1565年6月 姉川決戦・前編<二>
永禄八年(1565年)六月 近江国姉川
高秀高の先陣・長井道勝と久松高俊の軍勢を撃破した富田長繁・前波景当ら朝倉勢の先陣は続いて三段目の森可成勢に攻め掛かっていた。しかし可成勢は先の部隊とは違い押し寄せる朝倉勢を足止めさせていたのである。
「数に怖気づくな!我らが武勇を朝倉の者共に叩きこんでやるのだ!」
「おぉーっ!」
攻め掛かる朝倉勢に応戦する可成は馬上から得物の「人間無骨」をかざして味方を督戦すると、味方の将兵は可成の声に反応して奮い立った。すると可成はある方に視線が向くと、そこで戦っていた味方の侍が敵に押されているのを見て、手助けするべく相手をしていた敵の足軽を槍で突いた。
「舅殿!お怪我はありませぬか!」
足軽を刺し殺した可成が侍に語り掛けると、侍は兜の眉庇を上げて可成の姿を見ると喜んで感謝の意を述べた。
「おぉ婿殿か!この通り大事ない!」
この侍、名を林新右衛門通安と言い、可成から見れば妻の父にあたる。美濃平定後に森家の家臣となってから始めてこの姉川の合戦に加勢していたのである。可成は通安の窮地を救うと大事ない事を感じるや、馬首を翻して再び朝倉勢に斬り込んでいった。
「くぬっ、これしきの少数に何を手間取る!さっさと突破せぬか!」
先陣に立って槍を振う姿を味方に見せる可成に呼応するように、可成勢は朝倉勢の攻撃を跳ね返しつつあった。その様子を見ていた朝倉勢の先陣に加わる武将・河合吉統は馬上から歯ぎしりをするように悔しがった。と、その吉統の目の前に可成勢の一人の若武者が槍をかざして名乗りを上げた。
「森可成が家臣!各務清右衛門元正なり!そこに見える敵将!覚悟致せ!」
「ええい、若造がでしゃばるな!!」
元正の名乗りに反応した吉統が刀を鞘から抜き、馬を駆けさせて目の前の元正に斬りかかると、元正は即座に槍を返すと近づいてくる吉統が乗る馬の脚に狙いを定め、一瞬の間に馬の脚を払って馬上から吉統を落馬させた。
「ぐわっ!ええい、小癪な!」
もんどり返って地面に着いた吉統が立ち上がって刀を構えると、その隙に槍を捨てて腰の鞘から刀を抜いた元正が吉統に近づくや、一合、二合と打ち合った後に吉統の胴体に蹴りを入れて姿勢を崩させ、その隙に吉統を一刀で斬り捨てた。吉統はこの一撃を受けると刀を落としてその場に倒れ込んだ。
「敵将、各務元正が討ち取ったぞ!」
元正が倒れた吉統を見て名乗りを上げると、この声に反応した可成勢が更に奮い立った。そしてその近くにいた可成が声に反応すると、朝倉の足軽を槍で突いた後に元正に聞こえるように声を上げた。
「はっはっはっ!!ようやった元正!」
可成がそう言ったその時、可成勢の背後から味方の援軍が現れた。その援軍の旗印を見た通安が馬上の可成に向けて声を掛けた。
「婿殿!大高殿の部隊じゃ!援軍に馳せ参じてくれたぞ!」
「そうですか…義秀が参られましたか。」
自身の軍勢の後方から現れた軍勢の姿を見て可成がそう言った。これこそ、秀高の命を受けて可成勢救援に現れた大高義秀率いる秀高旗本の軍勢であった。大高勢は可成勢に攻め掛かる朝倉勢先陣に斬り込むと、その勢いのまま朝倉勢を切り伏せていった。
「くっ、新手か!」
この攻撃を受けて景当が馬上から襲い掛かってきた大高勢の方を見ると、その視線の先には鬼の形相を浮かべるように義秀が槍を片手に攻め掛かってきていた。
「おらおらぁっ!!この鬼大高がてめぇらの相手をしてやるぜ!」
「ぐはぁっ!!」
義秀は目の前にいた景当を一突きで刺すと、突きを受けた景当は得物の刀を地面に落とし、義秀勢の馬が上げる土煙の中に消えるように地面に転げ落ちていった。
「おっさん!怪我はねぇか!」
その後義秀は槍を片手に可成の側に近づいて声を掛けると、可成は声を掛けてきた義秀の方に馬首を返して感謝を述べた。
「義秀、救援かたじけない。それよりも、どうやら敵も新手が参ったようだ。」
と、可成が目視できるところまで近づいてきた朝倉勢の二陣・三陣を見て義秀にそう言うと、義秀はほくそ笑んで反対の方向を向いた。
「いいや、そろそろあれが来る頃だぜ。」
「あれだと?」
義秀の視線に促されるように可成がその視線の先を見ると、そこから「三つ葉葵」の紋を掲げる軍旗が見えた。これこそ義秀とは反対の方向から朝倉勢の側面を突くべく現れた徳川家康の軍勢であった。
「数正よ、ようやく我らの出番が回ってきたな。」
その徳川勢の先陣を務めるのは、石川数正勢三千であった。朝倉勢の側面を突くべく襲い掛かる味方の足軽を見送る数正に同族の石川家成が話しかけた。
「はっ。ここで三河武士の強さを秀高殿に見せつけてやりましょうぞ。貞能、忠次。そなたらの働きにも期待しておるぞ。」
と、数正は背後の馬に跨っていた二人の武将に視線を向けて言葉をかけた。そこにいたのは今川氏真から離反して徳川家の配下となった奥平貞能と戸田家の家宰である戸田忠次であった。
「ははっ!」
「この戸田忠次にお任せあれ。」
この戸田忠次、知立の戦いの折に戦線離脱をした戸田宜光の一門であった。しかし戦線離脱をしたその後、宣光とその嫡子の戸田重貞や次子の戸田忠重は三河統一の戦いや一向一揆などの戦いにて悉く討死、若しくは病死した。
これを受けて家康は忠重の子である僅か三歳の虎千代を後見すべく忠次に戸田家の家宰を命じてこの姉川の戦いへの参陣を命じていたのである。
「忠次、貴殿の働き次第では戸田家の家名も上がるであろう。後に続く殿の旗本らに負けぬ武功を期待しておるぞ!」
「はっ!」
その過程を知っていた数正が忠次に声を掛けると、忠次は意気込むように数正に返事を返した。それを受けた数正は刀を抜くと背後に控える武士たちに対して声を掛けた。
「いざ、朝倉軍の側面を突く!者ども我に続け!!」
そう呼び掛けると数正は手綱を引いて馬を駆けさせ、一目散に朝倉勢の側面を突くべく攻め込んだ。これに家成や貞能らも続いて攻め込み、この三方からの攻撃を受けた朝倉勢の先陣は一気に混乱の極みに達したのである。
「ええい怯むな!もうじき味方も参る!何としても食い止めよ!」
この徳川勢の加勢を受けてそれまでの勢いを完全になくしてしまった味方の姿を見て、長繁が馬上から督戦するように声を掛けると、その声に反応した徳川勢の武将が立ち塞がっていた朝倉勢の兵たちを薙ぎ倒して名乗りを上げた。
「我こそは徳川三河守が家臣!渡辺半蔵守綱じゃ!いざいざ!」
「下郎が!この富田長繁の太刀を受けて見よ!」
その名乗りに反応した長繁が、怒りに身を任せて太刀を片手に守綱に斬りかかると、守綱は即座に長繁の隙を見つけて足を踏み込み、長繁の脇腹に槍を突き刺した。
「ぐあぁぁ…」
「はっ、この「槍の半蔵」の相手ではないわ!」
怒りに身を任せた長繁の手ぬるさに守綱がそう言い捨てると、そのまま槍を振って突き刺した長繁を地面に引きずり下ろした。そしてとどめを刺すように長繁の胴体に槍を深く刺し込み、槍を抜いて声を上げた。
「敵将、富田長繁!討ち取ったり!」
この声を守綱が上げると最早朝倉の先陣は総崩れとなり、主将を無くした富田・前波勢の将兵たちは逃散するように戦線を離脱していった。その様子を見ていた義秀が一息つくように息を吐くと、後ろにいた華に話しかけた。
「…先陣は粗方片付いたみてぇだな。」
「でもまだ油断は出来ないわ。朝倉の二陣と三陣が目の前まで来ているわ。」
「分かってるぜ。」
華の言葉を受けながら視線を前の方を見つめていた義秀が返答すると、自身に従う旗本たちに対して声を掛けた。
「よし!このまま朝倉の二陣・三陣を迎え撃つ!野郎ども存分に戦え!」
「おぉーっ!」
この義秀の声に喊声を上げて旗本たちは奮い立ち、先陣の後に攻め掛かってくる朝倉勢の二陣・三陣を迎え撃つべく態勢を整えた。そしてその秀高勢に対して朝倉勢の二陣・三陣合わせて一万八千が攻め掛かったのである。