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1565年6月 開戦の火蓋



永禄八年(1565年)六月 近江国(おうみのくに)姉川(あねがわ)




 六月三日朝。早朝から姉川一帯を覆っていた霧はまだ視界を遮っていたが、徐々に朝日が姉川一帯を照らすと同時に霧も晴れ始めていた。その中で姉川北岸・三田村城(みたむらじょう)の前面に布陣する朝倉(あさくら)勢の先陣・前波景当(まえばかげまさ)の部隊を一騎の武将が訪れた。景当とは正反対の位置に陣取る富田長繁(とだながしげ)であった。


「長繁殿…この霧の中何しに参られた?自身の備えで備えておかねばならぬのでは?」


 景当が馬の上から近付いてきた長繁に呼びかけると、長繁は景当に馬を寄せて一言で呼び掛けた。


「景当殿。此度の戦、何としても朝倉家臣の我らが一番槍を付けねばならぬ。信隆(のぶたか)の配下に一番槍を渡せばきっと家中にてその権勢を大いに振うであろうぞ。」


 この富田長繁、朝倉義景(あさくらよしかげ)から実権を奪い取った信隆の所業を快く思っておらず、よってこの戦に際して独断で朝倉譜代の面子を示そうとしていた。その言葉を受けて裏を感じ取った景当は話しかけた長繁を諫めた。


「されど我らは鶴翼で敵が渡ってくるのを待てと軍議で決まっておる。我らが先に手を付けるのは下策ぞ。」


 すると長繁は馬の上から周囲を見回すようにキョロキョロした後、兜の眉庇(まびさし)に手を掛けながら言葉を返した。


「案ずるな。間もなく霧は晴れよう。その前に川の手前まで進んで対岸の敵に攻め掛かれば問題あるまい。それに敵は我らより数が少ない。一気に攻め掛からずに待つことなど出来ようか!」


 この言葉を受けた景当もまた、強引な手腕で実権を握った信隆に一物を持っていた。その言葉を受けた景当は視線を霧の先にある高秀高(こうのひでたか)の軍勢の方に向けた。


「…分かった。某もあの信隆には一物ある。お主の言葉に従おう。」


「されば景当殿、霧が晴れ次第一気に行動を起こそうぞ。」


 誘いに乗った景当の返事を聞いて、長繁は確認するようにそう言うと馬首を返して自分の部隊の元へと帰っていった。それを見送った後景当は手綱を引いて馬首を返し、秀高の軍勢がいる方角へと振り向いた。




 それから数刻後、姉川一帯の霧は晴れ始め、両岸に陣取る部隊に相手の姿が見え始めた。それを三田村城の館から見ていた信隆は(もや)になった状態の風景を見つめていた。


「ようやく見え始めましたね。」


 その館の縁側から外の風景を見た信隆は、脇に控える明智光秀(あけちみつひで)に話しかけた。すると光秀は外の風景に視線を送った後に信隆の方を向いて言葉を返した。


「はっ。敵はどうやら我らより数が劣る様子なれど、無闇に攻め掛かるのは下策にございましょう。」


「えぇ。各隊には守備を固めるように言い渡しておきなさい。」


「ははっ。」


 信隆の下知を聞いて光秀がその場を去ろうとしたその時、その場に朝倉家臣の山崎吉家(やまざきよしいえ)が血相を変えて駆け寄った。


「信隆殿!一大事にござる!」


「如何なさいましたか?」


 信隆がそのただならぬ様子を察して吉家に用件を尋ねると、吉家は自身の後ろの方を指さしながら信隆に報告した。


「お味方の富田、前波勢が姉川を渡河し始め、対岸に攻め掛かり始めましたぞ!」


「何、それは真にございまするか!?」


 その報告を聞いて信隆家臣の丹羽隆秀(にわたかひで)が声を上げると、吉家は信隆の顔を見つめながら言葉を続けた。


「すでに両隊は先陣を切って進軍し、このままではお味方との間は大きく空くことになりまするぞ!」


 するとこの事実を受け止めた信隆は徐々に苛立ち始めると、手にしていた軍配を強く握りしめて怒った。


「また…またしても味方の独断ですか!!」


 そう言うと信隆は軍配を吉家の脇に振りかぶって投げ捨てた。信隆にとっては数年前の敗戦の要因と同じ展開であり、その怒りも至極当然であった。この怒りを受け止めた吉家は信隆の方に向けて両手を突きながらも信隆に言葉を返した。


「申し訳ござらん。両名はおそらく信隆殿の所業に思う所があったのやも知れませぬ。」


「決してこちらから攻め掛からぬために迎え撃つ態勢を敷くと、軍議で申しておいたはずです!」


 信隆が吉家を指さしてそう言い放つと、その言葉を館の中で聞いていた信隆家臣・前田利家(まえだとしいえ)が信隆に向けて即座に言葉を放った。


「しかし殿!こうなっては戦端を開くほかありませぬぞ!」


 この言葉を聞いた信隆は外の景色を見つめながら、暫く考えこむとその場の一同に向けてこう呼びかけた。


「…分かりました。ではこうしましょう。」


 信隆はそう言うと目の前の吉家を見つめながら自身の腹案を述べた。


「此度の独断専行は朝倉家臣の責任。よって我が本隊はこの三田村城を動かず、両隊の後を二陣と三陣が追いかけて相手に攻勢を仕掛けなさい。」


「しかしそれでは本陣とお味方の間が…」


 その言葉を受けて館の中で待機していた朝倉景健(あさくらかげたけ)が信隆に向けて言うと、信隆は背後にいた景健の方を振り返って自身の経験談を踏まえて語った。


「数年前、秀高は後方に部隊を回して私たちを破りました。この霧の長さから見て同じ手を打ってくるはずです。よって我らはこの三田村城に留まって後方を奇襲する敵を迎え撃ちます。」


 その言葉を受けた景健はしばらく思案した後、吉家のいる縁側の外へと降りると吉家の側に膝を付いて信隆にこう言った。


「…畏まった。確かに後方から攻め掛かられたら一たまりもありませぬ。ならば信隆殿、そのお役目をお任せいたしまするぞ。」


 この景健の言葉を聞いた吉家は気を奮い立たせるように力強く頷き、再び視線を信隆の方に向けて力強く答えた。


「前面の秀高本隊は必ず、我ら朝倉勢が打ち破って見せましょうぞ。」


 そう言うと吉家と景健は信隆に一礼した後に立ち上がって二人してその場から去っていった。それを見送った信隆は脇に控えている光秀に下知を飛ばした。


「…光秀、法螺貝を吹きなさい。出陣の合図を野村(のむら)に聞こえるようにしてやりなさい。」


「ははっ!」


 光秀は信隆に答えた後にその場を去ると、しばらくして三田村城の城内に法螺貝の音が鳴り響いた。それと同時に城外の朝倉勢が喊声を上げる様子を見て信隆は視線を対岸の秀高勢の方に向け、闘志を秘めた瞳でじっと見つめた。




「…兄上!あれを見てくだされ!」


 所変わって姉川南岸の横山城(よこやまじょう)。その城内から姉川一帯を見下ろせる場所にて秀高の次子である熊千代(くまちよ)が兄の徳玲丸(とくれいまる)に姉川の方角を指さしながら語り掛けた。


「あれは朝倉…もう戦が始まったか。」


 徳玲丸が熊千代の傍に来てそう言うと、二人の後を追うようにその場に横山城の守備を務める三浦継高(みうらつぐたか)(れい)静姫(しずひめ)ら秀高の正室たちが現れ、継高が徳玲丸の言葉に反応して声を発した。


「如何にも。どうやら戦を始めたのは対岸の朝倉勢にございまするな。」


「でも大丈夫なのかな?朝倉の軍勢は秀高くんの本隊より数が多いんでしょ?」


 その合戦の様子をその場から眺めた玲が心配そうにそう言うと、継高が玲の方を振り向いて即座に返答した。


「はい。されど未だ殿の軍勢は麓に待機しておりまする。万が一の時はこれらの部隊が加勢する手はずとなっております。」


「だけど朝倉も久政も、決死の覚悟で攻め掛かってくるでしょうね。」


 玲に続いて静姫がその場に立ち、姉川の様子を見ながら言葉を発すると継高が視線を静姫の方に向けて返事した。


「はっ。されど我が殿ならばかような劣勢を見事に跳ね返す事でしょう。」


「…」


 これらの会話を先頭に立っていた熊千代は、黙ってその場から見つめていた。その熊千代に母である玲は近づくと熊千代の肩に手を掛けながら話しかけた。


「熊千代、よく見てて。貴方のお父様の戦いぶりを。」


「…心得ました。」


 母である玲の言葉を熊千代は頷いて答え、視線の先で始まった戦の様子をただじっと見つめたのであった。ここに高秀高(こうのひでたか)徳川家康(とくがわいえやす)浅井高政(あざいたかまさ)織田信隆(おだのぶたか)浅井久政(あざいひさまさ)。両軍合わせて十万余りの軍勢が激突する「姉川決戦(あねがわけっせん)」の火蓋が切って落とされたのである…





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