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1565年5月 将軍の認可



永禄八年(1565年)五月 近江国(おうみのくに)観音寺城(かんのんじじょう)




「…これは藤孝(ふじたか)殿。上様の警護をしておるはずでは?」


 観音寺城の本丸館にて高秀高(こうのひでたか)を詰問する柳沢元政(やなぎさわもとまさ)が自身の背後から現れて声を掛けてきた幕臣の細川藤孝(ほそかわふじたか)に声を掛けると、藤孝は急遽(きゅうきょ)用意された床几(しょうぎ)に腰を掛けると隣の元政の方を振り向いた。


「いや何、六角(ろっかく)を下した秀高殿に、上様よりのお言葉をお伝えしようと思ってな。」


 すると、この言葉を聞いた元政が自身の頭の中に思い浮かんだある事を確認するように藤孝に尋ねた。


「上様よりのお言葉?まさか御教書(みぎょうしょ)が発せられたとは言いますまい?」


「ふふっ、もしそうだとしたのであれば如何する?」


 藤孝が元政に対してニヤリとほくそ笑みながらそう言うと、その言葉を二人の後方で聞いていた幕臣の細川藤賢(ほそかわふじかた)が仰天するように驚いた。


「まさか藤孝よ、上様よりの御教書が発せられたとでも言うのか!?」


 この問いに藤孝がこくりと頷くと、それを察した秀高は速やかに上座から下がって下座に降りた。それを見た藤孝は下座に控える秀高に一礼すると床几から立ち上がって上座に進み、懐から一通の書状を取り出してその場の一同に向けて叫んだ。


「上意!」


 この言葉を聞いたその場の一同は上座の藤孝に向けて頭を下げ、それを確認した藤孝は書状の封を解くと中に書かれていた内容を代読した。




【高民部少輔秀高、上洛の御教書を奉ずるにあたり、ここに以下の事を申し述べる。


一つ、上洛に際し民部少輔の阻害を為すもの在らば、民部少輔の一存でこれを征伐し、その所領の差配を差し許す事。


一つ、また、これに際し庇護したき者在らばその者に添状を持たせ(みやこ)まで下向させる事。


一つ、征伐した諸将の所領の領地については上洛した後、民部少輔の口添えがあればこれを追認する。 以上 将軍・足利義輝(あしかがよしてる) 代筆】




「…藤孝殿、これは?」


 御教書の代読が終わった後、頭を上げた秀高が藤孝に御教書の内容について尋ねると、藤孝は上座から降りて秀高の目の前に胡坐(あぐら)をかいて座った。


「御教書の内容通りにござる。秀高殿の上洛を阻止しようとする朝倉(あさくら)や六角の動きを上様は耳にし、これらに立ち向かおうとする秀高殿の行動を容易にさせようとの気配りにござるよ。」


「…しかし藤孝殿、如何に御教書が発行されようとも、六角家滅亡の蛮行は庇い立て出来ませぬぞ!」


 この藤孝に対して床几から降りてその場に座っていた元政が反論すると、藤孝は反論してきた元政の方を振り向いて言葉を返した。


「元政よ、六角承禎(ろっかくじょうてい)と子の義弼(よしすけ)は上様への累代の恩顧を忘れ、あまつさえ領内の安定化すら為せなかった。六角家の滅亡はかの父子が招いた事でもある。」


「されど!」


 元政が藤孝の言葉を受けて更に言い返そうとすると、藤孝はその元政を手を差し出して制すると、元政を見つめながら言葉をかけた。


「元政よ、そなたはいささか生真面目が過ぎる。ここは上様の意を汲んで秀高殿の上洛を助けようではないか。」


 その言葉を聞いた元政は秀高に一回視線を向けて見た後、はぁ、とため息を一回ついた上で呟いた。


「…藤孝殿がそう申すのであれば、致し方ありません。」


 そう言うと元政は秀高の方に姿勢を向け、その場に手を付いて姿勢を低くすると秀高に向けて淡々と言葉を投げかけた。


「秀高殿、くれぐれも今後は幕府の権威を損なわぬようにお願い致しまするぞ。」


「あぁ。分かった。」


 秀高はこの元政の言葉を聞いて返事をし、その場にいた大高義秀(だいこうよしひで)三浦継意(みうらつぐおき)ら秀高の家臣たちも視線を元政ら幕臣に向けつつも心の中では安堵する様に心が落ち着いたのだった。こうして将軍・足利義輝の御教書の発布によって秀高は正式に旧六角(ろっかく)領の差配を許されたのであった。




 その日の夜、秀高は観音寺城本丸館の広間にて来訪した幕臣三名と義秀・継意ら高家重臣、それに上洛に帯同する徳川家康(とくがわいえやす)浅井新九郎(あざいしんくろう)らを招いてささやかな宴を開いた。


「さぁ藤孝殿、どうぞご一献。」


「これは(かたじけな)い。頂きまする。」


 秀高や家康らと同じ上座に着座する藤孝に対して、秀高が銚子(ちょうし)を用いて藤孝の盃に酒を注ぐと藤孝はそれを受けた後に一口でそれを飲み干した。それを見た秀高は藤孝に対して上洛についての事を尋ねた。


「それで藤孝殿、京へはいつごろ参ればよろしいですか?」


「そうですな…秀高殿の軍勢の数もございまするし、あと数日ほど待っていただければ京へ入ることが出来まする。」


「数日ですか…ならば藤孝殿、それに幕臣一同にお願いしたいことがあります。」


「お願いしたい事?」


 秀高よりこの申し出を受けた藤孝が驚くようにそう言うと、秀高は視線を下座の小高信頼(しょうこうのぶより)に向け、それに反応した信頼が秀高に代わって上座の幕臣一同に対してある事を進言した。


「畏れながら申し上げます。近江の南に位置する伊賀国(いがのくに)は守護の仁木(につき)氏が代々命じられておりましたが、数日前に伊賀国人の百地三太夫(ももちさんだゆう)藤林正保(ふじばやしまさやす)より、当主の仁木義視(につきよしみ)越前(えちぜん)朝倉(あさくら)と通じ合い我らの上洛を阻害する恐れありとの報告がありました。」



 伊賀国…今秀高たちがいる観音寺城がある近江南部よりさらに南にある伊賀盆地(いがぼんち)の大半を占める四方を山に囲まれた小国である。北は近江国に接し西を大和国(やまとのくに)、東と南を伊勢国(いせのくに)に接しており、周辺の諸大名が相争う最中でも国人たちが守護である仁木氏を奉じて治めていた土地であった。



「伊賀の仁木が?それは真の事にございまするか?」


 その伊賀を治める仁木氏の情報を聞いて驚いた藤賢が報告してきた信頼に対して問うと、信頼はその問いに首を縦に振って答えた。


「はい。つきましては先の御教書の旨に従い伊賀へ出兵し仁木氏を制圧します。幕臣の方々には仁木氏の処遇と伊賀守護職を我ら高家に拝領するようお取り計らい願えないでしょうか?」


 すると、その信頼の言葉を聞いて上座に座る元政が御膳に盃を置くと、信頼の方を向いて毅然と言葉を放った。


「待たれよ。仁木氏は先祖の仁木頼章(につきよりあき)殿が等持院(とうじいん)殿(足利尊氏(あしかがたかうじ))に従い幕府の功臣として草創期を支えて以降、幕府には並々ならぬご恩を立てた名家にございまする。その仁木氏を倒すというのは幕臣として見過ごすことは出来ませぬな。」


 この元政の言葉を下座で聞いていた継意は、信頼に言葉を返した元政に対して意見を述べた。


「しかし元政殿、仁木を野放しにしては万が一、朝倉が南下してきた際に背後から挟撃を受ける恐れがございまする。」


「だとしても、今一度その真偽の程を仁木に確かめてからでも遅くはありますまい。」


 継意の言葉を聞いて元政が毅然と言い放つと、その会話の中に入り込むように家康が元政の顔を見つめながらこう言った。


「元政殿、某の配下である服部半三(はっとりはんぞう)は伊賀の出身故その辺りの事情を知っておりまするが、半三も先ほどの進言と同じ内容を報告して参りました。」


「何と…徳川殿にもその事が?」


 配下に伊賀者(いがもの)を抱える家康からの報告を聞いた藤賢が驚いて視線を藤孝に向けると、藤孝はその視線を受けてこくりと頷いた。


「となれば…その噂は真の事と考えて宜しゅうございまするな。」


「ですが…私は(いささ)か信じられませぬ。」


 その報告が真実味を帯びていることを察した藤孝に対して、なおも信じきれないでいる元政の様子を見た藤孝は、目の前にいた秀高に対し伊賀国の事について提案した。


「では秀高殿、このようにしては如何か?伊賀国に不穏の気配がありとして秀高殿の軍勢を鎮定の名目で差し向け、もし仁木氏に二心ありと発覚すれば仁木義視を召し捕え、その後の伊賀国の事は秀高殿の差配に任せるというのは?」


 するとその提案を聞いた秀高は我が意を得たように喜び、口角を上げて提案してきた藤孝に答えた。


「分かりました。鎮定という名目ならば伊賀国人の動揺を抑えることが出来ましょう。ならば伊勢(いせ)から進入した滝川一益(たきがわかずます)ら伊勢の軍勢を伊賀に差し向け、我らの忍びも何名か同行させましょう。」


「その方が宜しいかと。もし偽りならば仁木義視は秀高殿の軍勢を迎え入れ、真ならば伊賀の国境を固めようとするでしょう。それによって対応を変えれば何の問題もありますまい。」


 藤孝の言葉を聞いて、秀高が藤孝と視線を合わせたまま互いに頷くと、その時その場に忍びの伊助(いすけ)が颯爽と現れた。


「殿!急ぎご報告したきことがあり参りました!」


「どうした伊助、何があった?」


 血相を変えて現れた伊助の様子を見て、ただ事ではないと判断した秀高がすぐに問い返すと、次の瞬間に伊助の口から発せられたのは驚きの報告であった。


「本日午前に朝倉軍三万が一乗谷を進発!これに呼応した浅井久政(あざいひさまさ)が同調する家臣と共に小谷城(おだにじょう)を乗っ取り朝倉に加勢する旨を宣言しました!!」


「何!?父上が!?」


 この伊助の報告を聞いた新九郎がその場から立ち上がって驚いた。その一方で秀高は家康と視線を合わせて朝倉軍来襲の報せを受け止めていた。六角を倒して上洛に王手をかけた秀高に対し、越前の朝倉がようやく重い腰を上げて阻止に動き出したのである…





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