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1565年5月 観音寺城にて



永禄八年(1565年)五月 近江国(おうみのくに)観音寺城(かんのんじじょう)




 永禄(えいろく)八年五月三十一日。六角承禎(ろっかくじょうてい)六角義弼(ろっかくよしすけ)父子が敢無い最期を遂げてから数日たったこの日、高秀高(こうのひでたか)は接収した観音寺城に腰を落ち着かせて旧六角領の確保をするために在陣していた。


「しかし兄上、父上の戦い方をどう思われるか!」


 観音寺城の本丸館。奥の間の廊下を歩いて進む秀高の次子・熊千代(くまちよ)が前を歩く兄・徳玲丸(とくれいまる)に話しかけていた。


「何が言いたいのだ?熊千代?」


「父上の戦の事にございまする!折角(みやこ)へのご上洛だというのに六角の大将を騙し討ちのような戦いで討ったのですぞ!?あれをどう思われるのか!?」



 熊千代がこうも怒り狂っていたのには理由がある。数日前、熊千代と徳玲丸は上洛に同行する侍女の(らん)に連れられて父・秀高がいた小高い丘の所まで来て六角父子の顛末を目の当たりにしていたのだ。それを右手を蘭に握られながらまざまざと見ていた熊千代には、父・秀高が行ったことに納得がいかなかったのである。



「…熊千代、お前は「孫子(そんし)」の「算多きは勝ち、算少なき勝たず」の言葉を知らないのか?」


 その熊千代の言葉を聞いた徳玲丸が兵法書の言葉を例に出して話すと、熊千代は歩きながらも腕組みをしてふんと鼻を鳴らした。


「生憎ながら、私は兵法など嫌いにございまする!武士に産まれたのであれば、この腕一本で敵をねじ伏せるのみ!」


 するとその猛々しい言葉を聞いた徳玲丸ははぁ、とため息をついた後に熊千代を諭すように話しかけた。


「良いか熊千代、一軍を率いる将になるのなら武力だけでは駄目なのだ。敵の弱点を見抜き、それを徹底的に崩すことでこちらの被害を少なくして勝つ。これこそが戦う上での理想の形だ。」


「しかし…!!」


 徳玲丸の言葉に対して熊千代が更に言おうとした時に二人は奥の間の中に入った。その広間には二人の母である(れい)静姫(しずひめ)、それに詩姫(うたひめ)春姫(はるひめ)などの秀高の正室たちが各々座っていた。


「どうしたの?熊千代に徳玲丸。なんか言い争っているように聞こえたけれど…?」


 入ってきた二人の姿を見るなり母の玲が心配そうに語りかけると、徳玲丸は玲の目の前に着座して一回礼をした後に言葉を返した。


「母上…いえ、熊千代が先の父上の戦い方に疑問を抱いていたようなので…」


「へぇ?何が疑問だというのよ?」


 と、その徳玲丸の言葉を隣で聞いていた静姫が玲に代わって熊千代に聞き返すと、熊千代は静姫の方に姿勢を向けて静姫にこう言った。


「義母上!義母上は先の父上の戦い方をどう思われまするか!?あれで本当の武士(もののふ)といえるのですか!!」


「武士って言われてもねぇ…あれはあいつに合った戦い方なのよ。」


「敵の目の前を通り過ぎ、挑発をかけて誘い出して騙し討ちのように仕留めるのが武士の戦なのですか!」


「…熊千代さま、少し宜しいかな?」


 すると静姫に言い寄っていた熊千代に対して傍らからある人物が話しかけた。この奥の間にて玲たちの話し相手となっていた秀高家臣・木下秀吉(きのしたひでよし)であった。


「熊千代さまは、殿の為さっていることをどこか勘違いしておられる。確かに戦場において武士の魂は大事にござる。されど戦において味方の損害を少なくするというのも大将の大事な器量の一つにござります。」


「損害を少なくする…」


 この秀吉の言葉を聞いた熊千代が、秀吉が発した単語を復唱するように口に出すと、それを聞いていた秀吉が首を縦に振って頷いた後に更に続けた。


「左様。戦というのは力押しだけでは勝てませぬ。事前に敵に策を施し、内部を切り崩すことが出来ればこちらは戦わずして勝つ事が出来まする。それを殿は心の内に秘め、いざ戦となった時には事前に工作をいくつか施すのでござる。それは不要な味方の損害を出さない為の殿の気配りにございまする。」



 この言葉を聞いた熊千代はその場で考え込んだ。今まで熊千代の頭の中には傅役(もりやく)大高義秀(だいこうよしひで)が叩き込んだ武芸の考えから成り立つ一人前の武士としての気構えがあった。その中で秀吉から父・秀高が考える思考の事を聞くと、今まで経験したことのない事例に触れて新鮮な気持ちで話に聞き入っていた。



「…まぁ熊千代、今のあんたにはちょっと難しい話かもしれないけど、きっと分かる時が来るわ。」


「うん。だから熊千代、この上洛で父上の戦いをしっかり目に焼き付けて欲しいと私は思うよ。」


 秀吉の言葉を受け止めてその場で考えていた熊千代の姿を見て、静姫と玲が心配そうに熊千代に語り掛けると、それまでその場で(うつむ)いていた熊千代は頭を上げて言葉を返した。


「…はい、分かりました。母上。それにサル。」


 玲の後に自身の渾名(あだな)を呼ばれた秀吉は余りにも不意の出来事に一瞬黙った後、笑みを浮かべて高らかに笑った。


「は、ははは!これは参りましたな。いや、まさか徳玲丸様に続き熊千代さまにまでサルと呼ばれるとは…。」


「あら?そう言う割には不服そうには見えないわよ?ふふっ。」


 秀吉の様子を見て静姫が秀吉にそう言うと、その場の一同はどっと沸き上がるように笑った。そして互いに笑った後に玲が遠くの方を見つめながらポツリとこう言った。


「…そう言えば、秀高くんは大丈夫なのかな?京から幕臣の方々が来てるみたいだけど…」


 すると、その言葉に反応した秀吉が表情を引き締めて、自身の後方に視線を向けながら玲に言葉を返した。


「はっ、表向きには京への入京の打ち合わせと言っておりまするが、裏では此度の六角家の顛末について詰問する為に来訪したと(もっぱ)らの噂にございまする。」


「京からの…幕臣…」


 その言葉を聞いた詩姫は玲同様にはるか遠くを見つめ、それにつられるようにその場の一同が玲が見つめている視線の先を一緒に見つめたのであった。




 玲たちが視線を向けた先。本丸館の大広間では上座に秀高が着座し右脇に義秀と小高信頼(しょうこうのぶより)、左脇に三浦継意(みうらつぐおき)森可成(もりよしなり)が控える中で、秀高の真向かいの位置に座る幕臣の一人が秀高をじっと見つめながら意見を述べた。


「…秀高殿、確かに上様からの御教書(みぎょうしょ)には軍勢を率いて上洛すべしと書かれてはおりまする。されど!」


 秀高に厳しい口調で言い寄る幕臣の一人は膝の上で扇を一回叩いた後に扇で秀高を指すと言葉を続けて詰問した。


「此度の上洛において京に何の連絡もなく、秀高殿の存念で六角家を滅亡させたのは一体如何なる仕儀にございまするか!?」


 このように厳しい口調で詰問するのは幕臣・柳沢元政(やなぎさわもとまさ)であった。元政は同じ幕臣の細川藤賢(ほそかわふじかた)と共に観音寺に下向し、六角父子を死に追いやった秀高の蛮行をなじる様に問いただしていると、その元政に対して傍らの可成が話しかけた。


「畏れながら元政殿、六角家は朝倉(あさくら)と手を組み、我らの上洛を妨害せんと企てたのでございまするぞ?」


「これはしたり。たとえそのような謀議があろうとも、一回は京へ使者を遣わすというようなことは出来たのではありますまいか?」


 元政は自らに意見してきた可成に即座に言葉を返して反論を封じると、再び視線を秀高に向けて更に言葉をかけた。


「畏れながら六角家は先代六角定頼(ろっかくさだより)公が幕府に多大な貢献を為し、その恩義は幕府の中に知らぬ者はおりませぬ!その幕府に大恩ある六角家を攻め滅ぼしたとなれば、上様の信任厚き秀高殿とてタダでは済みませぬぞ!」


 その元政の厳しい口調を藤賢は心配そうに見つめていた。すると上座で腕組みをしながら聞いていた秀高が、腕組みを解いて元政に冷静な口調で尋ねた。


「…では元政殿、我らが攻め取ったこの近江南部はどのようになると言うので?」


 すると元政はこの問いを受けると一瞬脇に視線をそらし、その後に秀高に答えを返した。


「畏れながらこの近江南部の六角家所領は全て、将軍家の天領として組み込まさせて頂く。」


「なるほど…将軍家の天領、か。」


 この言葉を聞いた秀高はニヤリと笑いながら元政に皮肉を込めるように言葉を述べる。


「それを聞いて心ならずも六角家を離反し、俺たちに呼応してくれた蒲生定秀(がもうさだひで)三雲定持(みくもさだもち)らが承服するとは思えないがな。」


 すると元政はその皮肉を述べた秀高に厳しい視線を向けながら即座に返答した。


「秀高殿、これは秀高殿とて踏み込めない将軍家の沽券に関わる問題です。これを許せば天下六十余州の諸侯に面目が立ちませぬ!」


「…そこまでに為されよ元政殿。」


 とその元政に対し、広間の襖が開かれた後にその声が聞こえてきた。やがてその声の主が襖の奥から広間の中に入ってくると、その姿を見た秀高がこの人物の名前を呼んだ。


「あなたは…藤孝(ふじたか)殿!!」


 そう、元政らの背後から現れたのは同じ幕臣で秀高の事を認める細川藤孝(ほそかわふじたか)であった。そして藤孝は秀高の顔を見ると、久しぶりに会えたことに感動してにこやかな表情を浮かべたのであった。





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