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1565年5月 餌にかかる獲物



永禄八年(1565年)五月 近江国(おうみのくに)武佐(むさ)




「…そうか、打って出て来るか。」


 長光寺城(ちょうこうじじょう)を攻める高秀高(こうのひでたか)の本陣。その本陣は長光寺城より北西を流れる蛇砂川(へびすながわ)の南岸・武佐(むさ)の辺りに置かれていた。この本陣の陣幕の中で忍びの伊助(いすけ)よりの報告に接した秀高は、床几(しょうぎ)から立ち上がって陣幕の中をうろうろと歩き始めた。


「既に観音寺城(かんのんじじょう)箕作城(みつくりじょう)六角(ろっかく)勢は出陣の気配を見せており、城兵の(ほとん)どが打って出てくる模様にございます。」


「…物の見事に引っ掛ったようですな。」


 そのうろうろする秀高に報告をした伊助に続いて、陣幕の中の床几に座る徳川家康(とくがわいえやす)が笑みを浮かべながら秀高に言葉をかけた。すると秀高は伊助の目の前で足を止めると伊助にある事を確認した。


「伊助、打って出てくるのは城兵の全てか?」


「はっ。観音寺城の城兵三千に箕作城の城兵三千全ての出陣にて、城には百にも満たない守兵が残るようにございます。」


 この報告を聞いた秀高は陣幕の中にいた家康に視線を向けてこう言った。


三河(みかわ)殿、和田山(わだやま)佐生(さそう)、それに金堂(こんどう)に残した手勢に手筈通りに動くようにご下知を。」


(かしこ)まった。両城の攻め取りは我ら徳川勢にお任せあれ。」


 この家康の言葉に続いて秀高に語り掛けたのは、同じく本陣の中の床几に腰を掛ける浅井新九郎(あざいしんくろう)であった。


「…しかし、先の諸城攻め取りの結果、僅かの差で秀高殿の配下に負けてしまい申した。」



 昨日に行われた秀高勢による六角諸城の攻め落としの結果、徳川勢と浅井勢がそれぞれ五つの城の攻め取りに対し、秀高勢はそれとは僅差の六つの城を攻め取り、更には安西高景(あんざいたかかげ)が嫡子・安西高朝(あんざいたかとも)が六角家重臣・目賀田綱清(めかだつなきよ)を討ち取るという大戦果を上げたのである。



「いやいや、三河殿も新九郎殿の軍勢の働きも目を引くものがあった。だからこうして三河殿と新九郎殿にお役目を任せているんだ。」


「そうでしたな。秀高殿、長光寺城の事は我ら浅井勢にお任せを。秀高殿は六角承禎(ろっかくじょうてい)を仕留める事にご専念なされよ。」


 新九郎よりその言葉を聞いた秀高が頷くと、新九郎と家康はそれを見て床几から立ち上がって秀高に一礼すると陣幕の外へと出て行った。それを見ていた大高義秀(だいこうよしひで)が秀高に話しかけた。


「秀高、六角勢を迎え撃つために陣替えはするか?」


「いや、六角勢を懐深くに誘い込む。西美濃四人衆(にしみのよにんしゅう)と安西勢、それに丹羽(にわ)勢と三浦(みうら)織田(おだ)勢にいつでも陣替えできるように準備をさせてくれ。」


「分かったぜ。」


 その下知を聞いた義秀は勢いよく床几から立ち上がって陣幕の外へと出て行った。その様子を陣幕の中で見つめていた静姫(しずひめ)が秀高に語り掛けた。


「…ここまでは上手くいっているわね。」


「あぁ。ここまで来れば後は六角承禎父子を討ち果たすだけだ。」


 秀高はそう言うと床几から立ち上がり、(れい)たちや小高信頼(しょうこうのぶより)三浦継意(みうらつぐおき)を連れて六角勢の動向を見定めるために本陣後方の小高い丘へと向かって行ったのである。




「どうやら敵が出て参りましたな。」


 やがて秀高の本陣がある地点の後方にある小高い丘から、観音寺城の方向を見つめた継意が秀高にそう言うと、秀高は後ろの方にいた継意に視線を向けて言葉をかけた。


「あぁ、ここからでもはっきりと見えるな。」


 周囲を木々に囲まれた中で小高い丘の上に立った秀高たちの目の前に広がっていたのは、観音寺城と支城の箕作城の方向より白煙を上げながら迫りくる軍勢の姿であった。旗印は黄色の旗に「鶴の丸」。即ちこれこそが六角承禎(ろっかくじょうてい)六角義弼(ろっかくよしすけ)率いる六角勢六千であった。


「既にこっちの手はずは整ってるよ。あとはあの六角軍が蛇砂川の北岸に現れるのを待つだけだね。」


 信頼が秀高に対してそう言うと、秀高は迫りくる六角勢に視線を向けながら深々と感慨に浸る様に言葉を発した。


「あぁ。観音寺城と箕作城の間を素通りしただけでこうも簡単に打って出て来るなんて…やはり信玄(しんげん)の策は偉大だな。」




 この秀高が観音寺城の承禎父子を誘い出すために取った、観音寺城の眼下を素通りする策。これは秀高たちがいた元の世界で武田信玄(たけだしんげん)徳川家康(とくがわいえやす)三方ヶ原(みかたがはら)の戦いで撃破するために取った策略であった。


 秀高はこの信玄の計略を使い、更に成功率を高めるために上洛に玲たち秀高の正室を同行させて昨夜に六角の忍者・多羅尾光俊(たらおみつとし)にわざと承禎の自尊心を(たかぶ)らせる事を承禎に報告させたのである。




「それにしても、そのような策を取った信玄がこの世にいないというのは、何とも奇怪な話にござりまするな。」


「…あぁ。出来る事ならば一回は信玄と戦ってみたかったがな。」


 継意の言葉を受けた秀高はやや下を俯きながらそう言うと、再び視線を前に向けてこう言った。


「…だがこの世界にはまだ、北条氏康(ほうじょううじやす)と信玄を葬った上杉輝虎(うえすぎてるとら)がいる。あいつと戦うためにも今回の上洛、ひいてはこの六角父子をここで討ち果たさなきゃならない。」


「…如何にも。」


 秀高の意見に賛同する様に継意がそう言うと、秀高はその会話を聞いていた詩姫(うたひめ)春姫(はるひめ)の方を振り向いた。


「…詩、それに春姫。この上洛が成った後にお前たち二人に打ち明けたいことがある。それはさっきの会話に関係する事だ。」


「秀高くん…」


 その言葉を聞いて玲が秀高に言葉を掛けようとすると、それを脇にいた静姫が制止した。すると詩姫は秀高の顔を見つめて微笑みながら言葉を返した。


「えぇ。分かっておりますわ。それは恐らくきっと殿の…いいえ、皆様方に共有されている秘密の事なのでしょう?」


「詩…」


 秀高が詩に言葉をかけると、詩は胸元に手を当てながら言葉を続ける。


「ならばそれを知ってしまっては、私がお慕いする殿ではなくなってしまいますわ。それに殿が仰られようとしている事は、何故か分かるような気がしますから…」


「…私も詩様と同じ気持ちです秀高様。私たちにはその気持ちだけで十分でございます。」


 詩姫と春姫の二人がこう言った後にその凛とした表情を見た秀高は、ふっと微笑むと二人に向けてこう言った。


「そうか、なら俺も無理には言わない。その方が良さそうだからな。」


 秀高よりその言葉を聞いた詩姫と春姫は微笑みながら頷いて答えた。すると秀高に代わって六角勢の動きを見ていた信頼が秀高に話しかけた。


「…秀高、六角勢が蛇砂川の北岸まで来たよ。」


「そうか、分かった。」


 秀高は信頼の言葉に反応してそう言うと、手にしていた軍配を振って合図を飛ばした。するとその時、小高い丘の木々の間に隠れていた秀高配下の足軽たちが一本の狼煙(のろし)を上げた。するとその合図を見た秀高本陣の周りに展開する軍勢が一斉に方向を反転して迫りくる六角勢の方を向くと一斉に陣構えを開始したのである。


「おぉ、見事な物にございまするなぁ。」


 その様子を見て継意が秀高に言葉をかけると、秀高はそれに頷いて答えた。


「あぁ。この様子を見ればさしもの六角勢も肝を冷やすだろう。」


 秀高がそう言っていると小高い丘の後方に隠れていた本陣の陣幕が移動して六角勢に見える正面の位置に移動した。


「…秀高、諸将の陣替えが完了したぜ。指示通りに鶴翼(かくよく)の陣形に布陣させた。」


 その小高い丘に義秀が(はな)を伴ってやってくると、秀高はやって来た義秀の方を振り向いてこう指示した。


「よし、義秀。旗本勢の戦の指揮はお前に任せる。見事六角承禎を討ち取って来い!」


「おう!じゃあすぐにでも旗本たちの所に行くぜ!」


 そう言うと義秀は華を連れて本陣の目の前にて戦の態勢を整えている旗本たちの所へと向かって行った。それを見た継意は秀高に対して声を掛けた。


「…既にお味方の軍勢は騎馬・鉄砲の用意を万事整え、武器弾薬も十二分にありまする。これは六角父子を討つ戦であるとともに、信頼が行った方策の結果を示すものとなりまするな。」


「あぁ。これから始まる戦を俺たちはここでじっくりと見ていよう。」


 秀高がそう言うとその場にいた継意や信頼を始め、玲たち秀高の正室たちも皆一様に頷いて答えた。ここに高秀高と六角承禎父子の「武佐の戦い」の火蓋が切って落とされようとしていた。





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