1565年6月 姉川に布陣す
永禄八年(1565年)六月 近江国姉川
近江国・姉川…流域の大半が近江浅井郡の中を占めているこの川は、地理的には横山城の麓を北国街道が貫通している要衝地でもあった。時に永禄八年六月三日早朝、この姉川を挟むように高秀高・浅井高政・徳川家康の軍勢と、織田信隆が指揮する朝倉軍と浅井久政の軍勢が整然と布陣をしていたのである。
秀高勢の本陣がある姉川南岸の横山城には三浦継高が軍勢三千余りが本陣警固の役を担って布陣し、そこに玲たち秀高の妻子が留まった。ただし、山城である横山城外の麓には遊軍として稲葉良通・安藤守就ら西美濃四人衆と安西高景の軍勢一万四千が布陣していた。
一方、秀高本隊は上坂城へと移り、その前面には長蛇陣形に模した七段構えの布陣が為されていた。即ち一段目には長井道勝勢二千、二段目久松高俊勢二千、三段目森可成勢二千、中間の四段目には丹羽氏勝勢三千、五段目織田信包勢三千、本陣手前の六段目には佐治為景勢三千。そして上坂城に秀高本隊六千が配置。総勢二万一千が布陣した。
その上坂城に布陣した秀高勢の北西部にある西上坂村には徳川家康勢が布陣。家康本隊の前面には酒井忠次勢三千と石川数正勢三千が鶴翼陣形の両翼の位置に布陣し、中央に家康本隊三千が構えていた。
また上坂城より東部の東上坂の集落には浅井高政の軍勢が布陣。元々は七千ほどの軍勢であったが久政に反発する将兵を吸収して一万程に膨れ上がった。この軍勢を高政は秀高同様に長蛇陣形を敷き、一段目は磯野員昌勢三千、二段目に宮部継潤三千が布陣し本隊の高政勢四千が後方に陣取った。ここに総勢五万四千もの秀高勢が姉川南岸にて朝倉勢の攻勢に備えたのである。
一方、姉川北岸の三田村城には織田信隆が指揮する信隆本隊六千が布陣し、その前面には鶴翼陣形で朝倉軍が布陣。右翼には先端部に富田長繁勢三千、中央部に真柄直隆四千、付け根の辺りには朝倉景鏡五千が布陣。また左翼には先端部から前波景当三千、若狭武田家の武田義統四千、付け根には朝倉景健が五千で布陣し、総勢三万もの朝倉勢が秀高本軍と相対すように布陣していた。
また、三田村城から東方向の野村の辺りには久政勢が一万で布陣。右翼に赤尾清綱三千、左翼に雨森清貞が三千。そして中央には久政本隊が四千が位置取ってここに姉川北岸に総勢四万が布陣。ここに姉川の両岸に合わせて十万余りの軍勢が睨みあうように布陣を終えたのであった。
「…見事に霧に覆われてるね。」
六月三日の早朝、両軍が陣取る姉川一帯は濃い霧に覆われていた。秀高本隊が布陣する上坂城内の館の中から外の様子を窺った小高信頼が同じく広間の中にいる秀高に話しかけた。
「あぁ。恐らく敵もこの霧では攻め掛かってこないだろう。来るとすれば霧が晴れてからだろうな。」
「されど殿、奇襲を仕掛けてくることもあり得まするぞ?」
広間の中で机の前に置かれた床几に腰かける秀高に対して三浦継意が進言すると、秀高はその継意の進言に首を横に振って否定した。
「いや、信隆ならいざ知らず、朝倉の諸将にその気概は無いだろう。それにこの霧の中で戦を仕掛けるのは自殺行為に等しい。双方の戦が始まるのは霧が晴れ始めた頃合いだろう。」
「如何にも。それに朝倉勢は士気が低いと聞きまする。信隆が統率を取ろうとしても諸将の中には独断で動く者もおりましょうな。」
秀高の意見に賛同するように客将の真田幸綱が秀高に向けて意見を述べると秀高はその意見を聞いて頷いた。するとその場に馬廻の神余高政が現れた。
「殿、徳川家康殿が参られました。」
この高政の言葉の後にその広間の中に家康が単身で中に入り、家康は秀高の脇に用意された床几に腰を掛けた。その様子を見た秀高が家康に尋ねた。
「これは三河殿、どうかしたのか?」
「いえ、戦はまだ始まらぬ様子ゆえ、少し進言したきことがありましてな。」
「進言したきこと?」
すると家康は机の上に広げられていた絵図を見ると、その机の上に置かれていた指示棒を持って秀高に意見を述べた。
「今少輔殿の目の前に陣取る朝倉勢は三万。もしこれが一斉に襲い掛かればさしもの小輔殿とて劣勢を強いられるは間違いございませぬ。」
そう言うと家康はその場にいた諸将の顔を見つめながらも言葉を続けた。
「…そこで我が配下である忠次勢三千をこの霧の中に密かに行軍させ、今町の辺りから姉川を渡河させて大路の集落を経由して三田村城の後方に回り込みまする。」
家康が進言したこと。それはこの霧の中に密かに軍勢を進めて信隆指揮する朝倉軍の後背を突く策であった。この策は数年前の稲生原の戦いにて織田軍を撃破した策であったため、秀高は不安を覚えて家康にこう言った。
「しかし伊助の報告によれば信隆本隊は六千余りいると聞く。それにこの策は稲生原で信隆を撃破した策。その策を知っている信隆本隊を攻めるのは無謀ではないだろうか?」
すると家康は秀高の言葉を首を振って否定し、直ぐに秀高に言葉を返した。
「いえ、目標は信隆本隊にあらず。この朝倉景鏡の備えにござる。朝倉景鏡は朝倉一門なれど戦にはあまり従軍したことが無いとの事。この備えを打ち破ることが出来れば朝倉の備えに穴をあけることが出来ましょう。」
家康は相手の大まかな布陣が描かれた絵図の箇所を示しながら、自らの狙い目を秀高に説明した。その予測を聞いた秀高は首を縦に振って頷いて家康にこう提案した。
「なるほどな…ならばこうしよう。横山城に待機している安西勢三千。これを酒井勢の奇襲に同行させてやってくれ。」
「されど安西勢は遊軍のはず。もし万が一の事があれば小輔殿の劣勢の時に対処できなくなりまするぞ?」
家康が秀高の言葉を受けながら絵図の方に視線を向けて言葉を返すと、秀高は家康にすぐに言葉を返した。
「それは構わない。今は数で勝る朝倉勢の備えに穴をあける事が肝要だ。すぐにでも安西勢に早馬を走らせるので、三河殿は奇襲の準備を進めてくれ。」
秀高のこの力強い言葉を聞いた家康は、納得するように首を縦に振った。
「承った。そこまでの覚悟なれば某も申しませぬ。必ずや朝倉勢の備えに穴をあけてみせましょう。然らばこれにて。」
そう言うと家康は床几から立ち上がって秀高に一礼し、振り返って広間から去っていった。去っていった家康を目で見送った秀高は脇に控える継意に向けてこう言った。
「…継意、霧が晴れ次第大原に陣取る遠山たちに早馬を走らせてくれ。目標は野村の久政勢とし、戦にかまけている久政勢の側面を突けと命令してくれ。」
秀高が継意に向けて絵図を指し示しながらそう言うと、その下知を聞いた継意は頷いて答えた。
「承知しました。遠山勢と金森・坂井の軍勢九千が加われば戦の流れをこちらに引き込めましょう。」
秀高の下知を受けて継意がそう言うと、そのやり取りと聞いていた大高義秀が広間から外の様子を窺いながら言葉を発した。
「あとは霧が晴れてからだな。」
「えぇ。どちらが先に動くのかしらね…」
義秀の側で床几に座っていた華が義秀の言葉に反応して答えた。そして二人のやり取りを聞いていた秀高は黙りながら、視線を広間の先に広がる外の風景に向け、外を覆っている濃い霧の遥か先に展開する朝倉軍を見据えるようにじっと見つめるのであった。