第十八話 君のありか
「おーい!!雪乃ー!!琉希ー!!」
涙ぐみながらも、俺自身の言葉を届けられたと実感していると、階段の方から将人の大きな声が聞こえてきた。
階段を登り切ると、脇目も振らずに雪乃ちゃんの元に駆けより、両膝に両手をついて上がった息を整えてから、雪乃ちゃんの両肩に両手を置いた。
「雪乃…よかった…いやマジで…」
「将人…ごめん…」
「もうやめてくれよ…俺雪乃がいなくなったら…生きてらんねぇって…」
「大袈裟すぎだって」
「お前ふざけんなよ、お前の存在がどん………っだけ俺の中でデカいか知らねぇだろ!?エッフェル塔…ん?チョコモナカ…いや、月…いやいや、太陽くらいデケぇから!!」
何故最初に言ったのがエッフェル塔なのか不思議でたまらない、そしてチョコモナカはおそらくチョモランマ、エベレストの事だろうな…呼吸がままならなくて頭回って無いのか?
「…ありがとう…」
雪乃ちゃんは笑顔で将人に感謝して、両肩に乗った将人の両手を下ろし、将人を突然デコピンした。
「痛っ…え?…」
「しっかりしなさい、ホントに私がいないとダメになっちゃうよ?」
またしても一目惚れした…夕影に映える、可愛さと並列したあまりにも美しい笑顔は、さっきまでの悲しみを一心に背負ったような表情をした人と同じ人とは思えない程に、麗しかった。
「…雪乃…大丈夫…そうだな…うん…」
どうやら将人も俺と同じ心境みたいだ。顔赤っか!!
それから俺たちは、一緒に並んで他愛ない話をしながら、笑い合い、からかい合い、とにかく笑顔の絶えない帰路を歩いていった。
ただ、家に帰ってきた瞬間、嘘みたいにその笑顔の時間は、突如終わりを告げた。
「…は?…」
「あ…もう帰ってきたのかよ…」
信じられない光景が広がっていた。3人で一緒に家に帰ると、おじさんが居間に、喪服姿のまま立っていた…血まみれで、血まみれの包丁を持って…。
「…何で…」
おじさんの足元には、血まみれで倒れているおばさんと、2人の子供たちがいた…ピクリとも動かない。
「あ…あ…」
俺たちは困惑し、目の前を疑い、血生臭いにおいと、ポタポタと包丁の刃先から滴る血を見て、ようやく理解した…足がすくんで動けない…誰も、声が出ない…。
「どうしたの?言いたいことは無いの?」
おじさんが一歩俺たちの方に足を動かしただけで、夏にも関わらず寒気がするほどの鳥肌が全身に立ち、さっきの数倍の恐怖感に襲われた。雪乃ちゃんは尻もちをつき、口は開けているのに、叫びたくても声が出ない…出し方が分からなくなったかのような様子だ。
「…お前…何で…こんな…」
将人が声を震わせながら、おじさんに問いかけた。弱々しい声に、おじさんは平然としながら答えた。
「僕を警察に売ろうとしてたから、殺った」
「…何…だと…」
「さすがに胸が苦しかった…愛する妻と子を手にかけるのは…1度経験しても、慣れはあんまり無いみたいだ」
「1度って…どういうことだよ…前に殺した事あんのかよ!?」
「うん、つい最近初めてね…
───君のお母さんだよ」
「…え」
おじさんは雪乃ちゃんの目を見てそうはっきりと言った。悪びれる様子もなく、淡々と、日常会話のように、呆気なく。
「庭に埋まってるよ、捜しても見つかんないよね」
「あ…ああ…お母さん…が…」
ただでさえ今日おばあちゃんの葬式を終えた、見送った、死が、事実だと理解し、それを乗り越えようと笑顔を取り戻した…その矢先に、確証が無いのに、説得力のあるこいつの言葉に、雪乃ちゃんの心はおそらく、粉砕した。
「いやあああああああああああああ!!!!!」
獣の断末魔でも、ここまでの声は出ないんじゃないかと、そう思えるくらい、激しい怒りと深い悲しみが込められた咆哮を聞き、俺は果てしない怒りを覚えた。
「うるさいなぁ…」
数分前、おじさんとおばさんは片付けを終え、おじさんは田んぼの草むしりから家に帰宅し、それを見たおばさんは、食器を洗いながらこう言った。
「…やっぱり、あなたを出頭させます」
「…は?」
「出頭させます、警察に」
「いやいやいやいやいやいや…おかしいでしょ、あの時しないって決めたんじゃないの?」
おじさんは左手でおばさんの右肩を掴み、振り返らせた。おばさんはおじさんの目を見て、迷いなくこう言った。
「迷ってました…けど、今日決めたの…お母さんが死んで…あなたを自首させて、この村から出ます」
「君とやったって言えば君も連行だけど?」
「決め手になる証拠がありません、実際何もしてないし…すぐ解放されるでしょう」
「シングルマザーなんて苦労するでしょ?」
「確かに今より苦労はする…だからといって、殺人犯と住むよりはマシよ」
「君は嫌いだったよね?お義姉さんが」
「それで死んで欲しいとは思わなかったわ、あり得ない」
「詭弁だな、どうせ君は俺を警察に突き出せない、だからカミングアウトしたんだけどなー」
「子供たちに!!あなたと同じ空気を吸わせたくないの!!あの子たちのためなら…屈しない…」
「…そうか…ちゃんと母親やってんじゃん…まあでも僕は、父親には向いてないらしい…自分と同じくらい大事には思えない…そこまで子供たちに興味は無いんだ」
おじさんはそう言いながら、おばさんを自分の後ろの床に叩き付け、キッチンから包丁を取り出した。
「…何を…」
「悲しいよ、美由紀」
「い…イカれてる…」
「さあ…けど、感覚に若干の麻痺はあるかも」
おばさんは震える手足で、おじさんから逃げるために居間に這っていった。おじさんはあまり表情を変えずも、やや悲しげな雰囲気を醸し出しながら、ゆっくり歩いておばさんの後を追った。
そして居間の真ん中で、おじさんはおばさんを強引に仰向けにし、首に包丁の刃先を突き立てた。
「…本当に…考え直さないの?」
「…ふざけないで…クズ野郎!」
「そう…」
おじさんは躊躇なく、一切の迷いなく、おばさんの腹を、小指を刃に近い様に持ち、グサリと刺した。首ではなく腹を刺したのは、おじさんなりのせめてもの哀れみだったのか…。
「がはっ…あ…」
「ダメか…人生リセットだな」
さらにおじさんはおばさんの腹をもう1度刺した。さらに返り血を浴び、僅かに動いていたおばさんは完全に動かなくなった。
「はぁ…ふぅ…疲れた」
「お母さん?」
「…はぁ…嘘だろ…」
かなりの音で騒いだからか、気になって2人の子供たちは居間に入ってきた。おじさんは息つく間もなく、子供たちの前に立った。
「快、結愛…静かにしろよ…俺のために…死んでくれるよな」
「い…いや…」
怯えきり、全くの無抵抗だった2人の腹を、蚊でも殺すかのような手際で、安易に刺した。子供たちはほとんど声を上げる事無く力尽きていった。
「…暑…」
「…何で…何でお前…家族を殺せたんだ…」
「この世に自分以上に自分を理解してくれる人がいなくて、自分以上に自分を信じてくれる人がいなかっただけだよ」
「ダメだこいつ、ネジがトンでやがる…ちぃ…」
すると将人は恐ろしい険相でおじさんに向かって走っていき、おじさんの両手首を両手でがっちりと掴んだ。
「将人!!」
「琉希!!雪乃連れて逃げろ!!」
「…将人は…どうするんだ…」
「後で逃げる…お前らは先に行け…それから警察呼べ…速く!!!」
は…速くしないと…雪乃ちゃんは立てない、将人なら力負けはそうしない…雪乃ちゃんをおぶって…ここから逃げ───
「ぐはっ!!…」
「やっぱりどんな時も、冷静さは欠けてはならないってか」
おじさんはおじさんの動きを止めることに精一杯の将人のみぞおちを右膝で蹴り、将人が怯んだ所で将人の左肩を包丁で突き刺した。
「ぐあああああああ!!!!」
将人は左肩を押さえて仰向けに倒れ、立ち上がれなくなっていた。
「将人!!」
「…将…人…」
「こいつを見殺しにして俺から逃げるか、こいつと一緒に死ぬか、僕を殺すか、どの選択を取る?」
「あああああっ!!…ぐっ!!…」
どうする…どうするどうするどうするどうする…まずあの状態の将人は見捨てられない…かといって守りに入れば無事じゃ済まない、俺たちは殺される…。
とりあえず雪乃ちゃんを下ろす…立てずに畳の上でペタンと座り込んでしまっているが…俺は動けない…精神的にも、状況的にも…将人…頼む、動いてくれ…。
「はぁ…はぁ…はぁ……うおおおおおお!!!」
琉希は痛みをこらえ、左肩から血を大量に流しながら、おじさんの右足首を右手で掴み、転ばした。
「うおっ!」
「琉希ー!!!」
「う、うああああああ!!!」
俺は将人が作ってくれたほんの僅かなスキを突き、おじさんの右腕にのしかかり、右手を殴ったりして攻撃して、包丁を放した瞬間に包丁を蹴り飛ばした。
「雪乃ちゃん!!通報して!!」
「はぁ…はぁ…はぁ…」
「痛った…させな…」
「…何で…お母さん…殺されたの…」
…おい…待ってくれ…雪乃ちゃん…何で…今蹴った包丁…持ってんの?…。
「おい…雪乃…おい!!!」
「雪乃ちゃん!!」
私は…今…何してるの?…。
琉希君の言葉で、おばあちゃんの死を受け入れて、乗り越えようとしてた…お母さんを笑顔で待つって決めた…私は…皆で一緒に…なのに…。
(君のお母さんだよ)
私の希望が無くなった…お母さんがいない…私は何も知らず、お母さんの生きてる希望を失って、多分私は正気じゃない、当たり前だ…こんな状況だから…おかしくなっても許されるはず…。
こいつは私を、お母さんがいなくなって、まだ生きてるかもって、そう願ってる私を見て、鼻で笑って、手のひらの中で弄んでたんだ…。
こんな私を面白がって、楽しかったの?…お母さんを殺して、すっきりでもしたの?…許さない…許さない許さない許さない許さない許さない許さない…私が…殺してやる…絶対絶対…苦しみながら死ね…私が…私が…。
「私が!!殺してやる!!!!!」
「雪乃ちゃん!!!!!」
…何で…何でよぉ…私は望んでないのに…何で…止めるの…。
「…琉希君…」
雪乃ちゃんは両頬に涙を伝わせ流していた。その涙の意味が何かは分からない。きっと雪乃ちゃんは、憎くて殺したくて仕方ないんだろう…止めても、何の解決にもならないんだろうな…けど、俺は止めた。
両手で包丁の柄を握り締め、見ていて苦しくなる程に震える手と呼吸に、怒りで周りが見えていない目…俺は雪乃ちゃんの両手首を優しく掴み、包丁を下ろして、微笑みかけた。
「…もういい…もういいよ…」
「そうそう、だから渡そうか」
おじさんは俺の髪を右手で掴んで引っ張り、俺を右側に薙ぎ倒した。
「うぐっ…」
「うおおおおおお!!!」
その瞬間、踏ん張って立ち上がった将人は、おじさんに駆け寄り、左足でおじさんの左足を蹴り、うつぶせに転かした。
「雪乃!!速く逃げ…」
「ふーっ…ふーっ…ふーっ……うああああああああああああああ!!!!!」
ドスッ…
その鈍い音に、聞き馴染みの無い、生々しい音に…俺は即座に雪乃ちゃんの方を見た。
「あ…ああ…はは…あははは…」
雪乃ちゃんが手を放した包丁は、おじさんの背中、おそらくは心臓であろう場所に…深く突き刺さっていた。
雪乃ちゃんは尻もちをつき、狂ったように笑った後、過呼吸に陥り、気絶した。
「…雪乃…ちゃん…」
「雪乃…っぐ…痛ぇ…」
黄昏時、幸野家の居間を静寂が支配した。血で赤く塗られた、悲惨と共に。
───俺は、何も考えられなくなっていた。




