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1565年5月 上洛の旗頭



永禄八年(1565年)五月 尾張国(おわりのくに)名古屋城(なごやじょう)




 (みやこ)への上洛の日程を定めたその日の夜。高秀高(こうのひでたか)は名古屋城本丸御殿の奥御殿にて(れい)たち正室たちと徳玲丸(とくれいまる)ら自身の子供たちと共に夜食を食べて一家団らんの一時を過ごしていた。


「玲、新しく生まれた子の様子はどうだ?」


「うん、とても健やかに過ごしているよ。」


 遡る事先月の四月に玲は秀高との新たな男の子を出産していた。この新たな赤子は秀高によって竹松丸(たけまつまる)と名付けられ、養育は生みの親である玲が乳母の(とく)と協力しながら行っていた。


「そうか…これで俺たちの家族もかなり大きくなったな。」


「そうだね。詩姫(うたひめ)様のお腹の子も順調に成長しているから、今度はどんな子が産まれて来てくれるんだろうね。」


 玲が腕に竹松丸を抱きながら秀高の側でそう言うと、秀高の近くで用意された玄米を口に運び、しっかり噛んだ後に飲み込んだ詩姫が秀高と玲に向けて言葉を返した。


「奥方様、それに殿。きっとこの子は高家と将軍家の橋渡しを越えて、高家の為に尽くしてくれる人物に育ってくれるはずですわ。」


「あぁ、そうなってくれるのがとても楽しみだ。」


 秀高は話しかけてきた詩姫に微笑みながらそう言うと、玲から竹松丸を受け取って母の玲に代わって赤子の竹松丸をあやし始めた。


「…それにしても秀高くん、いよいよ上洛の日も決まったみたいだね。」


「あぁ。上洛軍の進発はこの二十日と評定で決まった。既に国内の諸将はその日に向けて各々の所領で戦準備を行っている。」


 秀高に竹松丸を預けて目の前に用意された食事を摂り始めた玲が上洛の事について話しかけると、秀高は腕に竹松丸を抱きながら返答した。


「それでは秀高様、我が弟・北条氏規(ほうじょううじのり)にも出陣の下知を下されるのですか?」


 こう秀高に話しかけてきたのは、秀高と玲の子である蓮華(れんか)姫の隣で食事を摂るのを補佐している春姫(はるひめ)であった。


「もちろんだ。氏規は滝川一益(たきがわかずます)らと共に鈴鹿峠(すずかとうげ)から京への上洛戦に加わってもらうつもりだ。」


「そうですか…我が北条家が上洛の手助けをさせていただけるとは、亡き父もきっとお喜びになります。」


 春姫が蓮華の方を振り向きながらそう言うと、その言葉を聞いた静姫がある事を思い出して秀高に尋ねた。


「そう言えば秀高、今回の上洛の際に将軍家から誰か遣わされてくるの?」


「あぁ、それなんだがな…昨年の将軍御所襲撃以降、藤孝(ふじたか)殿ら幕臣たちは上様の身辺警護を重視した為、こちらの上洛には幕臣を派遣する余裕がないって言ってきているんだ。」



 昨年の三好(みよし)勢による「永禄の変」より後、細川藤孝(ほそかわふじたか)細川藤賢(ほそかわふじかた)ら幕臣一同は将軍・足利義輝(あしかがよしてる)の守備を固めるために幕府奉公衆の増加や御所の防備を厚くした。その影響で秀高が幕府に奏請していた幕臣の派遣に対して幕府側は派遣できないとの旨を秀高に告げていたのである。




「幕臣の随伴がないとなると朝倉義景(あさくらよしかげ)六角承禎(ろっかくじょうてい)父子に付け入られる隙を与えるだろう。そこだけがこの上洛における唯一の懸念事項なんだ…」


「でも秀高くん、上様からは上洛の御教書(みぎょうしょ)を貰い受けているんでしょ?それだけじゃダメなの?」


 口の中にある食べ物を飲み込んだ後、会話を聞いていた玲が秀高に対して御教書の事を尋ねた。すると秀高は話しかけてきた玲の方を振り向いた。


「玲、御教書を貰ったと言っても権威を重んじる朝倉や六角にすれば、こちらが貰ったものは偽書だと言いがかりを付けてくることは目に見えている。だからこそ幕臣の派遣を要請したんだ。」


「なるほどね、幕臣とはいえ見方を変えれば将軍の代理。言うなれば将軍を奉じての上洛ぐらいの権威を天下に示すことが出来るわ。」


 秀高の言葉を聞いた静姫が盃を片手に発言すると、秀高は発言した静姫の方に視線を向けながら首を縦に振って頷いた。


「だが幕臣の派遣が為されないとなった以上、朝倉や六角配下の国衆や家臣たちは主家と共に頑強に抵抗してくるだろう。せめて何か旗頭があればいいんだが…」


「…殿、よろしゅうございますか?」


 と、そんな秀高に対して話しかけてきたのは、義輝の妹でもある詩姫であった。詩姫は秀高やその場の一同に対して驚きの提案を口に出した。



「そのお役目、この詩が成り代わることは出来ないでしょうか?」



「お役目って…まさか上洛に同行するって言うの!?」


 その言葉の真意を察した静姫が驚いてそう言うと、詩姫は静姫の方を振り向いた後に頷いて答えた。


「如何にも。私も曲がりなりにも将軍家の一門。私を伴っての上洛ともなれば上洛の権威付けにもなるでしょう。」


「…しかし詩姫様、理屈はそうでしょうが果たしてそれを将軍家が認めるかどうか…」


 その詩姫に対して春姫が口を挟んで意見を述べると、詩姫は話しかけてきた春姫にこう言って答えた。


「この上洛には私の我儘(わがまま)で付いて来た。というのは駄目でしょうか?」


「詩の、我儘…」


 詩姫の発言を聞いて秀高がその単語をポツリと言う様に発言すると、その声に反応した詩姫が秀高の方を振り向いて言葉を続ける。


「そうです、我儘です。京の兄上に御子の懐妊を報告するのと、安産祈願を兼ねて京の寺社仏閣に祈りを捧げたいという身勝手な我儘です。そうすれば上洛の目的としては自然なものになりましょう。」




 この詩姫の発言を聞いて秀高には自身の腹の内に秘めた一つの策と符合する様に聞いていた。それは京からの幕臣派遣が不調に終わった今、そこにいる将軍家の連枝・詩姫を奉じて京への上洛を行うという余りにも苦し紛れの策であった。


 だが、その策を目の前の詩姫が提案してきた事実を受けて、秀高は発言した詩姫の覚悟を受け止めるとともに、それとはまた別の腹案の当てを見繕えた事に対してどこか罪悪感を覚えたのであった。




「そうか、我儘か。なら俺はその我儘を聞き入れるぞ。詩姫。」


「殿、宜しいのですか?」


 秀高に提案をした詩姫が秀高よりその言葉を聞いて反応すると、秀高は首を縦に振って頷きそのまま言葉を返した。


「あぁ。将軍家の連枝でもあるお前が同行してくれるのなら、近江(おうみ)の国衆たちに権威を示すことが出来る。その申し出、ありがたく受け取るとしよう。」


「はい、ありがとうございます。」


 詩姫は感謝する様に秀高に対してその場で一礼する。するとこのやり取りを見ていた静姫が対面に座る玲と目配せをした後に秀高に対して言葉を発した。


「…なら秀高、この私たちの我儘も聞いてもらっていいかしら?」


「な、なんだ?」


 その突拍子もない静姫の提案を聞いた秀高は身構えるように驚き、その内容を秀高に告げた。


「その上洛、私たちも付いて行かせなさいよ。」


「ど、どういう事だ?」


 この提案を受けて秀高がその真意を尋ねると、静姫は盃を目の前の御膳に置いた後に秀高の方に姿勢を向けてこう言った。


「どういう事って、この詩姫の要望を聞き入れたあんたの事だから、もう考えは纏まっているんでしょ?自尊心の高い六角や朝倉をどのように逆撫でさせるかを。」


「秀高くん、遠慮しなくていいから、改めてその腹の内を私たちに教えてくれるかな?」


 静姫に続いて玲が秀高の姿勢に向けてそう言うと、秀高ははぁとため息を一回ついた後にその場にいた一同に対して自身のもう一つの腹案を伝えた。


「…分かった。なら俺も正直に言おう。上洛の時に防衛する六角と朝倉軍の挟撃を防ぐためにも、籠城の構えの六角父子を決戦場に引きずり出す必要がある。そこで俺が妻子を伴っての上洛だと流布させれば、名族の自負が強い六角の事だ。きっと決戦場に出てくるに違いない。」


 すると、この秀高の考えを聞いた静姫が玲と一回視線を合わせた後、ふふっと笑った後に秀高にこう言った。


「…全く、あんたのその考えには毎回驚かされるわよ。」


「…静、本当に申し訳ない。こんな俺にはそのくらいしか解決策を見いだせないんだ。」


 静姫に対して秀高が申し訳なさそうにそう言うと、静姫は微笑みながら秀高に対して言葉をかけた。


「何を言うのよ。そこまでの事をするんだから私にも(はな)みたいに化粧領が欲しいくらいだわ。」


「静、それじゃあ…」


 秀高が静姫に対して言葉を発すると、静姫は秀高に視線を向けて答えを返した。


「えぇ。この私も詩姫やあんたの傍でしっかりと補佐させてもらうわ。」


「私も、秀高くんの頼みなら喜んで聞き入れるよ。」


 静姫に対して玲も続いて秀高にそう発言すると、その言葉を聞いていた嫡子の徳玲丸が父・秀高に対してこう頼み込んだ。


「然らば父上、此度の上洛にはこの拙者も同行させてください。」


「なっ、兄者ずるいぞ!父上、どうかこの俺も連れてってください!」


 こう反応したのは徳玲丸の隣に座る熊千代(くまちよ)であった。するとその言葉に反応した秀高が微笑んだ後に徳玲丸や熊千代に対してこう言った。


「…分かった。だが上洛の際にはくれぐれも母上の傍から離れるんじゃないぞ?」


「はい!」


「ははっ!」


 父である秀高の言葉を聞いて、徳玲丸と熊千代は交互に返事を秀高に返した。その日以降、秀高は近隣諸国に詩姫や玲たち女房衆、徳玲丸や熊千代などの御子を伴う上洛だという情報を伊助(いすけ)稲生衆(いのうしゅう)に流布させ、六角や朝倉の慢心を増長させるようにしたのである…





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