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1565年5月 越前の動向



永禄八年(1565年)五月 越前国(えちぜんのくに)一乗谷(いちじょうたに)




 高秀高(こうのひでたか)(みやこ)への上洛の日時を定めてから数日が経った五月五日。ここ越前・一乗谷にある朝倉館(あさくらやかた)にもこの秀高上洛に関する情報が伝えられていた。


「朝倉軍が出陣しない!?それは如何なるわけでござるか!!」


 その朝倉館の中の一室から驚きの声が上がった。声の主は織田信隆(おだのぶたか)の家臣である前田利家(まえだとしいえ)であった。


「いや、義景殿の嫡子・阿君丸(くまぎみまる)が体調を崩されてな、殿が付きっきりで看病しておる故朝倉全軍の出陣が出来ぬのじゃ。」


 そう利家に申したのは朝倉家臣・山崎吉家(やまざきよしいえ)であった。そしてその吉家の隣に着座し、吉家に続いて利家に向かって発言したのは朝倉家一門・朝倉景健(あさくらかげたけ)である。


「正室である奥方様よりも溺愛なさっておる阿君丸殿の病気の前では、秀高の上洛を阻むための出陣を取りやめてしまうのだ、義景さまは。」


「なんと…越前朝倉家の当主が何とも頼りない!」


 利家がその情報を得て地団駄を踏むように憤ると、その言葉を聞いた吉家が利家を宥めるように言葉をかけた。


「まぁそう申されるな。如何に日の出の勢いの秀高とは申せ、小谷(おだに)浅井久政(あざいひさまさ)殿や観音寺(かんのんじ)六角承禎ろっかくじょうてい殿の反抗に会えば、上洛の足止めを喰らうのは必定。そうすれば我が殿の出陣も容易な物となろう。」


「貴殿らは秀高と相対したことが無いからそうのんきな事を仰られるのです。」


 憤る利家に代わって吉家らに意見を申したのは同じ信隆家臣の丹羽隆秀(にわたかひで)であった。


「秀高は英名の誉れ高く、またその家臣である竹中半兵衛(たけなかはんべえ)滝川一益(たきがわかずます)安西高景(あんざいたかかげ)らは一廉の将。それらの者どもが上洛の障害に当たれば、奇策をもってこれを打ち崩すは必定にござる!」


「然り!その秀高の行動を阻むためにも、我ら一同は一刻も早い義景殿の出馬を乞うておるのです!」


 すると、それらの意見をその場で聞いていた明智光秀(あけちみつひで)がようやく重い口を開いて目の前の吉家らに対してこう告げた。


「…吉家殿、それに景健殿。貴殿らは朝倉家御家中の中でも屈指の発言力を持つ方々。その様な方々がどうして義景殿に遠慮しておられる?」


十兵衛(じゅうべえ)よ、そなたも朝倉家中に逗留しておったのならば分かるであろう。義景殿は一度決められたことを覆さぬお方。その様な方に何を申し出ても無駄という物よ。」


 朝倉家の一門である景健が光秀に対してそう言うと、その言葉を踏まえて吉家が光秀や利家らにつき放すようにこう告げた。


「ともかく、義景殿が動かねば我ら重臣が勝手に動くことは出来ぬ!織田(おだ)の地に帰って貴殿らの主にそう申すが良い。」


 吉家は目の前に着座する光秀らにそう言うと、その場から立ち上がって景健と共に外へと出て去っていった。その言葉を受けた利家は床に敷かれた畳をドンと叩きつけるように殴った。


「おのれ…このような好機に出陣せぬ愚か者がどこにいる!」


「利家殿、落ち着かれよ。」


「しかし!」


 宥めるように話しかけてきた光秀に対して利家が怒りのまま言葉を返すと、光秀は吉家らが去っていった方向に視線を向けて諦めたように小さく呟いた。


「…これでは、秀高の上洛を見過ごすようなものです。」


 光秀は小さくそう呟くと、嫡子の病気を大事にして出陣の好機を逃す義景の器の小ささと、それに諫言出来ないでいる朝倉の家臣団の現状を目の当たりにしてやるせない気持ちを顔に出して表したのだった。




「そうですか…やはり義景は動かないと。」


 その翌日の六日、織田の地にある信隆の館の居間の中で、主の信隆は一乗谷より帰還してきた光秀らより事の顛末を聞くと、腕組みをしながらやや諦めるように発言した。


「はい、その理由がよりにもよって嫡子の病気が原因とは…」


「朝倉義景…頼りになる器ではないと思っていましたが、ここまで酷いとは…。」


 信隆が腕組みしたまま庭先の庭園の方に視線を向けてそう言うと、その言葉に対して意見を述べた者がいた。


「これでは、我らから伊勢(いせ)を奪った秀高への報復が出来ぬではありませぬか!!」



 この発言をしたのは北畠具親(きたばたけともちか)。京にて秀高派の公家として活動する北畠具教(きたばたけとものり)の弟である。この者は奈良(なら)興福寺(こうふくじ)にて東門院(とうもんいん)院主(いんじゅ)を務めていたが、兄らが伊勢を追われた後に還俗して京に上った兄らに反発。その後信隆の噂を聞きつけて信隆の家臣になっていたのである。




「具親殿、お気持ちは痛いほどわかりますが独自の兵を持たない我らが朝倉の援軍無しでは到底秀高に太刀打ちできませぬ。」


「では隆秀殿は、国を追われた我らを(ないがし)ろにすると申されるのか!!」


 具親を宥めるように発言した隆秀に対して、また別の若い家臣が具親の肩を持つように発言した。


 この者の名は三木国綱(みつきくにつな)。昨年の金森可近(かなもりありちか)飛騨(ひだ)侵攻に降伏した姉小路嗣頼(あねこうじつぐより)の娘婿で、具親と同じように降伏した(しゅうと)たちに反発して信隆の家臣となっていたのである。


「そういう訳ではありませんよ国綱、それに具親。私とそなたらは皆共通していることがあります。」


 憤る国綱に対して上座の信隆が口を開き、宥めるようにして発言を返した。


「ここにいる者らは皆、秀高によって故郷を追われた者達です。我らはその憎しみを力に変えて秀高に立ち向かうことが出来るのです。決して蔑ろになどしておりません。」


「では殿は、どのようにして秀高の上洛を食い止めるというのか!!」


 と、その信隆の言葉に反応して具親が詰め寄るように発言すると、それに信隆は具親の顔を見つめながらも言葉を淡々と返した。


「聞けば秀高は上洛への準備万端整え、上洛に向けて各地の将兵に戦支度を整えさせていると聞きます。ならばまずは我らも独自に傭兵をかき集めるのです。」


「傭兵を…ですか。」


 その言葉を聞いて信隆家臣の堀秀重(ほりひでしげ)が言葉を発すると、それに反応した信隆が更に意見を続けた。


「そうです。傭兵ならば農事に従事する農兵たちを当てにすることなく、しっかりとした数を確保できます。それに万が一戦になった時に我らの軍勢がしっかりとあれば、秀高の軍勢と戦うことも出来ます。秀重、直政(なおまさ)。その事を頼みましたよ。」


「ははっ!」


 この信隆の下知を聞いた秀重と堀直政(ほりなおまさ)は一礼して頭を下げ、信隆に承諾の意を示した。そして信隆はその言葉を受け取るとその場の一同に対してこう告げた。


「あとは…道中の秀高を狙撃して負傷させ、上洛の足取りを遅くさせる他ありません。」


「なんと、秀高を闇討ちにすると申すので?」


 利家が信隆のその腹案に驚いて言葉を発すると、信隆はその利家に対して頷いて答えた。


「えぇ。恐らく秀高は美濃(みの)中山道(なかせんどう)を使って近江へと入るはず。ならばその途中の松尾山(まつおやま)の辺りで秀高の行列に襲撃を掛けるのです。」


「されどあの用心深い秀高の事、周辺の警護は抜かりないかと思われますが?」


 信隆の考えを聞いた後に光秀が諫言の意味を込めてこう発言すると、信隆は光秀の方を振り向いてすぐに言葉を返した。


「…元より襲撃が成功するとは思っていません。大事なのは我らが秀高の上洛を妨害する気概を少しでも示す事です。そうすればきっと、腰の重い義景を動かすことが出来ましょう。」


「なるほど…それに噂では秀高は自身の妻子を伴って上洛するとか。もしかすれば…大手柄を立てることが出来まするな。」


 利家が信隆の意見を聞いてこの越前にまで広まった噂を口に出して発言すると、その事を聞いた信隆が利家の方を振り向いて頷いた。


「えぇ。そこで手柄を立てることが出来れば良いですが、秀高配下の忍びたちは手練ればかり。きっと失敗するでしょう。全く、我ながらこのような下策しか思いつかないとは…。」


「確かに…義景殿が動いてさえくれれば、このような下策を打つ必要は無かったのですがな…」


 光秀が信隆の真意を受け止めて悔しがるように言うと、気を取り直して信隆の命令を受けてこう返事をした。


「畏まりました。ならば虚無僧の中から精鋭を選抜し、上洛の時に松尾山の辺りで襲撃を掛けるとしましょう。」


「えぇ、よろしく頼みますよ。」


 光秀の言葉を聞いた後、信隆はその場にいた一同に対して呼び掛けるようにこう言った。


「良いですか、秀高の上洛まであと二週間余りしかありません。それまで各々の為すべきことを果し、秀高の上洛を何としても食い止めるのです。」


「ははっ!!」


 こうしてここに信隆も来る秀高の上洛を阻むべく、自分たちでできる範囲の準備や方策を打った。そして二週間が経った五月二十日。いよいよ秀高上洛の時を迎えるのである…





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