の数であった高政勢は久政勢を徐々に押し始めた。


「くそっ!我らが正統な浅井家の武士なのだぞ!簒奪者の軍勢に負けてどうする!」


 この戦況を見て歯ぎしりするように右翼の主将の清綱が声を上げると、その清綱を見た高政派の武将が清綱めがけて声を投げかけた。


「裏切り者赤尾清綱!この新庄直昌(しんじょうなおまさ)が成敗してくれる!」


 名乗りを上げた直昌は清綱にそう言うと、周囲から清綱を護衛する武士がいなくなった隙をついて一気に清綱の懐深くに潜り込み、手にしていた刀で清綱の脇腹を刺した。


「ぐおっ…と、殿ぉ!!」


 清綱がこう悲鳴を上げた後に地面に転げ落ちると直昌は即座に清綱の首を取り、取った清綱の首を掲げて大きな声で叫んだ。


「裏切り者赤尾清綱は討ち取った!者共一気に押し返せ!」


 この声を受けて磯野勢は更に奮い立ち、さらに救援に来た宮部勢の加勢もあって磯野勢はそれまでの一進一退の戦況を好転させ、久政の軍勢を追い詰めるように果敢に戦った。


「おぉ…見よ直経。味方が敵を跳ね返しておるぞ。」


 その戦況を後方の本隊で見ていた高政が直経に話しかけると、直経は話しかけてきた高政に対して首を振って頷いた後に返答した。


「ははっ。赤尾清綱の討死で敵右翼は壊乱状態となっておりまする。このまま行けば勝ち目はありますぞ。」


「殿!敵左翼に遠山勢が攻め掛かりました!敵は混乱状態に陥っております!」


 そこに駆け込んできた貞征の報告を聞いて高政が久政勢の左翼の方向を見ると、確かに久政勢の左翼に別の軍勢が襲い掛かっていた。これこそが秀高の下知を受けて久政勢の側面を突いた遠山綱景(とおやまつなかげ)金森可近(かなもりありちか)坂井政尚(さかいまさひさ)らの軍勢九千である。


「よし!今こそ好機!」


 この状況を見た高政が自身の勝ちを確信するように声を上げると、味方に対して勢いよく下知を下した。


「全軍!総攻めだ!我が父を…謀叛人・浅井久政とその郎党を悉く討ち果たせ!」


 この下知を聞いた高政配下の諸将は奮い立ち、同時に高政は馬を駆けて久政勢へと総攻めするべく攻め掛かっていった。これに本隊の将兵たちが続いて攻め掛かり、久政勢は一気に劣勢に追い詰められたのである。この時、開戦の火蓋が切られてから僅か一刻(ひととき)しか経っていなかったのである…





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