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1565年6月 新九郎改名



永禄八年(1565年)六月 近江国(おうみのくに)佐和山城(さわやまじょう)




 永禄(えいろく)八年六月一日。越前(えちぜん)朝倉(あさくら)軍挙兵とそれに呼応した浅井久政(あざいひさまさ)の決起の報を受けた高秀高(こうのひでたか)伊勢路(いせじ)から近江に進入した滝川一益(たきがわかずます)ら伊勢口の軍勢を伊賀(いが)方面に南下させ、観音寺城(かんのんじじょう)前野長康(まえのながやす)と旧六角(ろっかく)家臣の三雲定持(みくもさだもち)を止めさせると自らは軍勢を転進して浅井新九郎(あざいしんくろう)の家臣・磯野員昌(いそのかずまさ)が城主を務める佐和山城に入城した。




「秀高殿…我が父が誠に申し訳ない事をしてしまい申した…」


 その日の午後、佐和山城内にて行われる戦評定が始まる前に、佐和山城本丸に立つ二層の天守閣の最上階にて、秀高は新九郎と二人きりで面会し新九郎より父・久政についての詫びを聞いていた。


「そう言うな新九郎殿。朝倉軍が挙兵すればいずれはこうなる運命だったんだ。」


 秀高が新九郎の心情を慮って声を掛けると、新九郎はそれまで(うつむ)いていた顔を上げて秀高にこう言った。


「…秀高殿、一つお願いがございます。」


「お願い?」


 新九郎から出たお願いという単語を聞いて、秀高がその訳を聞くように問うと、新九郎は秀高に対してその内容を言った。


「どうか秀高殿の一字を貰い受けたく存じます。」


「俺の一字を…?」


 秀高の一字を拝領したいと頼み込んだ新九郎は、天守閣の扉の先に広がる琵琶湖(びわこ)の風景を見つめながらその訳を語った。


「秀高殿もご存じの通り、(それがし)はかつて六角承禎(ろっかくじょうてい)の本名である義賢(よしかた)の一字を拝領して賢政(かたまさ)と名乗っておりました。しかし六角家との手切れに際して賢の字を捨てて今の新九郎を名乗っており申す。」


「…」


 この新九郎の独白ともいうべき内容を秀高は新九郎の背後に立って黙って聞いていた。すると新九郎はその場で振り返って視線を秀高に向けた。


「されど周囲からは前の当主である父を当主とする見向きが強く、此度の事も某の名前の事が原因の一つだったことは否めませぬ。ここは挙兵した父上に毅然と対抗するためにもどうか、秀高殿の一字を頂けぬでしょうか?」


「…分かった。」


 この熱のこもった情熱ともいうべき嘆願を聞いた秀高は、こくりと頷いた上で返答すると、即座に新九郎にこう言った。


「ならば俺の名前の一字である「高」と、浅井家の通字である「政」の字を合わせて「高政(たかまさ)」としよう。今後は「浅井高政(あざいたかまさ)」と名乗ってくれ。」


 秀高より改名の腹案を聞いた新九郎は、その名前の響きに胸を打つように感動すると、秀高に対して一礼した後に言葉を返した。


「浅井高政…素晴らしい名を頂き、誠に感謝いたします。」


 こうしてここに浅井新九郎は秀高より一字を受け、「浅井高政」と名前を改めた。それは挙兵してまで朝倉家に執着する父・久政と決別する覚悟の表れでもあったのである。


「殿、諸将が大広間にてお待ちです。」


 と、その場に馬廻の山内高豊(やまうちたかとよ)が現れて秀高に報告すると、秀高は高豊の言葉に頷いて答えた上で高政の方を振り返ると呼び掛けた。


「分かった。それじゃあ高政、行くとしようか。」


「はっ。秀高殿。」


 その呼びかけに答えた高政は秀高と共に天守閣の階段を降りて大広間へと向かって行った。その時の高政の足取りは重くなく、むしろ心が晴れやかになったように軽くなっていたのだった。




「…さて、皆も聞いてはいると思うが朝倉勢挙兵に呼応して浅井久政が小谷城(おだにじょう)にて決起した。よって俺たちはこれより南下してくる朝倉・久政勢を迎え撃つ必要がある。」


 やがて大広間にて諸将を集めた上での軍議が開かれた冒頭、秀高が諸将に呼びかけるように言葉を発すると、その言葉を聞いた森可成(もりよしなり)が秀高に言葉を返した。


「浅井久政…やはり黙ってはおりませんでしたな。」


「あぁ。伊助(いすけ)からの報告では朝倉勢は越前金ヶ崎(かねがさき)にて若狭武田(わかさたけだ)の援軍と合流し、翌日には小谷城下に到着するとの事だ。」


 秀高は可成に対してそう言うと、その言葉を秀高の隣で聞いていた徳川家康(とくがわいえやす)が秀高に言葉をかけた。


「ならばそれまでに、迎え撃つ場所を決めねばなりませんな。」


 この家康の言葉に秀高が頷いて答えると、馬廻の毛利長秀(もうりながひで)が諸将の真ん中に置かれた机の上に絵図を広げた。そして秀高は床几(しょうぎ)から立ち上がると指示棒(さしぼう)を片手に迎え撃つ地点の目星を諸将に説明した。


「…今のところ決戦地として予定があるのは二つ。まずは佐和山から真っ直ぐ小谷城へと進み、横山城(よこやまじょう)上坂城(こうざかじょう)の手前にある姉川(あねがわ)で敵を迎え撃つ策。そしてもう一つは横山城の向こう、旧大原氏館(おおはらしやかた)があった一帯で戦う策だ。」


「なるほど…前者は直進する策。後者は北国街道(ほっこくかいどう)を守る様に布陣する策ですな。」


 この説明を聞いて反応した安西高景(あんざいたかかげ)が声を発すると、それに続いて大高義秀(だいこうよしひで)が声を上げた。


「だがよ、どこに敵が来るかどうか分かんなきゃ布陣したって無意味だぜ?」


「その通りだ。せめてどこに来るかどうかの目星が分かれば…」


 秀高が絵図をにらめっこするように睨みながら、義秀の意見に賛同するように声を発していると、そこに馬廻の神余高政(かなまりたかまさ)が報告を伝えに大広間の中へと入ってきた。


「申し上げます。鎌刃城(かまはじょう)の守将である久松高俊(ひさまつたかとし)殿が火急の要件があると参られました。」


「高俊が?すぐに通せ。」


 高政からこの報告を受けた秀高は、直ちにこの場に高俊を連れてくるように命じた。すると高政はその命令を受けて一礼すると、外にて待機している高俊を大広間の中へと案内した。


「殿、失礼致します。」


 高政に連れられてやって来た高俊は両腕で一つの首桶を抱えており、高俊に付き従う一人の武将もまた同じように首桶を抱えていた。


「高俊、その首桶は?」


 高俊とその武将が机の上に首桶を置いたのを見て秀高がその物を尋ねると、高俊は秀高に一礼した上で、机の上に置かれた二つの首桶の事を秀高に紹介した。


「はっ、この首桶は某と鎌刃城を守っていた堀秀村(ほりひでむら)と家老の樋口直房(ひぐちなおふさ)の首が入っておりまする。此度家臣に召し抱えた川口宗勝(かわぐちむねかつ)が両名の謀反を察知し、謀反を未然に防ぐことが出来ました。」


 この情報に接して一番驚いたのは秀村の主君であった浅井高政であった。自身の脇でその情報に接して驚いている高政を片目で確認した秀高は、秀村らを討ち取った宗勝に対して声を掛けた。


「そうか…良くぞ謀叛を察知した。感謝するぞ宗勝。」


「ははっ!ありがたきお言葉にございまする!」


 宗勝が秀高からの言葉を受け取って返事をすると、その脇にて立っていた高俊が秀高に対してある情報を伝えた。


「それで殿、この者らが死の直前に情報を吐き出しました。この両名は浅井久政の内通を受けて謀叛に及ぶつもりであったとの事。それに…」


 高俊は首桶を見つめながらそう言った後、視線を目の前の秀高に向けて言葉の続きを述べた。


「その謀反を契機に殿の軍勢を鎌刃に釘付けにし、朝倉軍と久政勢で姉川を渡河して横山城に攻め入るつもりであったとの事。」


 高俊から告げられたこの情報を聞いたその場の一同はどよめいた。もしそれが本当であるのであれば朝倉・久政勢の意図を看破したのに等しい大手柄だったからだ。


「殿、その情報が真であれば…」


 その情報を聞いて自身に話しかけてきた三浦継意(みうらつぐおき)に対して、秀高はこくりと頷いた上で言葉を発した。


「連中は姉川に押し出してくるつもりだ。」


 もはやその場の一同には朝倉・久政勢の動きなどの予測は立っていた。秀高はそれと同時に机の上に広がる絵図を見つめながらこれより先に相対する朝倉・久政勢、そしてそれらを裏で糸を引いた織田信隆(おだのぶたか)との戦いに向けて気合を引き締めた。


「然らば少輔(しょうほ)殿、敵勢に対処するためにも早急に布陣を整えねばなりますまいな。」


 その秀高の様子を見て徳川家康(とくがわいえやす)が声を掛けると、秀高はそれに頷いて答えた後にその場に居並ぶ諸将の報に視線を向け、明日からの行軍について語った。


「皆聞いてくれ。これより明日の予定を伝える。俺たちは明日早朝にこの佐和山城を出立し、姉川南岸の横山城に本陣を置く。それに先立ち、北国街道沿いの大原付近に松尾山(まつおやま)の軍勢と上平寺城(じょうへいじじょう)を進軍させ、その地で野営の陣を敷く。」


 その秀高の言葉を受けて諸将が各々で頷きあうと、秀高に対して高政が自身の予測をもとに発言した。


「明日朝倉軍が金ヶ崎を発つのであれば、小谷に到着するのは明日正午ごろのはず。それまでに布陣が整えば朝倉と父の軍勢は姉川を越えては来れないでしょう。」


 この高政の自信に満ちた言葉を聞いた秀高は満足そうに微笑みながら頷き、再びその場の諸将の方を振り向いて言葉を発した。


「よし。明日はこの行程で進軍する!諸将は今宵の内に兵たちに休息を取らせ、明日からの戦いに十分に備えて欲しい!」


「ははっ!!」


 この秀高の言葉を聞いた家康や義秀を始め味方の諸将は、明日からの戦いに気合を入れるように喊声を上げて応えた。その後、秀高配下の軍勢は明日からの行軍に備えて城内でたっぷりと休息を取り、明日からの厳しい戦いに備えるのであった。





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