表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
215/554

1565年5月 吼える承禎



永禄八年(1565年)五月 近江国(おうみのくに)観音寺城(かんのんじじょう)




和田山城(わだやまじょう)が落ちたと申すのか!」


 五月二十六日の夜中。観音寺城内の本丸にある本丸館にて、城主でもある六角義弼(ろっかくよしすけ)の怒号ともいうべき声が鳴り響いていた。佐和山城(さわやまじょう)より高秀高(こうのひでたか)率いる軍勢が進発したという報告をこの日の朝に聞いていた義弼が、それから一日も経たないうちに佐和山城から観音寺城の中間にある味方の諸城十六ヶ所全てが陥落したという報告を耳にした為である。


「はっ…既に秀高本隊は和田山城に入城。徳川家康(とくがわいえやす)勢は攻め落とした佐生城(さそうじょう)に、浅井新九郎(あざいしんくろう)勢は金堂城(こんどうじょう)に入城したとの事!」


「金堂城だと!?もう観音寺城と目と鼻の先ではないか!」


 報告に来た早馬の言葉を聞いて声を上げたのは、六角家重臣の平井定武(ひらいさだたけ)であった。定武は観音寺騒動(かんのんじそうどう)以降主家への出仕を取りやめていたが、主家の危機と聞いて兵を率いて馳せ参じて来ていたのである。


「やはり高秀高…その勢いは本物であるな。」


 と、義弼の隣の床几(しょうぎ)に腰かけながら太刀を片手に持っていた六角承禎(ろっかくじょうてい)が感嘆するように言葉を発した。


「父上!感心している場合ではありませぬ!ここはこの観音寺城を捨て、一刻も早く信楽郡(しがらきぐん)に逃げ延びましょう!」


「馬鹿者、焦るでない。」


 焦れている様子の義弼に対して父でもある承禎が宥めるように声を掛けると、承禎は懐から一通の書状を取り出した。


「見よ、これは越前(えちぜん)織田信隆(おだのぶたか)よりの書状だ。これによれば近いうちに朝倉義景(あさくらよしかげ)殿を伴って近江に出陣して参るとの事。この観音寺城と山向かいの箕作城(みつくりじょう)で防衛線を構築すれば、さしもの秀高とて攻めあぐねるであろう。」


 承禎は手にしていた書状を義弼に見せつけるように示した後、その手を下ろして言葉を続けた。


「…それにそこの定武同様、観音寺への出仕を取りやめていた目賀田綱清(めかだつなきよ)も我らへの忠義を通し、目賀田城(めかだじょう)で見事に散った。その者達の想いを無下にするような行いは慎むべきぞ、義弼。」


 するとそこに一人の近習がやってきて隠居の承禎に聞こえるように報告した。


「…大殿、大谷吉房(おおたによしふさ)殿が参られました。」


「おぉ吉房が参ったか。直ぐにここに通せ。」


 承禎の言葉を聞いた近習はその広間の中に一人の武将を通した。この武将の名は大谷吉房。元の世界において関ヶ原(せきがはら)の戦いで壮絶な最期を遂げた大谷吉継(おおたによしつぐ)の父である。


「おぉ吉房よ、首尾はどうであった?」


「はっ、蒲生定秀(がもうさだひで)に呼応した佐久良城(さくらじょう)小倉実隆(おぐらさねたか)一族を討ち取り、蒲生家に脅しをかけて参りました。」


「良くやったぞ吉房。これで定秀も己の愚かさを思い知ったであろうよ。」


 承禎が上機嫌になりながらそう言うと、吉房は顔を引き締めたまま承禎にこう意見した。


「それよりも大殿、高家の軍勢凄まじい勢いではありませんか。」


「何を言うか吉房。そなたの知勇があればあの成り上がりを討ち果たせようぞ。」


 承禎が腰に差していた扇を取り出して開いて扇ぎながらそう言うと、吉房は承禎の意見に反発するように声を上げた。


「大殿!高秀高とその家臣団を舐めてはなりませぬ!高秀高はその才知は本物で家臣団にも数多もの将星が控えておりまする!」


「吉房よ、それは考え過ぎぞ?所詮はどこの馬の骨とも知らぬ者ども。兵法のいろはなど、とんと知らぬ連中ばかりであろう。」


 すると、この言葉を聞いて吉房は上座の承禎父子に近づき、更に言葉を続けて反論した。


「兵法を知らぬのであればお味方がここまで苦戦することはあり得ませぬ!大殿!高家の軍勢を甘く見過ぎにございまするぞ!!」


「吉房、控えよ!父上に無礼であろうが!」


 と、承禎の隣にいた義弼が吉房を制するように言葉をかけると、吉房は口元を絞りながら詫びるように一礼した。


「…殿、ただいま戻りました。」


 するとそこに一人の忍者が広間の中に颯爽と入ってくると、上座の承禎の元に近づいて膝を付くと承禎に一礼した。


「おぉ、光俊(みつとし)ではないか。和田山城の様子はどうであった?」


 この忍者、名前を多羅尾光俊(たらおみつとし)と言い、甲賀衆(こうかしゅう)の頭目・望月出雲守(もちづきいずものかみ)配下の忍びであった。この光俊は先ほどまで承禎からの下知を受けて高秀高が布陣した和田山城へと潜入していた。


「はっ、城内は依然引き締めており、この観音寺城並びに箕作城へと攻め掛からん勢いにございます。されど…」


「されど如何した?」


 承禎への報告の最中に光俊が言い淀むと、それに気が付いた承禎がその訳を問いただした。すると光俊は気を取り直してその言葉の続きを述べた。


「はっ、和田山城の本丸館に設けられた秀高本陣の奥、即ち秀高の寝所に手このような会話が為されておりました…」


 と言って光俊は承禎に、先程の潜入の際に秀高本陣が置かれた本丸館の奥間にて聞いた内容を承禎に伝えた…




「…秀高くん、思いのほか簡単に観音寺城まで近づけたね。」


 この日、攻め落とした和田山城の本丸館の奥間、秀高に随伴して来ていた(れい)静姫(しずひめ)、それに詩姫(うたひめ)ら秀高の正室の寝所の所で秀高に玲が話しかけていた。その様子を潜入していた光俊は床下から忍び寄ってその会話の一部始終を立ち聞きしていたのである。


「あぁ。義秀(よしひで)家康(いえやす)殿、それに新九郎(しんくろう)浅井(あざい)勢が翌日の先陣を賭けて競い合うように諸城を落としたからなぁ。」


 するとその時、この上洛に詩姫の付き添いで同行していた春姫(はるひめ)がふと床の方を見た後に黙ったまま視線を秀高に送った。その視線を受け取った秀高は静かに頷くと、その場にいた玲たちに向けてこう言い始めた。


「…それにしても近江源氏(おうみげんじ)として名高い佐々木氏(ささきし)の流れを汲む名門六角家がここまで呆気ないとはな。こんなに弱かったら拍子抜けしてしまうよ。」


「…良いんじゃないかしら。先代の六角定頼(ろっかくさだより)とは違って、当代の承禎と義弼親子は凡庸と(もっぱ)らの噂よ。こんなの拍子抜けして当然よ。」


 秀高の思惑を汲み取ったかのように静姫が自然と、秀高の会話に合わせるように相槌を打った。するとそれに続いて玲や詩姫も秀高の論調に合わせるように話し始めた。


「確かに、こうまで弱いと少し気が抜けちゃうね。」


「致し方がない事ですわ。兄を積極的に支援していた定頼殿亡き後、六角承禎は三好長慶(みよしながよし)と気脈を通じて兄を支援しなくなったんですもの。この状況は正に天罰ともいうべきですわ。」


「…これじゃあ明日の城攻めもいとも簡単に陥落するだろうな。」


 秀高はこの言葉を言った後、その場の一同と互いに目を合わせて高らかに笑いあった。そして床の下で光俊はその様子を感情を押し殺しながらじっと聞いていた。


「…ねぇ、明日の戦は勝つって決まってるのなら、今夜はこのまま一緒に過ごさない?」


 その中で静姫はそう言うと身に纏っていた小袖の胸元の襟をめくりながら秀高を誘惑する様に話しかけた。すると秀高は静姫の誘惑を聞くとふふっと微笑んだ後にこう言った。


「…あぁ。六角勢などここまでくれば赤子の手をひねる様な物だ。今夜はこのままみんなで一夜を共にするか。」


「うん、そうだね…」


 すると、床下の光俊の耳に聞こえてきたのは、床に布団を敷いて各々が着ていた着物を脱ぐ音であった。それを聞いた光俊は怒りに支配されながらも忍び足でその場を去り、観音寺城の承禎の元へと報告に向かって行ったのであった。


「…殿、奴は承禎の所へ報告に向かいました。」


 その僅か数分後、奥間の襖を開けて忍びの伊助(いすけ)が秀高に報告に現れた。するとその中では秀高と玲たち一同が布団の上で、着物を脱がずに各々正座して待機していた。


「間者の様子はどうだった?」


「まるで怒りに打ちひしがれたような顔をしており、血気に逸らんばかりにそそくさと立ち去っていきました。」


 その伊助の報告を聞くと静姫がふふっとほくそ笑み、詩姫も秀高の方に視線を向けて微笑んだ。そして秀高は腕組みをしながらそれまで閉じていた目を見開いて一言こう言った。


「…この報告を受ければ、きっと承禎の自尊心を大いに刺激するだろうな。」




「…おのれ!!尾張の成り上がりが六角家をコケにしおって!!」


 果たして観音寺城の中でこの報告を光俊から聞いた承禎は、まるで煮えたぎる様に怒り狂っていた。そしてその報告を聞いていた義弼や定武ら六角家重臣も一様に怒りの感情を露わにしていた。


「奥方を戦場に同行するのもさることながら、あまつさえ戦の勝利を確信したとほざいて夜伽を始めただと!?秀高はこの六角承禎を舐めているのか!!」


「殿!お気をお鎮めなされ!これは秀高の挑発にございまするぞ!」


 その重臣たちの中で唯一冷静に報告を聞いていた吉房は、上座で怒り狂っていた承禎を諫言する様に言葉をかけた。


「これは明らかに我らを野戦に誘い込む計略!このような挑発に乗っかって戦を挑むなど愚かの極みにございまするぞ!」


「黙れ吉房!わしはこの堅牢な観音寺城を簡単に落とせることに怒っておる!そのような傲慢な鼻をへし折ってやるわ!」


 承禎は吉房の諫言に耳を貸さずにそう言うと、目の前の吉房に対してすぐにこう告げた。


「吉房!そなたは今夜中に山向かいの箕作城に入れ!明日からの攻撃には箕作城の守備を任せたぞ!」


「…ははっ。」


 吉房は自身の諫言が聞き入られなかったことに不安を抱きつつも、承禎の下知を聞いて真夜中に箕作城へと入って防備を固めた。しかし、夜が明けた翌日に承禎らが籠る観音寺城の目の前で起こったのは、とても信じられない光景であった…。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ