14話:ちょっと待ってください
書状が届いたのは、朝だった。
国の監査院からの正式な通達。アーレン領の鉱山事業に関して、過去の未納税の疑いがある。査定官を派遣する。日付は三日後。
セバスが青くなった。
「未納税——アイリス様、これは」
未納税。鉱山は閉山している。着任時の帳簿に記録されていた。着任前に送金も止まっていた。何を根拠に——
「……分からないわ。でも、帳簿は全部出して。鉱山関連も全冊」
三日間、準備をした。帳簿はすべて揃っている。着任時の監査記録。管理費の送金記録。食料・燃料・資材・人件費の全項目。
不正はしていない。帳簿は正確だ。
ただ、なぜ今なのか。それだけが引っかかっていた。
***
三日後。
査定官が馬車で到着した。三十代くらいの男。きっちりした身なりに、感情を見せない目。
「監査院のカイルと申します」
「アイリス・ヴァレンシアです。帳簿はすべて用意してあります」
握手を交わした。カイルの手は冷たかった。
その後ろから、もう一台の馬車が着いた。
降りてきたのは父だった。
ヴァレンシア公爵エドワード。そしてもう一人、見覚えのない痩せた中年の男。
父と目が合った。前に見た時の顔とは違う。困り果てた父親はもういない。何かを決めた人間の、据わった目をしていた。
「管轄領主として査定に同席させていただきます」
カイルに向かって言った。
そういうことか。
告発したのは父だ。管轄領主の自主監査。自分で告発して、自分で立ち会っている。
「……どうぞ」
***
執務室に通した。机の上に帳簿を並べてある。セバスが茶を用意した。グレンは廊下。トビアスは作業場。
カイルが帳簿を手に取った。
一冊目。収入と支出の総括。
二冊目。薬草事業の採取量と売上。
三冊目。食料の調達コストと在庫。
四冊目。修繕費の内訳と資材の消費記録。
五冊目。住民の雇用記録と日当。
一冊ずつ、項目を追い、数字を照合していく。
長い時間だった。
エドワードは椅子に座ったまま動かない。隣の男は落ち着かなく足を組み替えている。私は帳簿の質問に答えながら、二人の様子を視界の端で追った。
やがて、カイルが最後の帳簿を閉じた。
「……失礼ですが」
カイルが顔を上げた。初めて、表情に感情が混じった。
「これほど精密な帳簿は、王都でもなかなかお目にかかれません」
「ありがとうございます」
「収支の整合性に問題はありません。項目の分類も明確で、根拠が全て追えます。率直に申し上げて、不正の入り込む余地がありません」
エドワードの目が細くなった。ガイスナー商会の男の足が止まった。
「では、本題に入ります」
カイルが報告書を開いた。空気が変わった。
「アーレン領の鉱山は、国への届出では閉山となっています。しかし、閉山後も『管理費』の名目で送金が継続していた記録があると。管轄領主による自主監査の結果、閉山と届け出ながら実際には採掘を続け、納税を免れていたのではないかという疑いが提起されています」
閉山と届け出ながら採掘を続け、納税を免れていた。
なるほど。そう来たか。
管理費は確かに動いていた。閉山後も。それだけ見れば「実は掘っていたのでは?」という絵は描ける。管理費が動いている=人がいる=採掘している=閉山は嘘=脱税。
筋は通る。帳簿を読めない人間が考えそうなロジックだ。
でも、帳簿は嘘をつかない。
「査定官殿。鉱山関連の帳簿をご覧ください」
鉱山の帳簿を開いた。
「まず、管理費の送金記録です。閉山後もガイスナー商会への送金が続いていたことは事実です。着任時の監査で発見し、記録しています」
カイルが確認した。頷く。
「次に、こちらを」
別のページを開いた。ここからだ。
「閉山後の期間の支出項目を見てください。食料の購入——ゼロです」
カイルの目が動いた。
「燃料——ゼロ」
ページをめくる。
「採掘用資材の搬入——ゼロ。鉱夫への給与支払い——ゼロ」
一つずつ。項目ごとに。数字を指で示しながら。
「人が一人もいないんです」
カイルが帳簿から顔を上げた。
「鉱山で採掘を続けるなら、人を雇わなければならない。雇えば給与が発生する。人がいれば食べさせなければならない。食料を買えば帳簿に載る。坑道を維持するには燃料がいる。道具がいる。全部、帳簿に残ります」
声が自然と強くなっていた。
「それが一切ない。食料も燃料も資材も人件費も、閉山後はゼロです。採掘していたなら、ゼロになるはずがない。——この鉱山では、閉山後、誰も何も掘っていません」
静まった。
「つまり、脱税の前提が成り立ちません。納税すべき産出がそもそも存在しないのですから」
カイルが帳簿のページを何度か行き来した。食料。燃料。資材。人件費。全部ゼロ。長い確認の後、顔を上げた。
「……確かに。採掘の実態を示す支出が、一切ありません」
その目が、ゆっくりとエドワードの方に向いた。
「公爵閣下。管轄領主として自主監査をされたとのことですが、この帳簿をご確認の上で告発されたのでしょうか」
重い沈黙。
エドワードが口を開こうとした。
その前に、ガイスナー商会の男が動いた。
「あの——失礼いたします」
全員の視線が集まった。男は姿勢を正し、困惑した表情を浮かべている。よくできた顔だった。
「公爵様。もしかすると、行き違いがあるのでは」
エドワードの方を向いて、丁寧に言った。
「弊社がお受けしておりました管理費は、閉山前からの施設維持に関する費用でございます。閉山後もしばらく坑道の安全管理が必要でしたので、その委託料として。閉山後の採掘とは関係がございません」
カイルが男を見た。
「つまり、管理費は採掘の対価ではなく、施設の維持管理費だと」
「はい。前任の代官様との間で取り決めたものです。内訳は閉山前の管理費とは異なりますが、いずれにせよ採掘とは無関係でございます」
流暢だった。準備してきた台詞だ。
「何の施設維持ですか」
私が聞いた。
「坑道の崩落防止や、周辺の安全確認などを——」
「グレンが先日巡回した際、坑道の入口は崩れていて、半年以上人が立ち入った形跡がなかったと報告を受けていますが」
一瞬、男の目が揺れた。
「……以前は定期的に確認しておりましたが、近年は頻度が落ちておりまして」
「近年、というのは何年くらい?」
「その——」
「帳簿上は毎月同額が送金されています。頻度が落ちたのに、金額は変わらなかった?」
男が口を閉じた。
エドワードが割り込んだ。一拍遅れた。
「——どうやら、早とちりだったようです」
声を整えている。しかし据わっていた目から、何かが崩れかけていた。
「前代官の時代の取り決めを、私が正確に把握できていなかった。管理費の実態を確認せずに疑義を報告してしまった。管轄領主として、混乱させてしまったことをお詫びいたします」
カイルは黙っていた。長い間。
ガイスナー商会の説明は苦しい。エドワードの撤退も不自然だ。カイルはそれを見ている。だが、ここにある帳簿はアーレン領のものだけだ。ガイスナー商会の帳簿も、公爵家の帳簿もない。追及する材料がない。
「……現時点で、アーレン領の帳簿に不正は認められませんでした」
カイルがゆっくりと帳簿を閉じた。
「脱税の事実も確認できません。査定は以上とさせていただきます」
立ち上がった。
エドワードの顔に安堵が浮かんだ。それを隠そうともしなかった。椅子から腰を上げかけて、こちらに視線を向けた。
憎悪とも侮蔑ともつかない暗い光。自分で仕掛けて、自分で引っ込めて。それでもまだ、こちらのせいにしたい目。
その目を見たまま、口を開いた。
「——ちょっと待ってください」
カイルの手が書類の上で止まった。エドワードの腰が椅子に戻った。ガイスナー商会の男が息を呑んだ。
「査定官殿。一つ、お聞きしたいことがあります」
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