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【完結保証】数字しか信じない帳簿令嬢は、無愛想な護衛騎士の9999だけ読み解けない  作者: Lihito
【第1章:辺境開拓編】

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3/50

3話:数字は嘘をつかない

一週間は、あっという間だった。


初日、山道の整備に取りかかった。

獣道に最低限人が歩ける幅を作る。木を切り、岩をどかし、足場の悪い斜面にはロープを張る。

人手は私とセバスと、「まあ暇だし」と出てきた住民が三人。

それからグレン。


グレンには頼んでいない。護衛の延長として黙ってついてきて、黙って木を切り、黙って岩を運んだ。指示を待たない。礼も求めない。誰よりも重いものを持ち上げて、顔色一つ変えない。


住民の一人が「あんた、騎士だろ。こんなことしなくていいんじゃねえか」と声をかけた。


グレンは手を止めず、一言だけ返した。


「護衛ですから」


何の護衛だ、と男が笑った。グレンは答えなかった。黙って次の岩に手をかけた。


三日で道が通った。


四日目に初回の採取。群生地の端から、再生に影響のない範囲で摘み取る。根は残す。来月も来年も採れるように。

手伝いの住民たちは半信半疑だったが、レムリア草を手に取った老人が「間違いねえ、本物だ」と呟いた瞬間、空気が変わった。


五日目に出荷。セバスが手配した荷馬車で港町へ。


帰ってきた荷馬車には、金貨が載っていた。


***


一週間と一日目の朝。住民を広場に集めた。


前回より人が多い。六十人近くが集まっている。


私は帳簿を広げた。その隣に、革袋を置く。中身が見えるように口を開けて。


「レムリア草、初回出荷分。経費を引いて、純利益は金貨八枚」


ざわめき。


「金貨八枚?」


「一週間で……?」


「嘘だろ」


「嘘じゃないわ」


帳簿を掲げた。


「取引の記録。港町の商会から受け取った証書。採取量、輸送費、人件費、全部載ってる。確認したい人はどうぞ」


帳簿と証書を住民たちに回した。数字が読める者ばかりではないだろう。でも、金貨は誰にでも分かる。革袋の中で鈍く光る金色が、何よりの証拠だ。


「この利益は領地のために使います。まず食料の備蓄。次に道の修繕。手伝ってくれた方には日当を払います」


人だかりの後ろから、杖の音が聞こえた。住民たちが道を空ける。


老婆が前に出てきた。


帳簿を受け取り、じっと眺めていた。長い間、ページを見つめて——やがて返し、私の顔を見た。


「……ふん。口だけじゃないのか」


それだけ言って、背を向けた。


「ばあさん、どうすんだよ」


後ろの男が聞いた。


「どうもこうも。明日から手伝うよ。どうせ暇だしね」


老婆が去ると、堰を切ったように手が挙がり始めた。一人、二人、五人。一週間前に腕を組んで斜に構えていた男までが、ばつが悪そうに手を挙げた。


全員じゃない。でも、空気が変わった。

金貨八枚という事実が、どんな言葉よりも雄弁だった。


***


それから数日。


採取は二回目、三回目と続き、領地に少しずつ金が回り始めた。食料も港町経由の新ルートに切り替わりつつある。前の仲介業者より安い。まともな値段で食べ物が届くというだけで、住民の顔つきが変わっていく。


私は帳簿を一から組み直していた。前の代官の帳簿は捨てて、収支の項目を全部作り直す。採取量と売上。住民ごとの作業量と日当。食料の調達コスト。

帳簿に向かっている時間は、嫌いじゃなかった。数字は裏切らない。足し算は誰がやっても同じ答えになる。


その日の夕方。セバスが慌てた様子で執務室に来た。


「アイリス様、お客様です」


「客?」


「ヴァレンシア公爵家から、とのことです」


ペンが止まった。


***


応接室に入ると、見覚えのある顔があった。


ドルトン。父の側近。公爵家の財務を「表向き」仕切っていた男。

実際は私が全部やっていたけど。


痩せた男で、目が落ち着かない。昔からそうだ。帳簿を見ているふりだけして、中身は私に丸投げしていた。


鑑定する。


【ドルトン】

現在価値:300

潜在価値:400


300。伸びしろもほとんどない。数字通りの人間だ。


「お久しぶりです、アイリス様」


「何の用?」


「単刀直入に申し上げます」


ドルトンが書類を取り出した。公爵家の紋章入り。


「この領地の薬草取引を、公爵家の管理下に移していただきたい」


「理由は?」


「辺境の資源は公爵家の管轄下にあります。無許可での商取引は——」


「辺境領の資源管理権は領主にあるわ。公爵家の管轄は名目上のもの。取引権の移管を命じる法的根拠はないの。知らなかった?」


ドルトンの目が泳いだ。知らなかったのだ。誰かに言われた通りの台詞を喋っているだけ。


「……しかし、公爵家としてはですね——」


「次は?」


「は」


「次の話があるんでしょう。どうぞ」


ドルトンが一瞬たじろいで、それから書類を入れ替えた。


「……では、食料の件をお話しします」


声を整え直した。台本の次のページ。


「この領地の食料は南部の仲介業者経由ですね。公爵家と対立する領地に——今後も変わらず売り続けてくれるかどうか」


脅しだ。食料を止めるぞ、と。

この領地の食料を握っている仲介業者は、公爵家と繋がっている。帳簿で見た、あの名前。鉱山にも食料にも顔を出す業者の正体が、これで一つ見えた。


「ああ、それはもう要らないの」


「……なんですって?」


「食料の調達先、先週切り替えたわ。港町経由で、前より安い条件で。だから止められても困らないの」


ドルトンの顔から表情が消えた。一手目も二手目も潰された。台本にない状況。


「……あなたは」


声が変わった。建前が剥がれた。


「公爵家に逆らうということが、どういうことか分かっているのですか」


法も理屈もない。ただの権力。最後の一枚がそれだ。


「ドルトン」


私は立ち上がった。


「公爵家の帳簿、私が何年管理してたか覚えてる?」


「……何が言いたい」


「あなたの支出報告、五年分。数字が合わないところ、全部覚えてる」


ドルトンの顔から血の気が引いた。


「『雑費』の金額が毎月膨らんでいくのよね。それから『修繕費』。工事の記録がないのに、支出だけがある」


一歩、近づく。


「横領でしょう? 私がいた頃から怪しいと思ってた。証拠がなかったから黙ってたけど——今はもう、黙ってる理由がないのよね」


ドルトンが後ずさった。椅子の背に腰がぶつかって、がたりと音がした。


「あなた個人の不正なのか、父上も絡んでるのか。調べればすぐに分かること。私が公爵家の帳簿のどこに何があるか全部知ってることは——知ってるわよね?」


沈黙。額に汗が流れている。


「……この件は」


絞り出すように言った。


「なかったことに」


「最初からそう言えばいいのに」


扉を開けた。


「帰っていいわよ。ああ、父上に伝えて。『薬草の利益が欲しいなら、帳簿くらい自分で読めるようになってからいらっしゃい』って」


ドルトンは何も言わず、逃げるように去っていった。


***


廊下に出ると、グレンが壁際に立っていた。

応接室のすぐ横。最初からいたのだろう。


「聞いてたの?」


「護衛ですから」


いつもの返答。


ドルトンは使い走りだ。あの男に薬草の取引価値が分かるわけがない。誰かが送り込んだ。父か、レオナルドか。どちらにしても、公爵家がアーレン領の利益を直接取りに来ている。仲介業者を使って金を抜くだけでは、もう足りなくなったということ。


「あの男、二度と来ないと思うわ。弱みを握られたら動けないタイプだから」


「……あの書類」


「ん?」


「公爵家の紋章がありました。公式文書です」


「ええ」


「それを——帳簿の記憶だけで退けた」


グレンが自分から二文以上喋ることは珍しい。


「公式文書でも、中身が嘘なら意味がないわ。数字は嘘をつかない。嘘をつくのはいつも人間の方よ」


グレンは何も答えなかった。


ただ、いつもは壁の一点か、廊下の先を見ている灰色の瞳が——ほんの一瞬だけ、私の手元に向いた。帳簿を持つ手に。


視線はすぐに外れた。


「……異常ありません」


日課の報告。毎日同じ言葉。

でも今日のそれは、いつもと少し違って聞こえた。


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