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毎日のように火星へ飛び立つ船を見送る日々が続いた。ひどく静かな町の中で、彼は一人、空を見つめながら、ひたすら家族のことを思い起こしていた。火星での暮らしには慣れただろうか、風邪など引いていないか、何か困ったことはないか……。頭の中を占めるのは、もう過去のことでも、自分のことでもない。ただ、自分が見ることのない人類の未来だけだった。
そのうちに、船の姿も見なくなり、月は彼以外の全てが止まってしまったかのようだった。その後もしばらくは日本町に留まっていたが、食糧も底をつき、旅に出ようと思い立った。荷物は何一つ持たず、老いた体で、宛もなく、歩き出した。
伝統的な日本家屋の町並みを抜け、鮮やかな塗りが目を引く中国風の建物の群れを通り過ぎ、テレビでしか見たことのない石造りの家々の間を行く。誰もいない世界で、まるで模型の中を歩いているようだった。いいや、そこは真実、模型だった。何十年も前、地球で暮らしていた人間が、自らの故郷を模して造り上げた、等身大の模型だ。
これまで遠くへ旅行することはなかったな、なんて考えながら、自らの足音だけを聞いて歩き、食べられるものを探し、疲れたら近くの民家で休息を取る日々を幾日も過ごした。
どこへ行っても一人だったが、不思議と寂しさは感じなかった。むしろ楽しいとさえ思っていた。それは、歳を重ねたが故の諦めから感じるのかもしれないし、誰もいないことで、現実感がないからかもしれない。はっきりと理由をつけることはできなかったが、それで良いと考えていた。
だが、その旅も、長くは続かなかった。
レンガに囲まれたヨーロッパ風の町に差し掛かると、鼻が曲がりそうな異臭がした。そこはこれまでと違い、何者かによって荒らされた痕跡があちこちに見られた。自然と歩みが鈍くなる。
遠くで物音がした。ガサガサと動きのある音は、人のいなくなった月では有り得ないことだ。
ぬらりと現れたそれは、人か、あるいは、あの悪夢か。
そんなことを確認する余裕などない。よろけそうになりながら、老体に鞭を打って走り出し、目についた脇道に入り込む。走って、走って、ただ逃げる。かつて大切な子の手を引いたときのように、息を荒げながら進んでいく。
いくつ目かの角を曲がると、急に、視界が開けた。
「……これは」
目の前には、何も、なかった。そこにあったであろう建物はことごとく崩れ、燃え去り、何の意味も持たない塵が風に舞うばかり。誰が予想し得ただろうか。これが、かつての理想郷の成れの果てであると。
彼は、少年に渡したカメラの代わりに、その両目に月の景色を焼き付けた。
虚無という名の、地獄を。
まさか一年越しの完結になるとは……。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。




