1565年5月 先陣争い
永禄八年(1565年)五月 近江国佐和山城
永禄八年五月二十五日。高秀高・徳川家康率いる上洛軍約六万は昨日に浅井新九郎家臣・磯野員昌が城主を務める佐和山城に入城。そこで浅井軍七千と合流してその翌日に佐和山城内の本丸館にて軍議を開いたのである。
「まずは新九郎殿、今回の上洛にご加勢心より感謝する。」
佐和山城の本丸館内・大広間の上座に置かれた床几に座る秀高が、下座の新九郎に加勢したことに対しての感謝の意を述べた。
「何の、秀高殿もここに来るまでの間、敵の襲撃を受けたと聞き肝を冷やしておりましたぞ。」
「はっはっはっ。新九郎殿には心配をかけて申し訳ない。」
秀高が笑い飛ばす様に新九郎にそう言うと、その言葉を聞いていた家康が秀高に向けて意見を述べた。
「しかし織田信隆め、朝倉義景が動かない為に秀高殿のお命を狙うとは…」
「まぁ、信隆の腹案としては朝倉・六角、そして新九郎殿の父・浅井久政と連携してこの上洛軍を挟み打つ算段だったんでしょうが、その思惑が外れた事によって俺の命を直接狙って来ました。ですが、所詮これは苦し紛れにもならない下策ですよ。」
秀高が家康の方に向けてそう言うと、秀高は話の話題を切り替えるようにその広間に居並ぶ諸将たちにこう告げた。
「さて、皆聞いてくれ。浅井新九郎殿の浅井勢との合流によって俺たちは近江への進入を果すことが出来た。だがこれは上洛への序の口に過ぎない。俺たちが次に狙うのは南近江だ。」
「すると殿、次の目標はやはり六角承禎にございますな。」
筆頭家老の三浦継意が秀高の言葉を聞いて発言すると、秀高は継意の方に視線を向けつつ頷いて答えた。
「そうだ。だがその前にやっておかなきゃならないことがある。俺たちはいわば遠征の身。よって本国の尾張との連絡線は確保しておきたい。」
秀高が諸将に向けてそう言うと、秀高の周囲にいた馬廻達が即座に盾を用いて机を拵え、その上に絵図を広げると秀高は指示棒を手に持ってその説明を行った。
「まず、この佐和山と美濃の関ヶ原を結ぶ中山道を抑えるために近江側は鎌刃城、そして美濃側は松尾山に新たに臨時の陣城を築き、鎌刃城には久松高俊の部隊と城主の堀秀村。松尾山には金森可近と坂井政尚を配する。」
「ははっ!!」
この秀高の説明の際に名前が上がった高俊ら諸将は秀高の下知を承服するように返事した。
「また、関ヶ原と小谷城を結ぶ北国街道沿いにある横山城と上平寺城にも兵を配し、横山城には佐治為景と浅井家臣の宮部継潤、上平寺城には遠山綱景と遠山友勝の軍勢を配備する。」
「ははっ。承知いたしました。」
先ほどの高俊らと同じように、広間の中にいた為景ら諸将が秀高の言葉の後に続いて返事を秀高に返した。すると秀高は返事を返してきた為景らに補足事項を伝えた。
「ちなみにこの小谷城には海北綱親殿が留守居として入り、越前の監視を行っている。為景ら諸将はこの綱親殿と連携して越前の動きを注視する様に。」
「ははっ!」
諸将を代表して為景が勢い良く返事をすると、その返事を聞いていた家康が秀高にこう発言した。
「なるほど…義景がいつ動くか分からぬ以上、美濃への進入を防ごうという訳ですな。」
「えぇ。それとは別に遠藤胤俊らに郡上郡と越前大野郡を結ぶ街道筋を見張らせております。これで朝倉軍が美濃に侵入する事はそう容易ではないでしょう。」
秀高のこの言葉を聞くと、新九郎は絵図を見つめながら秀高にこう言った。
「すると…残る総勢五万弱で六角を倒すという事にござるか。」
「あぁ、無論それだけじゃなく近江南部で行動を起こした蒲生定秀らを後援させるために伊勢の亀山城で待機している滝川一益らに鈴鹿峠を越えて近江国内に進入させるように計らう。これで六角家は南北に敵を抱える事になるはずだ。」
「しかしそうなると…敵は堅牢な観音寺城を恃んで籠城策を取るかと。」
家康がその説明を踏まえた上で秀高にそう言うと、秀高は家康の方を振り向いてふとこう尋ねた。
「…時に家康殿、この周囲に配下の忍びは配置しておられるか?」
「如何にも。秀高殿の稲生衆と力を合わせ、半三に命じてこの周囲を警戒しておりまする。この場に密偵の付け入る隙は無いかと。」
この家康の発言を聞いた秀高は安堵するように微笑むと、改めてその場の一同の方を振り向いて数日前に大垣城にて自身の家臣たちに先に打ち明けた一芝居の事を皆に伝えた。
「…なるほど、六角父子を野戦に引きずり出すという訳ですか。」
「うん。俺としてはこの一芝居を打って六角軍を決戦場に引きずり出す。」
「しかし秀高殿、もしそれが上手く行けば六角軍を一網打尽に出来ますぞ!」
家康に続いて新九郎が秀高の策を聞いて賛同を示すと、その策を聞いていた本多重次が話に割って入ってきた。
「されど秀高殿、それを行うには観音寺に至るまでの六角の小城を越えて行かねばなりませぬぞ。」
「無論それらは踏みつぶしていくつもりだ。それら小城を攻め落とした後にこの計略を行うつもりでいる。」
この秀高の意見を聞いた重次は得心したように頷き、視線を家康の方に向けた。すると家康はその重次の視線を感じたのか秀高にこう具申した。
「然らば少輔殿、その策の露払いは我ら三河勢にお任せあれ。我ら三河武士の強さを秀高殿にお見せ致そう。」
「ちょっと待った。」
と、そんな家康に待ったをかけたのは、秀高家臣にして軍奉行を務める大高義秀であった。
「いくら仲間の家康殿とは言え、戦になって俺ら秀高の家臣が指をくわえて見ている訳にはいかねぇ。その戦いには俺ら高家もやらせて貰うぜ。」
「…されど大高殿、御身の軍勢は六角本隊を叩くという大事な役目がござり申す。このような戦いでお手を煩わせる訳には…」
すると、この家康の言葉に反応して義秀の正室・華が口を挟んで反論した。
「家康殿、それは余計な気遣いという物です。私たちもヒデくんの上洛に同行している以上、均等に戦功を立てるべきだと思います。」
この華の言葉を聞き、今度は新九郎が家康の方振り向いて意見を述べた。
「如何にも。それを言うなら、我ら浅井勢にも戦功を立てる機会を頂きたいものです。」
「…三河殿、彼らはこう見えて意外に頑固でして、彼らや新九郎殿の想いも受け止めてはくれないだろうか?」
「…承知いたしました。然らばこれは如何か?。」
と、家康は目の前に座る義秀と華に対して一つの提案を提示した。
「明日からの六角の小城攻めの際、より多くの城を落とした方が六角本隊との戦の際に先陣を請け負うというのは?」
「へぇ…そりゃあ面白れぇ提案だな。じゃあこっちが多く攻め取ったらその戦の時に先陣は貰うぜ。」
義秀が家康の提案を聞いて意気込むようにそう言うと、家康は義秀の言葉を聞いて微笑んだ後に言葉を返した。
「大高殿こそ、我ら三河武士の力を見て度肝を抜かされまするな?」
「三河殿、そう言う貴殿にも我ら近江武士の力をしかとお見せ致そう。」
「ま、まぁ…各々がそう言う事ならそうしよう。」
家康や新九郎らの言葉を聞いた後に秀高が発言すると、気を取り直して秀高が諸将に向けてこう言った。
「よし良いか、明日からこの策に従って各自行動を行う。六角領前線の小城の攻略は徳川勢と高家の軍勢、それに浅井勢に一任する。各々、立派に戦功を競え!」
「おぉーっ!!」
その秀高の下知を受けてその場の諸将は奮い立つように喊声を上げた。こうして南近江攻めの方針が定まると、秀高勢は翌二十六日より行動を開始。佐和山城から徳川勢、浅井勢に秀高本隊が出陣すると共に、亀山城に集う軍勢も出陣して鈴鹿峠へと進軍を開始したのであった。