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1565年5月 観音寺城素通り



永禄八年(1565年)五月 近江国(おうみのくに)観音寺(かんのんじ)城下




 永禄(えいろく)八年五月二十七日早朝。この日観音寺城周辺は薄い(もや)が掛かっていた。その靄の中を一つの軍勢が前進していた。旗指物は「丸に違い鷹の羽」。これぞ正しく高秀高(こうのひでたか)指揮する軍勢約五万弱の軍勢である。


「…伊助(いすけ)、城内の様子はどうだった?」


 朝日の光が僅かに靄を照らす中、余計な足音を立てずに軍勢を前進させる秀高が、馬を止めて城内の様子を探ってきた伊助に問うた。


「はっ、既に城内は前夜からこちらの攻撃を警戒しており、反対側の箕作城(みつくりじょう)でも同様の備えを取っておりまする。」


「そうか…さぞこれを見たら度肝を抜かすだろうな…」


 秀高が伊助の報告を聞いた後で靄の中から観音寺城方向を見つめると、そこに徳川家康(とくがわいえやす)浅井新九郎(あざいしんくろう)がそれぞれ馬を進めて秀高の元にやって来た。


少輔(しょうほ)殿、ご下命通り攻め落とした和田山(わだやま)佐生(さそう)金堂(こんどう)に抑えの軍勢を残して参りましたぞ。」


三河(みかわ)殿(かたじけな)い。これで後方の備えは確保できた。」


「我ら浅井勢も秀高殿の軍勢に続いて行軍中でござる。」


 家康の言葉の後に新九郎が秀高にそう言うと、秀高は新九郎の言葉を頷いて受け止めた後に新九郎と家康にこう告げた。


「よし、新九郎殿と三河殿はこのまま行軍を行い、予定の策通りに行動してくれ。」


「承知致した。では御免!」


 秀高の言葉を受けて新九郎が意気込むように返事を返すと、一礼した後に馬首を返して自身の軍勢に戻っていった。その後に家康も静かに一礼すると馬首を返して帰っていった。


「殿…いよいよにございまするな。」


 その秀高に対して筆頭家老の三浦継意(みうらつぐおき)が馬を近づけて話しかけてきた。秀高は近づいた継意に気が付くと後方を振り返って言葉をかけた。


「あぁ。あとは上手く釣れてくれれば良いんだがな。」


「ご案じなさることはありますまい。このような仕打ちを受けて六角承禎(ろっかくじょうてい)が黙っているはずがありませぬ。」


 秀高はこの継意の言葉を聞くと首を縦に振って頷いた。その秀高の視線は靄の向こうに広がる観音寺城の中にいるであろう承禎父子を睨むように見つめていた。


「…秀高、もう間もなく先陣が目標に着く頃合いだぜ。」


 と、そこに大高義秀(だいこうよしひで)(はな)を伴って馬で近づいてくると、秀高は義秀の言葉を聞いた後に頷いて答えた。


「分かった。俺もそろそろ旗本の所に合流しよう。伊助、引き続き城内の探りを頼む。」


「はっ!」


 この秀高の下知を受けた伊助は一礼するとすぐにその場を去っていった。それを見た秀高は義秀らと共に行軍する旗本の所に戻っていった。そして秀高が旗本の所にちょうど戻った後、観音寺城周囲に漂っていた靄が晴れてその光景が観音寺城に見えるようになったのである。




「な、何じゃあれは!」


 山城である観音寺城の本丸に(そび)える三層の天守閣の最上階から六角承禎(ろっかくじょうてい)が眼下に広がる光景を目の当たりにして驚いていた。それは観音寺城と箕作城の間にある山間の平野を高秀高の軍勢が悠々と行軍し、まるで素通りする様に観音寺城の真下を通り過ぎていく光景であった。


「父上…まさか連中はこの城を素通りするのでは!?」


「何じゃと、この城を相手にしないとでもいうのか!」


 高欄からその光景を見つめる承禎に声を掛けた息子の六角義弼(ろっかくよしすけ)に対し、六角家重臣の平井定武(ひらいさだたけ)が声を掛けると承禎がその光景を見つめながら呟いた。


「おのれ…この城を素通りするとでも言うのか…秀高め!」


「殿…殿!一大事にござる!」


 と、その承禎に対して報告しにやって来たのは、六角家重臣の三雲定持(みくもさだもち)であった。するとその次に定持から告げられたのは、余りにも衝撃的な内容であった。


「高秀高の軍勢の先陣が長光寺城(ちょうこうじじょう)を攻撃!お味方が防戦に努めておりますが余りの奇襲に耐え切れなくなっておりまする!」


「…なんだと!?」


 承禎がその報告を聞いて高欄を歩いて別の方向を見た。この長光寺城は観音寺城の南西方向にあり、和田山城から見れば観音寺城の後方に位置していた。承禎が天守閣の高欄を歩いて長光寺城が見渡せる方向に来ると、その視線の先にあったのは黒い煙が立ち上る長光寺城の姿であった。


「どういう事じゃ!秀高はどうしてこの城に攻めては来ぬのだ!?」


「まさか、この城を相手にするより上洛を最優先にするためでは…?」


 狼狽えるように声を上げた定武に対して義弼が自身の私見を述べると、その言葉を聞いた定持が承禎に対してこう進言した。


「もしそれが真であれば、我が六角家はとことん秀高に舐められている証左になりまするぞ!」


「おのれ…秀高め!」


 承禎は目の前の光景を直視した後に高欄の欄干をドンと力強く叩き、長光寺方面へと去っていく秀高の軍勢を睨みつけながら後ろに控える家臣たちに声を掛けた。


「者共!これより我らは打って出る!城内の軍勢の戦支度を整えよ!」


「父上!我らの軍勢は箕作城の手勢を合わせて六千にも及びませぬ!このまま打って出るのは死にに行くようなものにございまする!」


 承禎の号令を聞いて息子の義弼が反論すると、その反論を聞いた承禎が義弼の方を振り向いて言葉を被せるように言い返した。


「黙れ!このような物を見せつけられてなお長光寺城が陥落するのを、指を噛んで黙って見ているわけには参らぬ!幸い秀高の本陣は長光寺城から見て後方に位置するはずだ!ここは狙いを秀高本陣に定め、近江武士の底力を秀高に見せつける!続け!」


「と、殿!!」


 承禎がそう言い捨ててドカドカと足音を立てながらその場を去っていくと、重臣たちや義弼は慌てて承禎を呼び止めるように追いかけていった。そして承禎は観音寺城内に出陣の下知を下すと慌ただしく出陣の準備を進めたのである。




「…大殿が出陣なさると!?」


 この承禎の動きは山向こうの箕作城の守将を務める大谷吉房(おおたによしふさ)の耳にも入った。吉房は報告を伝えに来た多羅尾光俊(たらおみつとし)よりその情報を耳にすると、地団駄を踏んで悔しがった。


「くっ…誰も大殿をお諫めしなかったのか!?」


「それが、大殿は観音寺城の眼下を横切った秀高の行動に腹を立て、若殿や重臣らの声に耳を貸さずに出陣を決めてしまわれたと…」


「ええい、あれは秀高の計略だと申すに…」


 戦の経験が豊富な吉房には、秀高のこの行動が挑発であるというのを直ぐに見抜いていた。その為に誰も怒り狂っている承禎に声を掛けなかったことに大いに落胆したのである。


「…吉房殿、これは大殿よりのご下命にござるが、箕作城の軍勢も我が勢と歩調を合わせて打って出るべしとの事。」


「…やむを得まい。賽は投げられた、か。」


 光俊の言葉を聞いて吉房がポツリとそう呟くと、すぐさま自身の後方に控える武士たちの方を振り向いてこう指示した。


「者共、これより我らも大殿に続いて打って出る!戦の支度を始めよ!」


「ははっ!」


 吉房の下知を受け取った武士たちは勢い良く返事をし、各々の戦支度をするためにその場を去っていった。そして吉房は武士たちに命令をし終えると再び視線を長光寺方面に向けて、視線の先にある秀高の軍勢を鋭い眼差しで見つめたのである。


 かくして観音寺城と箕作城、それに周囲の小城から招集した軍勢八千は長光寺城を攻撃する秀高勢の後方を襲うべく慌ただしく出陣したが、この時承禎父子は、これが練りに練られた秀高の深謀遠慮だとは思いもよらなかったのである…。





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