1565年5月 道中の襲撃
永禄八年(1565年)五月 近江・美濃国境付近
永禄八年五月二十四日正午過ぎ。この日の朝に大垣城を進発した高秀高は浅井新九郎との合流場所である近江佐和山城に向かうべく総勢約六万もの軍勢を伴って関ヶ原を越え、松尾山の麓を走る中山道を進軍していた。
「…徳玲丸と熊千代は輿の中にいるのか?」
新緑の木漏れ日が差す中を馬に乗って進み秀高が、後方を振り向いて小高信頼に尋ねた。
「うん、徳玲丸は玲の輿に、熊千代は静姫の輿の中に乗ってるよ。」
「そうか…ここのところ馬に乗せてばっかりだったからなぁ。ゆっくり休んでくれるといいが。」
「既に先陣の佐治為景と稲葉良通の軍勢が佐和山城まで数里の所まで来たらしいぜ。このまま進めば今日中には全軍が佐和山城の辺りまで進めるだろうな。」
馬に乗りながら前を進む秀高に対して大高義秀が後方から発言すると、秀高はその言葉に反応して義秀に言葉を返した。
「よし、義秀。直ちに早馬に前を行く軍勢は佐和山につき次第順次休息を取れと伝えてくれ。」
「分かったぜ。」
義秀は秀高からこの下知を受け取ると近くの早馬に目配せをして前方の味方の元に伝令に行かせた。やがて秀高一行は曲がり角を曲がって切通しのある直線道に入ると、信頼が周囲を見渡してこう言った。
「秀高、さっき境を示す路傍の石を見つけたよ。もう近江国内に入ったみたい。」
「そうか…ならばあと数刻で佐和山に到着するだろうな。」
そんな秀高一行より遠く離れた切通しの崖の上、林の木陰に潜みながらその行列を火縄銃で狙いを定める一組がいた。
「善住坊よ、ここから狙えるか?」
火縄銃で狙いを定める杉谷善住坊に対して尋ねたのは織田信隆の家臣・堀秀重であった。すると善住坊は火縄銃を構えながら秀重に言葉を返した。
「あぁ。問題はないがどれが標的かをしっかりと教えてくれ。」
「案ずるな、標的は間もなく参る。」
秀重が生い茂る草木に隠れながら小声でそう言うと、やがて秀重はある一騎に視線を釘付けにした。その栗毛の馬に跨る武将こそ秀重がつけ狙う高秀高その人であった。
「…あれだ善住坊。あの栗毛の馬に跨る武将だ。」
「あれか。あれならば造作もない。」
善住坊はそう言うと火縄銃の火蓋を開き、引き金に手を置いた。そして馬を進める秀高に狙いを定めて引き金を引く時を見定め、そしてその引き金を引いた。
「…殿、一大事にござる!」
「どうした伊助?」
丁度その時、秀高は呼び止められた伊助の声に反応してその場で馬を止めさせた。すると次の瞬間、辺り一面に鳴り響いた轟音と共に秀高の隣を進む一騎の馬廻に銃弾が命中し、その場に馬廻がもんどり返って転げ落ちたのである。
「な…殿!お怪我は!」
「くそっ、敵襲だ!辺りを警戒しろ!」
呼び止めた山内高豊の声に続いてその場を進む馬廻達に周囲への警戒を呼び掛ける義秀の声が鳴り響いた。一方、秀高を狙ったはずの善住坊の銃弾が別の者に当たったことに一番驚いたのは、他でもない善住坊本人であった。
「外れた!?馬鹿なあり得ぬ!」
「くっ、やはりこれしきでは秀高は死なぬか…やむを得ん!」
秀重は狙撃の失敗を見るや腰に差した刀を抜き、切っ先を秀高に向けて声を上げた。
「狙うは高秀高ただ一人!皆かかれ!!」
するとこの秀重の呼び掛けに応じて茂みの中から数十名もの虚無僧が現れ、得物の刀を抜くと切通しの崖を駆け下りて崖下の秀高一行に襲い掛かった。
「…殿、大事ありませぬか!」
「あぁ、俺は大丈夫だ。」
やがて虚無僧たちが秀高の行列に斬り込んできた中、再び高豊が駆け寄って秀高に尋ねた。すると秀高は腰に差していた太刀を抜くと高豊にこう告げた。
「高豊、とりあえず今はこの襲撃を跳ね除ける事が先決だ。お前は後方に行って玲たちの護衛を頼む!」
「ははっ!!」
高豊はこの下知を受け取るとすぐさま馬首を返して後方に控える玲たちの元へと向かって行った。すると義秀が自身の脇に来た虚無僧を突き刺すと秀高にこう告げた。
「秀高!こいつら信隆配下の虚無僧だぜ!」
「やはり…織田信隆、闇討ちを嗾けて来たか。」
秀高はそう言うと目の前からやって来た一人の虚無僧を切り伏せると、周囲の馬廻に聞こえるように声を上げた。
「皆怯むな!敵は少数、返り討ちにしてやれ!」
「おぉーっ!!」
この呼び掛けを聞くと馬廻達は更に奮い立ち、襲い掛かって来た虚無僧を次々と掃討していった。そしてそれからしばらくすると虚無僧たちは一人残らず討ち果たされ、辺りには虚無僧の亡骸が転がるだけだったという。
「…殿、襲撃の下手人を捕らえました。」
やがて秀高一行が馬を進んで切通しから抜けると、その先で伊助ら稲生衆が秀高に襲撃を仕掛けてきた張本人である秀重と善住坊を縄に縛って突き出していたのである。
「伊助、ご苦労だった。お前が声を掛けていてくれなかったら、俺はあの場で命を落としていただろう。」
「いえ、某も敵襲の察知が遅れてしまい、殿の御身に万が一の事があれば我らの落ち度と相成るところでした。」
秀高がその場に留まって後方に控える軍勢に先行させ、馬から下馬して伊助に声を掛けた後に秀重らの方を見た。
「…伊助、こいつらの素性は分かっているのか?」
「はっ。殿の目の前におるのが織田信隆が家臣・堀秀重。その脇におるのが甲賀の住人、杉谷善住坊と申す者にござる。」
「杉谷善住坊…か。」
秀高が伊助よりその名を聞いて視線を信頼の方に向けると、信頼はそれに首を縦に振って頷いた。この杉谷善住坊、秀高たちがいた元の世界では織田信長を狙撃した人物としてその名が知られていたのである。
「…まずは堀秀重。この襲撃は全て信隆の差し金か?」
「仇に語る言葉は無し。疾く我が首を撥ねよ。」
秀重が両眼を閉じて秀高にそう言うと、秀高は秀重を見下ろしながら話しかけた。
「…お前のような者を捨て駒にするとは、織田信隆も地に落ちたものだな。」
「何とでも言え。我らが宿願である織田家再興と尾張復帰の為ならば、例え地の果てでも我が主は追いかけようぞ。」
「それが迷惑だと言っている。」
秀高は秀重の言葉を遮断するようにそう言うと、秀重の前で屈んで秀重に視線を合わせると秀重にこう言った。
「信隆の独りよがりの願望の為に日ノ本をかき乱されたらたまったもんじゃない。いずれお前の主もお前の後を追わせてやる。連れて行け!」
秀高は秀重に冷たく言い放すと周りにいた馬廻に連れて行かせて首を撥ねるように暗に促した。馬廻はそれを承諾すると秀重をどこかへと連れて行った。
「…さて杉谷善住坊。」
秀高は連れられて行く秀重を見送った後に視線をその場に残った善住坊の方に向けると、善住坊の目の前で屈んでこう言った。
「確かお前は甲賀の住人といったな。という事は望月出雲守殿の配下か?」
「はっ、わしは望月出雲守とは何らかかわりもない。単なる甲賀の住人だ。」
秀高の問いかけに善住坊が鼻で笑って答えると、傍にいた甲賀出身の伊助が秀高にこう告げた。
「殿、この善住坊は間違いなく望月出雲守殿の忍びにござる。おそらくは信隆の依頼を受けて…」
「…そう言う事か。」
伊助のこの言葉を聞いた秀高は、目の前の善住坊に向けてこう告げた。
「善住坊、いかに恩義ある出雲守殿の配下とはいえ、やったことは許されることではない。お前はここで打ち首となる。」
「…そうか。」
善住坊は秀高の言葉を聞くと脇に控える伊助に背中を見せた上でこう言った。
「ならば最期は、同郷の者に首を打たれたい。介錯を頼む。」
「…相分かった。」
伊助はそう言うとスッと立ち上がり、忍び刀を抜いて善住坊の首を撥ねた。すると伊助は善住坊の首を持ったうえで秀高にこう告げた。
「殿、善住坊が殿の事を狙ったとあれば、甲賀は殿に敵対するという事になりまする。」
「…まぁそれも仕方がない事だ。甲賀は六角の配下。承禎父子からの依頼を受ければ必然的にそうなるさ。」
「…少輔殿!ご無事か!」
と、そこに徳川家康が本多忠勝と本多重次を連れてその場にやって来た。すると秀高は駆け寄ってきた家康の方を振り向いてこう言った。
「これは三河殿、ご覧の通り私は大丈夫です。どうやら敵は私の首を狙って来たようだが…無駄骨になったようだな。」
「左様か…少輔殿、くれぐれもご自愛なされよ?」
家康の言葉を秀高は微笑んで受け入れると、そのまま家康に近づいて肩に手をかけてこう呼びかけた。
「さぁ三河殿、敵の襲撃も無事跳ね除けた上は、このまま威風堂々と佐和山城に入城するとしよう!」
「えぇ、このまま参ると致しますか。」
秀高はそう言うとその場に留めた馬に跨り、家康と共に佐和山城への道を再び進み始めた。その後、馬廻達によって秀重の首も打たれて両者の首はそのまま佐和山城へと運ばれたのであった。