1565年3月 三河の援軍
永禄八年(1565年)三月 三河国刈谷城
「なるほど…浅井新九郎に蒲生定秀が…」
翌永禄八年の三月上旬、高秀高は久松高家の居城である刈谷城において三河の戦国大名・徳川家康と面会していた。刈谷城内に建てられた茶室の中にて茶頭を務める秀高に対して家康は言葉をかけた。
「うん。新九郎殿とはこちらとの協力を取り付け、定秀殿とはこちらの上洛の際に六角領内で行動を起こす手はずとなっている。」
「特に浅井家は御父君の浅井久政殿の力が依然強く、その為僕たちの上洛と同時に新九郎殿が行動を起こすという事になっているんです。」
「…畏れながら、その行動というのは?」
秀高が茶釜からお湯を茶碗に注ぎ、茶筅で抹茶とお湯を混ぜ合わせる傍らで茶室の中にいる小高信頼の言葉を聞いた上で家康が信頼に対しその具体的な差配を尋ねた。
「これはあまり言いたくはないのですが…上洛の算段が決まり次第浅井の領内に手勢を忍ばせ、上洛軍進発と同時に新九郎殿の一派と共に小谷城内の久政派を制して浅井家の実権を新九郎殿に正式に移行させます。」
「なるほど…浅井家は久政殿と新九郎殿の二頭体制ゆえ、その片方の頭を押さえつけて新九郎殿にまとめるという訳ですな。」
家康がそう言う傍らで秀高が茶を点て終えると作法通りに茶碗を回した後に家康の目の前に茶碗を差し出した。
「…その通り。この計略が成功すれば浅井家中は新九郎の元一つにまとまり、朝倉家への対処も容易なものになる。」
「…しかしそう簡単に纏まるはずはありますまい。」
秀高の会話の最中に茶碗の中の茶を飲み干し、茶碗を膝の上に置いて目の前に茶碗を置いた後家康は秀高にそう言った。
「半三の調べでは新九郎を浅井家の当主として認める者は少なく、むしろ久政の復権を唱える者が多いと聞き及んでおり申す。いかに強引に実権を与えたところで新九郎についてくる者がどれだけいるのか…」
「…むしろそれを見極める。」
「と言うと?」
この秀高の言葉に反応した家康が咄嗟に言葉を返すと、秀高は姿勢を家康の方に向けて言葉を続けた。
「この計略は浅井新九郎の覚悟を示す意味合いもある。父である久政を超え、浅井家全ての実権を担えるかどうか。そして反発した家臣一同を粛清して浅井家臣団を統率できる存在であるかを試す。それが出来なければ…」
「新九郎殿に残されたのは父や家臣団の意見に押され、小輔殿(秀高の官職名)に反旗を翻すしかないという事ですな。」
その家康の言葉を聞いた上で秀高は自身の思いを吐露するように語った。
「…俺としては浅井家にその様な道を取らせたくはない。それに俺は新九郎のあの真っ直ぐな目を信じたい。」
「…ならば、我々は新九郎殿の覚悟に賭ける他ありませぬな。」
この家康の言葉を秀高は黙って頷いた。するとそれを茶室の中で家康の隣で聞いていた本多重次が秀高に対してこう進言した。
「されど秀高殿、もし浅井家が敵に回った時には、如何に東海五ヶ国を束ねる高家とはいえ些か上洛に支障をきたすのではござらぬか?」
「…そう、そこで是非とも三河殿(家康の官職名)の力をお借りしたい。」
この重次の言葉を聞いた上で秀高は家康に対して頼み込むように言葉を発した。
「既に三河殿は本国の三河に加え遠江全土を平定し、駿河の今川氏真を追い詰めたと聞いている。そこで何卒俺たちの上洛の際には徳川軍の援軍をお願いしたい。」
「少輔殿、その件に関してはご案じなさいますな。」
秀高のこの申し出を聞いた家康は直ぐにそう言うと、隣にいた重次に対して目配せをした。するとその目配せを受けた重次が家康に代わって秀高にこう発言した。
「秀高殿、実は我が殿は先年に京の公方様より秀高殿の上洛を支えるべしとの御教書を拝領しておられる!そのため我ら徳川家は全身全霊を以て秀高殿の上洛をお支え致す所存!」
「…それは本当か三河殿!」
秀高が重次よりその内容を聞くと、目の前の家康に対してその真偽を尋ねた。すると家康は秀高の言葉に頷いて答えた。
「如何にも。我ら徳川軍は公方様の命によって少輔殿の上洛軍をお支え致す。」
「…ありがとうございます、三河殿。」
秀高は家康の回答を聞いて喜ぶと、家康と握手を交わして協力を誓い合った。ここに秀高は上洛の際に徳川軍の援軍を確保することが出来たのである。
「…それでは三河殿、肝心の上洛の時期なんだが…」
「ほう、それはいつ頃の予定にて?」
この家康の言葉を受けて秀高は家康と重次に対して自身の存念で決めた上洛の時期を両名に伝えた。
「上洛の予定の時期は、今度の五月ごろを予定している。」
「…なるほど、余り時を掛け過ぎては信隆にこちらの策略を察知される恐れもありまするからな。その時期頃が妥当な頃合いでしょうな。」
「はい、それまで三河殿は領国にて軍勢の編成をお願いしたい。」
秀高が家康に対してそう言うと、家康は秀高の言葉に頷いた上でこう言った。
「心得た。我ら三河武士の底力を少輔殿にお見せ致そう。」
「感謝する三河殿、是非ともそのお力を当てにするぞ。」
秀高は家康に対してそう言うとその言葉を聞いていた重次が主君である家康に代わってある事を秀高に頼み込むように頭を下げた。
「しからば秀高殿、我が主に代わって何卒お頼みしたき儀がござり申す!」
「承る。」
秀高が重次の方を振り向いてそう言うと、重次は秀高に対してこう発言した。
「何卒我ら徳川勢が秀高殿の上洛に同行して京に上った暁には、公方様に殿へ三河・遠江両守護職の拝命の口添えを頂きたい!」
重次が申し出てきた内容とはすなわち、目の前の徳川家康に幕府から三河・遠江の守護職拝命の口添えを頼むという事であった。この申し出を聞いて秀高の側にいた信頼がすかさず口を挟んだ。
「待ってください、三河守護職はともかく遠江守護職は確か今川氏真が拝命しているはず。いくら公方様とはいえその要望を聞き入れるとはとても…」
「…ではこれを見てもそう仰せになられるか?」
と、その信頼の言葉に応じた家康が懐からある一通の書状を取り出した。秀高がその書状に注目すると家康は取り出した書状を秀高に差し出した上でこう言った。
「鎌倉公方・足利藤氏殿よりの書状にござる。」
「…なんだと?」
秀高はその言葉に驚くと家康よりその書状を受け取って中身を拝見した。その書状には駿河の今川家は鎌倉公方傘下である事が書かれており、駿河への侵攻は鎌倉府への宣戦布告であるとして手出しの禁止を家康に求めてきていたのである。
「その書状が意味する事はすなわち今川家は遠江の支配権を手放し、駿河一国のみに留まるという証左に外なりませぬ。この書状を元に公方様に談判すれば必ずや、遠江の守護職を我らに下さる事は間違いありますまい。」
「…しかし守護職授与は将軍家の特権。おいそれと公方様が今川家より遠江守護職をはく奪するとは思えないが…」
秀高が家康の意見を聞いた上でそう反論すると、家康は秀高にある事を伝えた。
「いえ、遠江守護はその昔今川了俊・今川仲秋兄弟亡き後その子孫に継承が許されず斯波に移った経緯がありまする。此度の今川の没落を受ければいかに公方様とて遠江守護職を任せるには値しないと思うはず。」
「左様!そこに将軍家のご連枝でもある秀高殿の仲介があれば、我らに両国の守護職を下さる事相違ございますまい!」
この家康と重次の発言を聞いた秀高はしばし思案した後、家康の方を振り向いて首を縦に振って頷いた。
「…よく分かった。見事上洛した暁には公方様にその旨を進言してみます。」
「おぉ、それを聞ければ我らの将兵の士気もより高まるという物。少輔殿、我らが槍働きをとくとお見せ致そう。」
家康は秀高に対してそう言うと、秀高はその言葉に頷いて答えて再び握手を交わしたのであった。こうして高秀高は三河の徳川家康の援軍を借りることが出来、ここに上洛の地固めを終えていよいよ上洛の本番へと態勢を整え始めたのであった。