1565年6月 小谷軍議
永禄八年(1565年)六月 近江国小谷城
永禄八年六月二日。浅井久政が籠城する小谷城の城下に若狭武田家の軍勢を加えた朝倉軍三万余りが遂に布陣した。総大将は朝倉義景から実権を奪って朝倉家の執政となった織田信隆である。朝倉軍到着の報に接した久政は直ちに朝倉軍の主将達を城内の本丸館に招き入れ、今後の方策を話し合った。しかし…
「義景殿が御参陣なされないのは如何した仕儀か!」
小谷城内の本丸館から久政の怒号ともいうべき声が上がった。本丸館内の広間にて盾で拵えられた机を挟んで信隆ら朝倉の諸将たちと向かい合っていた久政は、義景の不出馬を聞いてこのように声を上げていたのである。
「久政殿…義景殿は愛息の病気を理由に御参陣なされないとの事。」
「そんな馬鹿な!我らは義景殿が御出馬なさると聞いて決起したのでござるぞ!義景殿がおられんのでは味方の士気に関わる!」
義景の不出馬をなじる久政ら久政派の家臣たちに対して、久政の対面で床几に腰かける信隆が声を掛けてもより反発を強めた。すると信隆は怒っている久政の目の前に懐から一通の書状を取り出した。
「案ずることはありません。ここに義景殿からの委任状があります。これこそ私が義景殿に代わって朝倉軍の全権を指揮する証左です。」
信隆の言葉を聞いて久政が差し出された書状に手を伸ばすと、素早くその封を解いて中身を見た。するとその中には朝倉軍の全権指揮を目の前の信隆に委任する旨と同時に、義景の直筆の署名と血判が記されていたのである。
「…確かに義景殿の署名と血判がある。ならばこのわしは何も言うまい…」
久政が義景の委任状を見た上でこう言うと、それまでの怒りを潜めるようにその場に座り込んだ。それを見た上で信隆は改めてその場の諸将に対して本題を切り出した。
「…さて、我ら朝倉軍は三万。これに久政殿を支持する浅井勢一万を合わせて四万弱の軍勢となりました。しかし秀高は既に姉川南岸の横山城に本陣を置き、その近くの上坂城にも軍勢を配置したと聞きます。その軍勢の数、六~七万だと専らの噂です。」
この言葉を聞いていた朝倉家の諸将や久政派の家臣たちは視線を全て信隆に向け、その言葉の一つ一つを聞いていた。信隆はその諸将の視線を感じながらも言葉を進めた。
「そこで今日はこれより明日からの動きを皆で協議したいと思いますが…何か提案はありますか?」
「然らば、言上仕る。」
と、信隆から意見を求められた後にすぐさま発言をしたのは、信隆の目の前に座る久政であった。久政は信隆に対して返事を返した後、机の上に広がる絵図を指し示しながら発言した。
「この鎌刃城の城主である堀秀村と樋口直房はこちらへの内応を確約しており、状況を見計らって高家の城将を討ち取って決起する旨となっておりまする。」
久政は自信満々に発言をしていたが、この時この場には話題に上がった秀村と直房の顛末の情報が届けられていなかった。その両名がどうなったかなど露ほども思っていない久政は更に言葉を続けた。
「鎌刃城が我らに寝返れば成り上がりはきっと軍勢を反転し、寝返った鎌刃城に攻め掛かるはず。そうなったらば我々は一気に姉川を渡河して横山城を強襲いたしましょうぞ。」
久政は闘志を滾らせるように信隆に向けてそう言うと、その意見を目を閉じて聞き入っていた信隆は目を見開いてただ一言で久政に言葉を返した。
「…久政殿はご存じないのですね。」
「は?」
信隆から発せられた突拍子もない言葉を聞いて久政が呆気に取られたように声を漏らすと、久政に向けて信隆は事前に知っていた二人の顛末を語った。
「その堀秀村と樋口直房は昨夜の内に高家の城将である久松高俊らによって討ち取られています。おそらく久政殿の腹案も秀高に漏れていると考えてよいでしょう。」
その言葉を久政が聞くと呆気に取られた表情から一変して慌てふためき、取り乱したまま信隆に言葉を返す。
「な、何を仰せになられるか?堀秀村がそのような失態を犯すはずがあるまい!」
するとそこに赤尾清綱が広間の中に駆け込んできて、その場で慌てている久政に対して事実を突きつけるように報告した。
「殿!一大事にござる!横山城麓の姉川南岸に堀秀村と樋口直房の首が晒されたとの事!我が配下の者が確認したところ両名とも本人に相違ございませぬ!」
「な…馬鹿な…。」
清綱から報告を受けた久政は放心状態となりその場にあった床几にどしっと腰を下ろして座り込んだ。するとその様子を見ていた信隆が久政を諭すように話しかけた。
「…久政殿、久政殿は秀高の事を成り上がりと侮っているようですが、秀高の才能は本物です。その様な侮蔑は今後やめた方が良いでしょう。」
「如何にも。秀高本人のみならずその配下の将達も才知溢れる者達ばかり。舐めてかかれば痛い目を見るのはこちらの方でございます。」
「…くっ!」
信隆に続いて信隆配下の明智光秀が久政に対して発言すると、久政は悔しがるように声を発し、そのままバン!と机をたたいた。その悔しがる久政の様子を務めて冷ややかな目で見ていた信隆はその場にいた諸将に対し、話がそれたままの秀高勢への対処に関して改めて言葉を発した。
「…さて、秀村と直房が討たれたとあれば、敵はこちらの狙いを既に看破してるはずです。このまま姉川を渡河するのは敵の術中にはまりに行くようなものです。」
「その通り。しかも敵は姉川南岸に陣を構え、こちらの攻勢に備えており申す。渡河をして攻め掛かるは下策というもの。」
諸将に対して発言した信隆に続いて、信隆家臣の前田利家が自身の意見を被せるように述べると、諸将に向けて説明している信隆に対して朝倉軍の副大将である朝倉景健が意見を述べた。
「されど信隆殿、姉川を避けて北国街道を伝って美濃を襲おうにも北国街道沿いの大原には既に高家の軍勢が布陣しておる。美濃急襲は現実的ではないぞ。」
すると信隆は自身に意見してきた景健の方を振り向くと、その言葉に首を縦に振って答えた上で自身も言葉を返した。
「分かっています。ならばこちらは秀高と相対すように姉川北岸に陣を敷きます。」
すると信隆は床几から立ち上がると絵図の箇所を指し示しながら諸将に対して布陣について説明した。
「味方の本陣をこの三田村城に置き、ここに朝倉勢が布陣します。浅井殿は野村の辺りに布陣。この二か所にそれぞれ鶴翼陣形を敷いて敵を迎え撃つ態勢を敷きます。」
「なるほどな。敵は多勢だがこちらも川沿いに布陣すれば戦い方次第で兵力差を覆せる。上手く勝機を見出せば秀高の首を挙げることも出来ようぞ!」
この信隆の策を聞いて久政家臣の雨森清貞が反応すると、信隆はその反応に首を縦に振って答えた上で諸将に向けてこう告げた。
「その通りです。ならばすぐにでも三田村城に向かいましょう。」
「心得た。然らばすぐにでも出陣の準備を整えよう。」
信隆の言葉を聞いて久政が気を取り直した上で意気込むと、その久政の背後にいた諸将も久政の言葉に反応して喊声を上げた。こうして織田信隆指揮する朝倉勢と久政指揮する浅井勢の総勢四万はその日の内に小谷城を出発し、姉川北岸の三田村城と野村の集落辺りに布陣したのだった。
「…殿、宜しゅうございまするか?」
その日の夜、三田村城内の館の中にて、利家が背後に一人の若武者を連れて信隆のいる居間を訪れた。居間の中に入ってきた利家の姿を見て気が付いた信隆は入ってきた利家に対して声を掛けた。
「利家ですか?如何したのです?」
「いえ、殿に是非お目通りしたき若武者がおりましてな…」
利家は背後の若武者に視線を向けながらそう言うと、利家の言葉を受けたその若武者が目の前の信隆に対して自身の名を名乗った。
「お初にお目にかかります。菅屋長頼と申しまする。」
信隆は目の間にて跪く若武者…菅屋長頼から自己紹介を受けると、その信隆に対して利家が補足事項を付け足すように言葉を発した。
「長頼の父は稲生原の戦いにて我らと戦い討死した織田信房にござるが、この者は兄の小瀬清長と反目してこちらへの仕官を求めて参りました。」
長頼の兄・小瀬清長と長頼は父・織田信房の死後に徐々に反目し合う様になり、やがて長頼は名古屋から出奔して諸国を放浪するようになった。その過程で長頼は織田信隆の名声を聞きつけ、旧織田家臣である利家を頼って信隆の元に馳せ参じてきたのである。
「なるほど…長頼、その想いは本心なのですね?」
信隆は利家からその情報を聞いた上で長頼に本心を尋ねると、長頼は信隆の顔を見つめながら力強く頷いた。
「ははっ。既に我が心は信隆様にあり。粉骨砕身して働きましょうぞ。」
その言葉を受け取った信隆は長頼の目の前に来ると、長頼の手を取って長頼の顔をじっと見つめた。
「分かりました。その言葉を信じましょう…ところで長頼、そなた秀高の顔は見知っていますか?」
信隆は長頼の手を取りながら秀高の事について尋ねると、長頼は信隆の問いに頷いて答えた。
「はっ、何度か秀高の酒宴に呼ばれたことがございますので、その場にて顔は知っておりまする。」
すると信隆は長頼の手から自身の手を離すと、そのまま長頼の報に視線を向けて小さな声で言葉を発した。
「そうですか…では長頼、貴方に一つ極秘の主命を任せたいと思います…。」
そう言うと信隆は長頼に対して耳打ちである密命を告げた。その密命を聞いた長頼は驚きに満ちた表情をその場で見せ、そして信隆は決心したような表情で長頼の顔をじっと見つめたのであった。